あいうえお順 100文字 作家略歴

当略歴はNPO法人あーと・わの会の会員により、画像とコメントと略歴が出品、投稿され平成24年6月発売の「わの会の眼」、平成29年6月発売の「わの会の眼Ⅱ」の図書に掲載された“手作り”の100文字の略歴を“あいうえお順”に並び変えたものです。図書掲載略歴をそのまま掲載しております。
会員(市民コレクター)が画像と(画像)、コメントとの関連で作家略歴の中から掲載内容を取捨選択していますので、少し、拘り偏重が見られます。一部の作家につきましては同じ作家の略歴に少し見る観点を違えた略歴を作家名Ⅱ表示で掲載させていただいています。
若し、間違い、問題点等がありましたらNPO法人あーと・わの会 事務局(巻末に表示)までご一報下さい。
今後、100文字という短く、明確で、使いやすい より良い略歴に今後努力して増やし掲載してゆきたいと考えております。247名の作家略歴から今後、目標1000名を目標に逐次追加掲載してゆきたいと考えています。
改定経歴 
REV.0  29年7月 227名の作家略歴
REV.1  29年9月 227名の作家略歴見直し訂正、19名の作家を追加。計246名の作家。
NPO法人あーと・わの会



あ(14 )
靉  謳 (あいおー/1931年~ )         
茨城県生れ。1952年デモクラ―ト美術家協会に参加。54年東京教育大学芸術科を卒業。58年渡米。62年フルクサスに参加。69年ジャパン・アート・フェステバル大賞を受賞。2016年茨城県玉造に靉謳美術館が開館。(出典 わ眼)
相田直彦 (あいだ・なおひこ/1888~1946年)  
会津若松生れ、相田寅彦。太平洋画研究所、日本水彩画研究所で学ぶ。1909年文展褒状。太平洋会展、文展、帝展に出品。13年日本水彩画会創立会員。29年白日会会員。37年新文展無鑑査。熊本人吉で没、58歳。(出典 わ眼)
相原求一朗(あいはら きゅういちろう/1918 ~1999年) 
埼玉県生れ。1948年 猪熊弦一郎に師事。63年新制作協会展新作家賞。68年新制作協会会員。海外取材。日動画廊で個展。87年埼玉文化賞受賞。96年川越市名誉市民。北海道に相原求一朗美術館開館。99年没。80歳。(出典 わ眼)
相吉沢久 (あいよしざわ・ひさし/1923~1984年)
栃木県生れ。1957年植村鷹千代の現代美術研究所に通い、山口薫、脇田和に学ぶ。62年春陽会展に入選。春陽会事務局書記を務める。1966年春陽会展で研究賞。74年春陽会会員。第18回安井賞展に出品。84年没、61歳。(出典 わ眼)
青木 繁 (あおき・しげる/1882~1911年)   
福岡県久留米市生れ。1899年上京、不同舎で小山正太郎に師事。1903年第1回白馬会賞。04年東京美術学校西洋画科卒。07年東京府勧業博覧会で三等賞。08年九州を放浪。福岡市で没、28歳。(出典 わ眼)
浅井 忠 (あさい・ちゅう/1856~1907年)    
江戸生れ。1875年彰技堂で学び、同年工部美術学校に入学。78年十一会を結成。89年明治美術会創立に参加。98年東京美術学校教授。1900~02年渡欧。02年京都高等工芸学校主席教授。03年聖護院洋画研究所創設。関西美術院長。京都で没、51歳。(出典 わ眼)
朝倉 摂 (あさくら・せつ/1922~2014年)   
東京生れ。父は彫刻家朝倉文夫。16歳で伊東深水に弟子入り。1941年文展入選。51年新制作展入選。53年上村松園賞。68年「朝倉摂・渡辺学二人展」。70年以降活動の場を舞台美術に移す。82年日本アカデミー賞優秀美術賞。東京で没、91歳。(出典 わ眼)
麻田 浩 (あさだ・ひろし/1931~1997年)   
京都市生れ。1955年同志社大学卒。68年新制作協会会員。京展須田賞。71年渡仏。プリ・ナショナル賞受賞。カンヌ国際版画芸術ビエンナーレ第1位受賞等多数。細密な洋画を制作し、銅版画家としても活躍。京都府文化功労賞。自死。65歳。(出典 わ眼)
網谷義郎(あみたに・よしろう/1923~1982年)  
兵庫県生れ。京都大学法学部卒。小磯良平に師事。1955年新制作展で新作家賞。59年新制作協会展で協会賞。60年新制作協会会員。大阪フォルム画廊、大阪梅田画廊等で個展。68年渡欧。79年水彩画集刊行。神戸で没。58歳。(出典 わ眼)
阿部金剛 (あべ・こんごう)/1900~1968年)  
盛岡市生れ。父は阿部浩東京府知事。慶應義塾大学中退。岡田三郎助に師事。1926~27年渡仏。29年二科展に初入選。47年二科会会員。60~67年メキシコ、アメリカに滞在。43年東京で没、68歳。(出典 わ眼)
荒井龍男 (あらい・たつお/1904~1955年)   
大分県生れ。1924年太平洋画会研究所。34~36年渡仏。ザッキンに学ぶ。37年自由美術家協会会員。50年モダンアート協会創立会員。NYリバーサイド美術館、サンパウロ近代美術館、ブリヂストン美術館で個展。55年没、51歳。(出典 わ眼)
荒井陸男 (あらい・ろくお/1885~1972年)   
東京生れ。1909年渡英。シッカート美術学校に学ぶ。11年同地の新聞雑誌に挿絵を寄稿。14年第一次大戦中は海軍従軍画家として記録画を制作。23年帰国。28年聖徳記念絵画館の「日露役旅順開城」制作。東京で没、86歳。(出典 わ眼)
安藤信哉 (あんどう・のぶや/1897~1983年)   
千葉県生れ。本郷洋画研究所、太平洋画会研究所、川端画学校で学ぶ。1938年新文展で特選。40年東京聾唖学校で教える。41年新文展無鑑査。58年日展会員。73年ヘレン・ケラー賞。74年日展参与。日本水彩画会会員。83年没、85歳。(出典 わ眼)
安藤義茂 (あんどう・よししげ/1888~1967年) 
愛媛県生れ。1911年東京美術学校図画師範科卒。中学校教師を務めた後、27年画業に専念。帝展、新文展に出品。二紀グランプリ受賞。43年より刀画を始める。51年二紀会同人。京都で没、78歳。(出典 わ眼)

い(8)
板倉 鼎 (いたくら・かなえ/1901~1929年)  
松戸市育ち。堀江正章の教えを受ける。東京美術学校西洋画科に入学。岡田三郎助と田邊至に師事。帝展に入選。渡仏。サロン・ドートンヌに入選。パリで没。28歳。(出典 わ眼)
井上長三郎 (いのうえ・ちょうざぶろう/1906~1995年) 
神戸市生れ。太平洋画会研究所で学ぶ。靉光、鶴岡政男と交友。1927年「一九三〇年協会」展で奨励賞。31年独立賞。35年独立美術協会会員。38年渡仏。39年美術文化協会会員。43年新人画会結成。47年自由美術協会会員。95年没、89歳。(出典 わ眼)
伊庭伝次郎 (いば・でんじろう/1901~1967年) 
滋賀県生れ。関西美術院、太平洋画会研究所に学ぶ。二科会に出品、二科三十周年記念賞。1943年二科会員。後に理事に就任。成安女子短期大学教授、京都市立美術大学教授を歴任。京都で没。65歳。(出典わ眼)
伊原宇三郎 (いはら・うさぶろう/1894~1976年)
徳島市生れ。1920年帝展に初入選。21年東京美術学校西洋画科卒。25~29年農商務省から渡欧。29、30,32年帝展で特選。32~44年東京美術学校助教授。49年日本美術家連盟初代委員長。東京で没、81歳。(出典 わ眼)
今西中通 (いまにし・ちゅうつう/1908~1947年)
高知県生れ。1927年上京。川端画学校、「一九三〇年協会研究所」、独立美術研究所に所属。前田寛治、里見勝蔵に学ぶ。35独立展でD氏賞。福岡で絵画研究所を設立する。47年独立美術協会会員。福岡で没。38歳。(出典 わ眼)
今井ロヂン (いまい・ろち“ん/1909~1994年) 
満州生れ。太平洋美術学校本科油絵科修了。1941~49年藤田嗣治に師事。中央公論社画廊、スルガ台画廊で個展。70年二科会会員。75年二科会員努力賞。94年没、85歳。(出典 わ眼)
岩崎勝平 (いわさき・かつひら/1905~1964年) 
埼玉県川越生れ。1930年東京美術学校西洋画科卒。36年文展鑑査展で選奨。37年新文展で特選。39年春台展で岡田賞。47年から京橋の繭山龍泉堂に出入りし、川端康成、川北倫明らと親交する。64年没、59歳。(出典 わ眼)
岩崎巴人 (いわさき・はじん/1917~2010年)   
東京生れ。川端画学校卒。日本画家。小林古径にまなび,1938年院展に初入選。57年日本表現派の結成に参加。77年京都禅林寺で出家し、仏伝画、水墨画にとりくんだ。2010年没。92歳。 (出典 わ眼)

う(7)
植木 茂 (うえき・しげる/1913~1984年)   
札幌生れ。1935年自由美術家協会展に出品。昭和25年モダンアート協会の創立に参加。戦中は合成樹脂で彫刻を行う。戦後、木彫の抽象彫刻を制作。晩年、モビール、アッサンブラージュも制作した。大阪で没、71歳。(出典 わ眼)
上野山清貢 (うえのやま・きよつぐ/1889~1960年)
北海道江別生れ。太平洋画会研究所で黒田清輝、岡田三郎助に師事。1926、27,28年帝展で連続特選。槐樹社展で槐樹社賞を3年連続で受賞。一線美術会創立委員。60年没、享年70歳。(出典 わ眼)
内田 巌 (うちだ・いわお/1900~1953年)   
東京生れ。1926年東京美術学校西洋画科卒。29年光風会展で光風会賞を受賞。30~32年渡仏。33年光風会会員を辞する。36年新制作派協会創立会員。日動画廊等で個展を開催。東京で没、53歳。(出典 わ眼)
宇都宮周策(うつのみや・しゅうさく/1907~1988年)
愛媛県内子生れ。1930年この頃から油絵を描き始める。39年東京帝国大学法学部卒業。56年愛媛県松山市民病院を設立、後に真光園(病院)設立に携わる。67年四国遍路参りを完拝する。俳画を描き始める。88年没。81歳。(出典 わ眼)
梅野木雨(うめの・もくう/1926~2011年)     
福岡県生れ。父は青木繁の友人。サラリーマン蒐集家。定年後、東京京橋に「美術研究 藝林」を開設。1998年長野県御牧村に梅野記念絵画館(現東御市)が開館、館長を務める。2011年没。85歳。「わの会」の発足、発展に貢献。(出典 わ眼)
梅原龍三郎 (うめはら・りゅうざぶろう/1888~1986年)
京都市生れ。1906年関西美術院で浅井忠に師事。08~13年渡仏。09年ルノアールに師事。二科、春陽会創立会員。28年国画会発足。44~52年東京美術学校教授。52年文化勲章。東京で没、97歳。
浦久保義信 (うらくぼ・よしのぶ/1903~1988年) 
奈良市生れ。渡英、滞仏。1923年帰国。三岸好太郎らに評価され、春陽会、二科展に出品。32年より独立展に出品。35年独立賞。47年行動美術会会員に推挙。88年没、86歳。(出典 わ眼)

え(1)
瑛  九 (えいきゅう/1911~1960年)       
宮崎市生れ。日本美術学校中退。洋画家、版画家、写真家。前衛的、抽象的な作品で知られる。フォトデッサンを制作。1937年自由美術家協会創立会員。51年デモクラート美術家協会を結成。創造美育協会に参加。東京で没、48歳。(出典 わ眼)

お(17)
大久保作次郎 (おおくぼ・さくじろう/1890~1973年)
大阪市生れ。1915年東京美術学校西洋画科卒。16,17,18年文展で連続特選。38年槐樹社会員。39年創元会創立会員。55年新世紀美術協会創立会員。60年年日本芸術院賞を受賞。63年日本芸術院会員。東京で没、82歳。(出典 わ眼)
大沢昌助 (おおさわ・しょうすけ/1903~1997年)  
東京生れ。1928年東京美術学校西洋画科卒。42年二科賞。43年二科会会員。54年多摩美術大学教授。65年国際形象展で受賞。81年池田20世紀美術館で個展。91年練馬美術館で回顧展。95年中村彝賞受賞。東京で没、93歳。(出典 わ眼)
大沢鉦一郎(おおさわ・せいいちろう/1893~1973年) 
愛知県生れ。1914年東京高等工業学校図案科中退。絵は独学。17年宮脇晴と愛美社を結成。19年院展洋画部入選。32年春陽会賞。36年帝展無鑑査。46年日展で特選。49年春陽会会員。64年CBC文化嘗。73年没。79歳。(出典 わ眼)
大澤 寛 (おおさわ・ひろし/1924~2007年)     
埼玉県富士見市生れ。1949年東京美術学校師範科卒。49~87年川越高等学校で美術教師を務める。2007年没、83歳。(出典 わ眼)
太田聴雨(おおた・ちょうう/1896~1958年)     
宮城県生れ。1910年上京。22年プロレタリア美術の先駆となる第一作家同盟を結成。27年前田青邨に入門。30年日本美術院賞受賞。36年同人。帝展にも出品する。51~58年東京藝術大学助教授。東京で没。62歳。(出典 わ眼)
大塚 武(おおつか・たけし/1927~1979年)      
栃木県生れ。1948年栃木県師範学校卒。50年上京、公立学校に勤務しながら油絵を学ぶ。57年朔日会同人。同会の展覧会で各賞を受賞。60年安井賞候補。69年朔日会退会。79年急性心不全で没。52歳。(出典 わ眼)
大橋エレナ(おおはし・えれな/1895~1966年)    
ブラジル生れ。1911年渡仏。27年グランショミエールに学ぶ。33年来日。松坂屋服飾デザイナー。40年台北で夫妻展。40~41年南米で夫妻展。42年国内で夫妻展。47年了介遺作集刊行。49年ブラジルに帰国。66年没。71歳。(出典 わ眼)
大橋了介(おおはし・りょうかい/1895~1943年)   
彦根生れ。台北一中卒、台湾総督府勤務。1919年上京、本郷洋画研究所で岡田三郎助に師事。27年渡仏。佐伯祐三らと行動。岡田三郎助と中欧旅行。33年帰国。37年台北で個展。40~41年南米で夫妻展。芦屋で没。48歳。(出典 わ眼)
大貫松三 (おおぬき・まつぞう/1905~1982年)   
神奈川県生れ。1931年東京美術学校西洋画科卒。37、38年新文展で特選。41~49年創元会に出品。49年立軌会創立会員。後に無所属となる。川崎で没、76歳。(出典 わ眼)
岡村政子 (おかむら・まさこ/1858~1936年)     
信濃生れ。ロシア正教会に学ぶ。1876年工部美術学校入学、フォンタネージに師事。石版印刷技術を学ぶ。78年中退。夫は石版版下画家・岡村竹四郎。美人画、風俗画を制作。女流石版画家のパイオニアの一人。1936年没、78歳。(出典 わ眼)
小川千甕( おがわ・せんよう /1882~1971年)    
京都生れ。北村敬重の弟子。仏画、日本画を学ぶ。1904年聖護院洋画研究所に入門。06年関西美術院で浅井忠に師事。13年渡欧。15年珊瑚会を結成。油絵から日本画へ。21年院展に出品。53年日展に出品。71年没。89歳。(出典 わ眼)
荻須高徳 (おぎす・たかのり/1901~1986年)    
愛知県生れ。1926年東京美術学校西洋画科卒。卒業後渡仏し40年まで滞在。40年新制作派協会会員。48年再渡仏。55年神奈川県立美術館で回顧展を開催。パリで没、84歳。没後、文化勲章を授与される。(出典 わ眼)
奥村光正(おくむら・みつまさ/1942~1997年)   
長野県生れ。1968年新制作協会展で新作家賞。69年東京藝術大学大学院油画科を修了。72年渡仏。78年昭和会賞。国際形象展、安井賞展に出品。主に日動画廊で個展を開催。87年巴東会展に参加。パリで没。55歳。(出典 わ眼)
オチ・オサム (おち・おさむ/1936~2015年)    
佐賀市生れ。1955,56年二科展入選。前衛芸術集団「九州派」結成に参加。62年読売アンデパンダン展に出品。66~69年渡米。70年福岡文化会館で個展。78年サンフランシスコの画廊で個展。2015年没、79歳。(出典 わ眼)
オノサト・トシノブ (おのさと・としのぶ/1912~1986年) 
長野県飯田生れ。現代美術作家。1931年津田青楓画塾に学ぶ。37年自由美術家協会結成、会友として参加。63年日本国際美術展で最優秀賞。64,66年ベニス・ビエンナーレに日本代表として出品。戦前戦後を通じ前衛美術の道を歩んだ。桐生で没、74歳。(出典 わ眼)
オノサト・トシノブⅡ (おのさと・としのぶ/1912~1986年)
長野県飯田生れ。津田青楓に学ぶ。黒色洋画展を結成。1937年自由美術家協会の創立に会友として参加。49年会員となる。63年日本国際美術展で最優秀賞。グッケンハイム、ベネツィア、NY等の国際展に出品し、高い評価を得る。桐生で没、74歳。(出典 わ眼)
小山田二郎 (おやまだ・じろう/1914~1991年)   
中国生れ。帝国美術学校図案科、西洋画科中退。独立展、美術文化協会展に出品。自由美術家協会会員。日本国際美術展、現代日本美術展等に出品。1956年サンパウロ・ビエンナーレに出品。91年没、77歳。(出典 わ眼)
恩地孝四郎 (おんち・こうしろう/1891~1955年) 
東京生れ。版画家、装幀家・詩人。1910年東京美術学校入学。14年藤森静雄、田中恭吉と同人誌「月映」を刊行。31年日本版画協会の創立に参加。51年第一回サンパウロ・ビエンナーレに出品。53年岡本太郎らとアートクラブ結成。東京で没、63歳。(出典 わ眼)
恩地孝四郎Ⅱ (おんち・こうしろう/1891~1955年)
東京生れ。白馬会洋画研究所に通う。1912年藤森静雄、田中恭吉と交友し、木版画を制作。14年「月映」を創刊。東京美術学校西洋画科中退。19年日本創作版画協会創立に参加。31年日本版画協会会員。36年国画会会員。東京で没、63歳。(出典 わ眼)

か(13)
甲斐荘楠音 (かいのしょう・ただおと/1894~1978年)
京都市生れ。1915年京都市立絵画専門学校卒業。24年国画創作協会会友。28年「新樹社」を結成。40年映画界に転身。56年「山賊会」活動を通じ絵画を発表する。78年没、83歳。(出典 わ眼)
加賀孝一郎 (かが・こういちろう/1899~1988年) 
岐阜県生れ。1916年名古屋洋画研究所で鈴木不知の教えを受ける。18年岸田劉生に師事。31年春陽展に出品、入選。53年春陽会会員。百貨店を中心に個展。85年稲城市荻須記念美術館で個展、犬山で没、88歳。(出典 わ眼)
加賀美勣 (かがみ・いさお/1939~1999年)     
山梨県甲府生れ。1965年東京藝術大学大学院卒。大橋賞。国画賞40周年記念賞を受賞。68年国画賞を受賞し、会員となる。92年愛知県立芸術大学教授。個展で発表。長野で没、59歳。(出典 わ眼)
桂 ゆき (かつら・ゆき/1913~1991年)     
東京生れ。アヴァンギャルド洋画研究所に学ぶ。1938年九室会創立会員。46年女流画家協会創立会員。50年二科会会員。渡欧米、アフリカ旅行。現代日本美術展で最優秀賞。山口県立美術館、下関市美術館で回顧展。東京で没、77歳。(出典 わ眼)
加藤 正 (かとう・ただし/1926~2016年)    
宮崎県生れ。1950年東京藝術大学油絵科卒。52年瑛九等とデモクラ―ト美術協会設立。機関誌「DEMOKRATO」編集発行。73,74年渡仏。2001年宮崎で「フラクタス」を結成。東京で没、90歳。(出典 わ眼)
金山平三 (かなやま・へいぞう/1883~1964年) 
神戸市生れ。1909年東京美術学校西洋画科卒。12~15年渡欧。16年文展に初入選、特選。17年文展で特選。44年帝室技芸員。57年日本芸術院会員。東京で没、80歳。(出典 わ眼)
金山平三Ⅱ(かなやま・へいぞう/1883~1964年)  
神戸市生れ。東京美術学校西洋画科を首席で卒業。1912~15年渡欧。16、17年文展で特選。帝展審査員。44年帝室技芸員。57年日本芸術院会員。日展に出品。風景画は一貫したテーマ、マチエールを探求する。東京で没。80歳。(出典 わ眼)
金子周次(かねこ・しゅうじ/1909~1977年)    
銚子市生れ。1957年一線美術展入選。版画家・船崎光治郎主宰の「版画を創る会」会員。64年日本版画院展新人賞。大調和展に出品。生前の個展は一度だけであった。77年没。68歳。97年、松山庭園美術館で遺作展。2017年千葉県立美術館で個展。(出典 わ眼)
河合新蔵(かわい・しんぞう/1867~1936年)    
大阪生れ。上京、不同舎に学ぶ。1900年満谷国四郎、鹿子木孟郎らと渡米。01年渡仏、ジュリアン、コラロッシに学ぶ。04年帰国、太平洋画会会員。06年大下藤次郎らと水彩画講習所を設立。13年日本水彩画会創立会員。京都で没。68歳。(出典 わ眼)
川上邦世 (かわかみ・くによ/1886~1925年)    
東京生れの彫刻家。1906年東京美術学校卒。高村光雲に師事。07年第1回文展に出品。16年院展初入選し、戸張孤雁、中原悌二郎とともに院友推挙。18年院展試作展にて奨励賞。25年没、39歳。弟子に中平四郎などがいる。(出典 わ眼)
川上涼花 (かわかみ・りょうか/1887~1921年)  
東京生れ。1905年太平洋画会研究所に学ぶ。1912年ヒュウザン会(後のフュウザン会)結成に参加。16年斎藤与里らと日本美術家協会を創立。17年二科展に初入選。21年没、33歳。(出典 わ眼)
河久保正名 (かわくぼ・まさな/生没年不詳)     
東京生まれ。1874年頃、国澤新九郎に師事。90年~98年明治美術会展に7回出品。96年頃印刷局勤務。1900年パリ万博出品。02年巴会に参加。03年第5回内国勧業博覧会に出品。06年、08年太平洋画会展に出品。(出典 わ眼)
川島理一郎(かわしま・りいちろう/1886~1971年)  
栃木生れの洋画家。1905年渡米し、のちに渡欧。度々外遊。22年サロン・ドートンヌ会員。26年国画会洋画部を創設。35年国画会を退会。36年女子美術学校教授。48年芸術院賞。55年新世紀美術協会を創立。71年没。85歳。(出典 わ眼)
菅野 功 (かんの・いさお/1927~2006年)      
川崎市生れ。松村画廊、横浜せんたあ画廊で個展を開催。1980年TVKテレビで作品が紹介される。86年横浜市主宰の横浜美術招待展に出品。横浜美術協会会員、川崎市美術展審査員。2006年没。79歳。(出典 わ眼)

き(12)
菊池一雄(きくち・かずお/1908~1985年)   
京都生まれの彫刻家。藤川勇造に師事。東大在学中に1930年二科初入選。36年渡仏。デスピオに師事。帰国、新制作に出品。戦後京市美教授、48年には第1回毎日文化賞、49年には毎日出版文化賞。52~76年東京藝大教授。85年没。76歳。(出典 わ眼)
菊地又男(きくち・またお/1916−2001年)   
札幌市生れ。1949年、自由美術展会員推薦。56年、新北海道美術協会創立。97年「北海道の抽象絵画―未知の形象を求めて」(北海道立旭川美術館)、98年「菊地又男展 芸術の森美術展」(札幌)開催。2001年没。85歳。(出典 わ眼)
木田金次郎(きだ・きんじろう/1893~1962年)  
北海道生れ。1908年上京。有島武郎を知る。19年東京で作品展開催。28年満州・朝鮮写生旅行。大連個展。45~49年全道美術協会創立会員。54年北海道文化賞。59、62年日本橋高島屋で個展を開催。北海道で没。69歳。(出典 わ眼)
北岡文雄 (きたおか・ふみお/1918~2007年)  
東京生れ。東京美術学校卒。平塚運一主宰の「キツツキ会」、戦後は恩地孝四郎主宰の「一木会」に参加。1951年春陽会版画部を創立。55、56年渡欧米。抽象的な版画、木口版画を制作。風景版画に秀品。93年北海道立近代美術館で個展。東京で没、89歳。(出典 わ眼)
北川民次 (きたがわ・たみじ/1894~1989年)  
静岡県生れ。早稲田専門学校中退。1914年渡米。24年メキシコ国立美術大学卒。31年タスコに野外美術学校を移転し、校長を務める。36年帰国。36~79年二科会会員。52年創造美育協会を創立。愛知県で没、95歳。(出典 わ眼)
喜多村知(きたむら・さとる/1907~1997年)  
大連生れ。1921年京都府絵画専門学校入学。26年川端画学校に学ぶ。30年帝展入選。41年新文展で特選。50年三越、52年資生堂で個展。63年渡欧。67年三越、76年現代画廊で個展。95年下関市立美術館で個展。97年没。90歳。(出典 わ眼)
北村四海(きたむら・しかい/1871~1927年)  
長野生れの彫刻家。1893年上京し島村俊明に牙彫を学ぶ。99年頃から大理石彫刻を試み、1900年渡仏。帰国後は日本大理石彫刻の第一人者として活躍。07年の霞事件は有名。代表作に「春秋」「イヴ」「凡てを委ねる」。27年没。56歳。(出典 わ眼)
北村正信(きたむら・まさのぶ/1889~1980年) 
新潟生れの彫刻家。北村四海の嗣子(四海の甥)。1911年文展に初入選。15年文展三等。18年文展で特選。以後無鑑査となり文展審査員。戦後は日展審査員・評議員として活躍した。80年没。91歳。(出典 わ眼)
鬼頭 曄(きとう・あきら/1925~1994年)    
東京生れ。東京美術学校日本画科卒。自由美術家協会会員。1952年渡仏。53年パリ国立美術学校入学。57年アマテュール・ダール賞、抽象絵画スイス賞。74年自由美術協会自由美術賞。個展中心に発表。94年没、69歳。(出典 わ眼)
木下孝則 (きのした・たかのり/1894~1973年)  
東京生れ。1918年京都帝大、19年東京帝大中退。24年二科賞。26年「一九三〇年協会」創立会員。27~30年春陽会会
員。28~35年渡欧。36年一水会創立に参加。個展で発表。横浜で没、79歳。(出典 わ眼)
木村荘八(きむら・しょうはち/1893~1958年)  
東京生れ。白馬会葵橋洋画研究所で学ぶ。1912年岸田劉生らとヒュウザン会を結成。草土社を結成。院展、二科展に出品、18年第5回再興院展樗牛賞。24年春陽会会員。挿絵画家でもある。東京で没。65歳。日本芸術院恩賜賞。(出典 わ眼)
木村忠太 (きむら・ちゅうた/1917~1987年)    
高松生れ。1942年独立賞を受賞。43年帝国美術学校に学ぶ。48年独立美術協会会員。53年渡仏し定住する。70年サロン・ドートンヌ会員。パリで没、享年70歳。(出典 わ眼)

くけ(7)
草光信成 (くさみつ・のぶしげ/1892~1970年)  
島根県出雲生れ。1916年東京美術学校西洋画科卒。27,28,30年帝展で特選。38年従軍画家として戦地へ赴く。55年新世紀美術協会創立に参加。 70年没、78歳。(出典 わ眼)
楠 瓊州(くすのき・けいしゅう/1892~1956年)   
広島県生れ。1907年服部五老の内弟子となり、南画を学ぶ。10年江上瓊山宅に寄寓。18年上京。画壇から離れ、新しい南画を研究。東京で没。64歳。76年京都国立近美にて「異色の水墨画家水越松南・山口八九子・楠瓊州」展(出典 わ眼)
国吉康雄 (くによし・やすお/1889~1953年)   
岡山市生れ。渡米。ロサンゼルス美術学校、1916年ニューヨークのアート・スチューデンツ・リーグに学ぶ。29年ニューヨーク近代美術館の19人の現代アメリカ作家に選抜。48年ホイットニー美術館で回顧展。NYで没、63歳。(出典 わ眼)
久保一雄(くぼ・かずお/1901~1974年)  
群馬県生れ。川端画学校に学ぶ。日活向島撮影所の背景絵師。東宝美術監督。38年から独立展に連続出品。44年独立賞。48年独立美術協会会員。日活、東映等多くの映画のフリー美術監督。東京で没。72歳。
鞍掛徳磨 (くらかけ・とくま/1930年~ )       
広島県生れ。1954年吉岡憲に師事。日本大学芸術学部美術科卒業。71,72,73,77,78年安井賞入選。76年現代画廊で個展。2000年ギャラリー川船で個展。13年キッド・アイラック・アートギャラリーで個展。(出典 わ眼)
栗原忠二 (くりはら・ちゅうじ/1886~1936年)    
三島生れ。1912年東京美術学校西洋画科卒、渡英。ブラングィンに師事。王立美術家協会準会員。24年帰国、白日会創立会員、日本水彩画会会員。26年再渡英。第一美術協会創立会員。築地洋画研究所を設立。東京で没、50歳。(出典 わ眼)
解良常夫(けら・つねお/1939~1997年)   
東京生れ。1966年、光陽展に初出品以来、連続出品。76年、光陽展で奨励賞を受賞、委員に推挙。81年、土陽美会を創設し、指導を続ける。光陽会や個展、葛飾区美術家展などを中心に発表。97年没。57歳。(出典 わ眼)

こ(17)
小石サダオ (こいし・さだお/1952~ 2010年)  
下関生れ。1989年ウイーン派アートスクールで川口記美雄に師事。90年ドイツ・ローランツホーフ画廊、2002年アートスペース美蕾樹で個展。05、08,09年青木画廊で個展。10年没、58歳。(出典 わ眼)
小泉 清(こいずみ・きよし/1900~1962年)   
東京生れ。父は小泉八雲。東京美術学校西洋画中退。里見勝蔵のフォーヴィスムに影響を受ける。1946年新興日本美術展で読売賞。47年初個展。48年一燈美術賞。54年国画会会員。銀座フォルム画廊個展。自死。61歳。(出典 わ眼)
小出三郎(こいで・さぶろう/1908~1967年)  
大阪生れ。信濃橋洋画研究所で小出楢重、国枝金三、黒田重太郎に師事。1934年全関西展で全関西洋画協会賞。38年全関西洋画協会会員。独立美術協会賞。47年独立美術協会会員。汎美術家協会を結成。大阪で没。59歳。(出典 わ眼)
小柴錦侍 (こしば・きんじ/ 1889~1961年)    
東京生れ。1911年東京高等工芸学校卒。渡欧、ルーブル美術館学校、アカデミー・ランソンに学ぶ。20年帰国。20、22、26年帝展で特選。40年創元会創立会員。東京で没、71歳。(出典 わ眼)
児島善三郎(こじま・ぜんざぶろう/1893~1962年)  
福岡市生れ。本郷洋画研究所に通う。1922年二科賞。24~28年渡仏。28年二科展に滞欧作特陳、会友となる。30年独立美術協会の創立に参加。59年銀座松屋で自選展開催。現代日本美術展、日本国際美術展に出品。62年没。69歳。(出典 わ眼)
小島善太郎 (こじま・ぜんたろう/1892~1984年)
東京生れ。1910年絵を本格的に学び始める。安井曽太郎に師事。22~25年渡仏。23年サロン・ドートンヌ入選。26年「一九三〇協会」創立。27年二科賞。30年「独立美術協会」創立。東京日野市で没、91歳。(出典 わ眼)
児島凡平(こじま・ぼんぺい/1905~1998) 
愛媛県生れ。1951年、46歳の時、3匹のヤギを連れ松山から歩いて上京。画学校に通う。50歳で帰郷。60歳で再上京。職業、居所を転々とする。73歳で個展。79歳帰郷。97年故郷で個展。洲之内徹が作品紹介。98年没。92歳。(出典 わ眼)
五姓田芳柳(二世)(ごせだ・ほうりゅう/1864~1943年)
茨城県生れ。五姓田義松に師事。ワーグマンに師事。1880工部美術学校でサン・ジョバンニに師事。内国勧業博覧会に出品。89年明治美術会の創立に参加。1902年巴会会員。10年渡欧。東京で没。78歳。(出典 わ眼)
児玉幸雄 (こだま・ゆきお/1916~1992年)     
大阪市生れ。1939年関西学院大卒。47年大阪市展市長賞を受賞。同年二紀会創立に参加。57年渡欧、以後毎年渡欧する。三越、阪急、日動画廊、松屋で個展。東京で没、75歳。(出典 わ眼)
小寺健吉(こでら・けんきち/1887~1977年)  
岐阜県生れ。1911年東京美術学校西洋画科卒。14年光風会展で今村奨励賞。23年渡仏。24年光風会会員。27年再渡仏。28年帝展で特選。65年画業50年展開催。風景画を得意とする。70年日展参与。東京で没。90歳。(出典 わ眼)
後藤工志 (ごとう・こうし/1893~1929年)      
東京生れ。1908年日本水彩画会研究所で学ぶ。11年太平洋画会展、文展に入選。13年日本水彩画会の創立に参加。14年光風会展に出品。16、17年今村奨励賞、18年光風会会員。28年帝展に水彩で特選。29年没、36歳。(出典 わ眼)
後藤工志Ⅱ(ごとう・こうし/1893~1929年)  
東京生れ。日本水彩画会研究所で大下藤次郎らに学ぶ。太平洋画会展、文展に入選。1913年日本水彩画会の結成に参加。光風会に出品、今村奨励賞、光風会会員。帝展で特選。29年没。36歳。(出典 わ眼)
此木三紅大(三男) (このき・みくお/1937年~)    
東京生れ。武蔵野美術大学、ローマ・アカデミヤ美術大学卒。1976年青枢会創立。油画、彫刻を制作。95年那須高原私
の美術館。98年松山庭園美術館、2010年ほくさい美術館が開館。06年上海朱屺瞻芸術館、08年瀋陽国立魯迅美術大学美術館で個展。(出典 わ眼)
小堀四郎(こぼり・しろう/1902~1998)  
名古屋市生れ。1927年東京美術学校西洋画科卒。28年渡欧。33年帝展入選。34年森鴎外の次女・杏奴と結婚。35年帝展の松田改組に失望し、官展を離れて独自の制作に打ち込む。86年渋谷区立松濤美術館で個展。98年没。96歳。(出典 わ眼)
駒井哲郎(こまい・てつろう/1920~1976年)  
東京生れ。銅版画家。1942年東京美術学校卒。戦後ルガノ、サンパウロ・ビエンナーレで受賞。春陽会会員。72年東京藝術大学教授。長谷川潔、浜口陽三と並ぶ銅版画の先達。夢と現実を結ぶ文学性の高い作品を制作。76年没。56歳。(出典 わ眼)
小松義雄(こまつ・よしお/1904~1999年)  
東京生れ。昭和期の洋画家・抽象画家。慶應義塾大学仏文学部卒業。渡仏。ピカソに影響を受ける。1939年銀座三越で個展。自由美術家協会会員。個展を重ねる。50年モダンアート協会創立に参加。72年日動画廊で個展。99年没。95歳。(出典 わ眼)
古茂田守介 (こもだ・もりすけ/1918~1960年)   
愛媛県生れ。1937年上京。猪熊弦一郎、脇田和に師事。中央大学中退。50年新制作派協会会員。美術団体連合展、国際具象美術展、日本アンデパンダン展に出品。具象絵画を追究。フォルムの求道者。東京で没、42歳。(出典 わ眼)
小山周次 (こやま・しゅうじ/1885~1967年)   
長野県小諸生れ。1900年小諸義塾で島崎藤村、三宅克己に学ぶ。02年丸山晩霞に師事。10年日本水彩画研究所入所、11年幹事。13年日本水彩画会の創立に参加。評議員。17年より二科展に出品。東京で没、82歳。(出典 わ眼)

さ(8)
斎藤与里 (さいとう・より/1885~1959年)   
埼玉県生れ。聖護院洋画研究所に学ぶ。1906~08年渡仏。帰国後、後期印象派を紹介。12年ヒュウザン会(後のフュウザン会)
を結成。文展で特選。第8回帝展で特選。春陽会会員。槐樹会創立会員。東光会創立会員。帝展、日展の審査員。59年没。73歳。(出典 わ眼)
坂本善三 (さかもと・ぜんぞう/1911~1987年)
熊本県阿蘇生れ。本郷洋画研究所に学ぶ。1931~34年帝国美術学校中退。47年独立賞。49年独立美術協会会員。57~59年渡欧。68年九州産業大学教授。85年熊本県立美術館で回顧展を開催。熊本で没、76歳。(出典 わ眼)
桜井浜江 (さくらい・はまえ/1908~2007年)    
山形市生れ。1928「一九三〇年協会」の洋画研究所で学ぶ。里見勝蔵に師事。47年女流画家協会を設立。48年独立賞。54年独立美術協会会員。79年山形美術博物館、95年青梅市立美術館で個展。東京で没、98歳。(出典 わ眼)
里見勝蔵(さとみ・かつぞう/1895~1981年) 
京都生れの洋画家。関西美術院に通う。1919年東京美術学校卒。21~25年渡仏し、ヴラマンクに師事。26年「一九三〇年協会」創立会員。27年二科賞。30年二科会員、独立美術協会創立会員。59年国画会会員。81年没。85歳。(出典 わ眼)
真田久吉(さなだ・ひさきち/1884~不詳)   
東京生れ。白馬会に学ぶ。1909年、東京美術学校卒。12年、フュウザン会設立に参加、第1、2回展出品。16年、斎藤与里、萬鉄五郎らと日本美術協会を設立。26年春陽会会友。(出典 わ眼)
佐分 眞(さぶり・まこと/1898~1936年)   
名古屋市生れ。川端画学校に学ぶ。東京美術学校西洋画科卒。1925年白日会展で白日賞、後に会員となる。26年光風会賞、会員。27~30年渡仏。リアリズムに立脚した堅実な画風。31、33、34年帝展で特選。自死。37歳。(出典 わ眼)
澤田利一(さわだ・りいち/1932~2002年)   
埼玉県生れ。1954年埼玉大学教育学部美術科卒。斉藤与里に師事し、埼玉県知事賞(洋画2回・彫刻1回)を受賞。埼玉県立近代美術館学芸部長、副館長。博物館の振興に貢献、文部大臣表彰を授与される。2002年没。70歳。(出典 わ眼)
澤部清五郎 (さわべ・せいごろう/1884~1964年)
京都市生れ。1904年聖護院洋画研究所で浅井忠に師事。06年関西美術院に移り出品。07年文展に入選。10~13年渡米、渡欧。帰国後、関西美術院教授。川島織物に勤務、図案を制作する。64年没、80歳。(出典 わ眼)

し(8)
品川 工(しながわ・たくみ/1908~2009年)   新潟県生れ。1935年恩地孝四郎に木版画を師事。49年国画会会員。52年海外版画展出品。96年練馬区立美術館で「品川工・山口勝弘・現代美術の手法展」、2008年同美術館で「生誕100年記念 品川工展」。09年没。101歳。(出典 わ眼)
篠田桃紅 (しのだ・とうこう/1913年~ )   中国大連生れ。下野雪堂に書を学ぶ。1936年鳩居堂で個展。47年抽象作品制作。51~56年書道芸術院に所属。56~58年渡
米。積極的に個展を開催。61年「ピッツバーグ国際現代絵画彫刻展で特選。92年岐阜県立美術館で個展。(出典 わ眼)
篠原新三 (しのはら・しんぞう/1889~1966年)   長野市生れ。1909年日本水彩画会研究所に入所。丸山晩霞、木下藤次郎に学ぶ。13年日本水彩画会創立に発起人とし
て参加。南薫造、石井柏亭に師事。47年日展委員。日本水彩画会名誉会員。北信美術会顧問。長野で没、75歳。(出典 わ眼)
芝田米三(しばた・よねぞう/1926~2006年)  京都生れ。須田国太郎に師事。1950年独立賞。58年独立美術協会会員。63年安井賞。65年初渡欧。74年安井賞選考委員。
日本芸術院嘗を受賞、日本芸術院会員。99年勲三等瑞宝章受章。金沢美術工芸大学教授。2006年没。79歳。(出典 わ眼)
島崎蓊助(しまざき・おうすけ/1908~1992)  東京生れ。島崎藤村の三男。川端画学校に学ぶ。1927年日本プロレタリア美術家同盟に参加。「新風土」を創刊。44年報道班として中国へ。51年引き揚げ。新聞の挿絵や本の装丁を手掛ける。渡独。92年没。83歳。(出典 わ眼)
嶋田しづ (しまだ・しづ/1923年~ )   樺太生れ。1942年女子美術専門学校師範科西洋画部卒。45年早稲田大学文学部美術史家東洋美術史専攻修了。57年二紀会最優秀賞を受賞。58~78年パリ在住。2007年池田20世紀美術館にて個展を開催する。(出典 わ眼)
下村良之介(しもむら・りょうのすけ/1923~1998年)  大阪市生れ。1943年京都市立絵画専門学校卒。49年パンリアル美術協会会員。指導的役割を果たす。日本画、銅版画、彫刻、舞台美術を手がける。61年丸善石油芸術奨励賞(留学賞)で渡欧。日本国際美術展、現代日本美術展に出品。98年没。75歳。(出典 わ眼)
清水良雄 (しみず・よしお/1891~1954年)  東京生れ。1912年光風会展に入選。13年文展に初入選。16年東京美術学校西洋画科卒。17~18年文展特選。18年創刊の「赤い鳥」に挿絵を描く。19、22年帝展特選。27年光風会会員。50年広島大学講師。広島で没、62歳。(出典 わ眼)

す(8)
菅 創𠮷 (すが・そうきち/1905~1982年) 
姫路市生れ。絵は独学。カット、政治漫画、図案で生計をたてる。戦後、新聞挿絵を描く。1960年現代画廊個展。63~72年渡米。ロス、シスコ、NYで個展。永住権取得。ユーモラスな形と禁欲的な色彩の中に鋭い洞察深い認識を見せる。東京で没。77歳。(出典 わ眼)
菅 楯彦 (すが・たてひこ/1878~1963年)     
鳥取市生れ。父に日本画学ぶ。1912年大正美術会設立に参加。最も大阪らしい画家。58年日本芸術院恩賜賞受賞(日本画家としては初めて)。62年初の大阪名誉市民。63年没、85歳。(出典 わ眼)
菅野圭介 (すがの・けいすけ/1909~1963年)   
東京生れ。京都帝国大学文学部中退。1935~37年欧州巡遊。フランドランに師事。38年独立美術協会賞を受賞。41年日動画廊で個展。43年独立美術協会会員。52年渡米、ブラジルを経て欧州へ、同年帰国。東京で没、53歳。(出典 わ眼)
鈴木信太郎 (すずき・しんたろう/1895~1989年)  
東京八王子生れ。白馬会溜池洋画研究所で学ぶ。1916年文展初入選。26年二科会展樗牛賞。36~54年二科会会員。55年一陽会を結成。60年日本芸術院賞を受賞。69年日本芸術院会員。89年東京で没、93歳。(出典 わ眼)
須田輝洲(すだ・きしゅう/生没年不詳)  
1893年明治美術会第5回展に出品。97年入場有料で「百美人油絵展」を丹羽林平と開催(東両国江東館)。98年明治美術会創立十周年記念展に出品。作品所蔵先:山岡コレクション、徳川記念財団。師、生没年不詳。(出典 わ眼)
須田国太郎(すだ・くにたろう/1891~1961年)   
京都市生れ。絵画は独学。京都帝国大学哲学科で美学、美術史を学ぶ。関西美術院に通う。1919~23年渡欧。関西美術院に出品。独立美術協会会員。47年日本芸術院会員。50~60年京都市立美術大学教授。61年没。70歳。(出典 わ眼)
須田 寿 (すだ・ひさし/1906~2005年)          
東京生れ。31年東京美術学校西洋画科卒。官展に出品。49年立軌会創立に参加。54年渡欧。65年武蔵野美術大学教授。85年芸術選奨文部大臣賞を受賞。東京で没、98歳。(出典 わ眼)
砂澤ビッキ(すなざわ・びっき/1931~1989年)  旭川市生れの彫刻家。1953年土産物の木彫に従事。55年モダンアート展で絵画が入選。翌56年には彫刻に転向し、大胆に
して繊細、原始的にしてモダンなビッキ独自の作風を確立。世界的に高い評価を受けた異才。89年没。57歳。(出典 わ眼)

せ(1)
清宮質文 (せいみや・なおぶみ/1917~1991年) 
東京生れ。父は画家の清宮彬。同舟舎に学ぶ。東京美術学校油画科卒。慶應義塾工業学校の美術教師を務める。1957年春陽会会員。サエグサ画廊・南天子画廊・フォルム画廊等で個展。木版画、ガラス絵等を制作。東京で没、73歳。(出典 わ眼)

そ(2)
相馬其一(そうま・きいち/1885~1966年)  
新発田生れ。1905年上京。白馬会洋画研究所に学ぶ。新光洋画会創立会員。19~20年帝展連続特選。21~23年渡欧。光風会会員。白日会創立会員。浦和に教室を開く。27~28年再渡欧。長野県に疎開。長野で没。81歳。(出典 わ眼)
曽宮一念 (そうみや・いちねん/1893~1994年) 
東京生れ。1916年東京美術学校西洋画科卒。19年光風会で今村奨励賞。25年二科展で樗牛賞。二科会、独立美術協会所属の後、国画会会員。65年視力障害により会を退会。画業を廃した後も文筆家として活躍した。富士宮市で没、101歳。(出典 わ眼)

た(12)
高木義夫 (たかぎ・よしお/1923~2001年)  
東京生れ。1941年伊東深水に師事。59、61年日展特選。63年日展菊華賞。69年日展白寿賞。76年高山辰雄に師事。78年日展総理大臣賞。92年勲三等瑞宝章。日本美術院同人、同理事。東京で没、78歳。(出典 わ眼)
高島野十郎(たかしま・やじゅうろう/1890~1975年) 福岡県生れ。大正 - 昭和の洋画家。東京帝国大学大水産学科卒。独学で絵を学ぶ。透徹した精神性でひたすら写実を追求し、孤高の人生を送った。1928年黒牛会展に出品。50年示現会展に出品。59年丸善で個展。柏で没。85歳。(出典 わ眼)
髙野卯港(たかの・うこう/1948~2008年)  
鹿児島市生れ。和気史郎に学ぶ。大阪市立美術研究所に学ぶ。1976年労美展で大阪市賞。個展中心に発表する。洲之内徹の現代画廊で個展。渡仏。海文堂ギャラリーで個展。2008年没。59歳。島田画廊、神戸わたくし美術館で個展。(出典 わ眼)
タカハシ・ノブオ (たかはし・のぶお/1914~1994年)
徳島県生れ。船員として働きながら、洋画家・今井朝路に師事。二度従軍。神戸港で冲仲仕を務める。独特の画風を
確立。エーゲ画廊で個展。1970年NHKTV「港湾の画家」に出演。94年没、80歳。(出典 わ眼)
武井直也(たけい・なおや/1893~1940年)  
長野生れの彫刻家。1914年戸張孤雁に師事。18年院展初入選。20年東京美術学校卒。24~27年渡仏。ブールデルに師事。院展に滞仏作出品。32年日本美術院同人。36年日本彫刻協会創立に参加。40年腸チフスにて急逝。47歳。(出典 わ眼)
武内鶴之助(たけうち・つるのすけ/1881~1948年) 横浜生れ。白馬会洋画研究所に学ぶ。1909~13年渡英。ブラングィン、スワン、クイン、イースト、スタットに師事。ロイヤル・アカデミーやインスティテュートに入選。13年帝国ホテルで個展。日本パステル画会顧問。48年没。66歳。(出典 わ眼)
建畠大夢(たてはた・たいむ/1880~1942年)  
和歌山生れの彫刻家。京市美入学後、1907年に東京美術学校に転入。08年に文展三等初入選。17年「八つ手会」、21年「曠原社」を結成。20年東美教授。朝倉文夫、北村四海とともに官展三羽烏と目された。彫刻家の覚造は長男。42年没。62歳。(出典 わ眼)
竹久夢二(たけひさ・ゆめじ/1884~1934年) 岡山県生れ。早稲田実業学校卒。新聞雑誌のコマ絵、装填、挿画、図案も手掛けた。1909年画集「夢二画集 春の巻」を刊行。12年夢二作品展覧会開催。美人画が一世を風靡する。31年渡米、渡欧。信州で没。49歳。各地に夢二美術館がある。(出典 わ眼)
田中寅三 (たなか・とらぞう/ 1878~1961年)   
愛媛県生れ。1895年明治美術学校に学ぶ。96年天真道場に学ぶ。97年白馬会展出品。99年東京美術学校西洋画科卒。
1938年から日動画廊ほかで個展。松戸で没、83歳。(出典 わ眼)
田中 保(たなか・やすし/1886~1941年)  
埼玉県生れ。1904年渡米。シアトルのフォッコ・タダマの画塾で学ぶ。個展で発表。20~41年渡仏。パリでエコール・ド・パリの画家と交友。29年ソシエテ・ナショナル・デ・ボザール会員。「裸婦のタナカ」と称される。41年没。54歳。(出典 わ眼)
谷中安規 (たになか・やすのり/1897~1946年) 
奈良県生れ。木版画家。永瀬義郎「版画を作る人」から影響を受ける。1931年日本版画協会の結成に参加。32年版画誌「白と黒」「版芸術」の同人となり、幻想的な画風や都会の情景をとらえた作品を発表。終戦の翌年、東京で没。 49歳。(出典 わ眼)
田淵安一(たぶち・やすかず/1921~2009年)  
福岡県生れ。洋画家、猪熊弦一郎に師事。東京大学美術史卒後フランス留学、同地に定住。1985年フランス政府よりオフィッシェ勲章。和漢洋の伝統を踏まえ、鮮明な色彩による抽象画を発表。パリで没。88歳。(出典 わ眼)
玉之内満雄(たまのうち・みつお/1929~1997年)  
埼玉県生れ。寺内萬次郎、尾島薫に師事。埼玉師範学校卒。旺玄会会員。1958年丸善で第1回個展。68~69年渡仏、各サロン出品。72~94年小田急で連年個展。76年渡仏、パリで個展、以降度々渡仏。紺綬褒章2回。97年没。68歳。(出典 わ眼)

ちつ(3)
鳥海青児(ちょうかい・せいじ/1902~1972年)  
平塚市生れ。金子保に学ぶ。関西大学経済学部卒。1928年春陽会賞。30~33年渡欧。33年春陽会会員、43年独立美術協会会員。56年芸術選奨文部大臣賞。58年現代日本美術展で最優秀賞、59年毎日美術賞。72年没。70歳。(出典 わ眼)
津高和一 (つたか・わいち/1911~1995年)     
兵庫県西宮生れ。中之島洋画研究所に通う。1952~64年行動美術協会会員。68~85年大阪芸術大学教授を務める。67年兵庫県文化嘗、86年大阪芸術賞を受賞。西宮で没、83歳。(出典 わ眼)
鶴田吾郎 (つるた・ごろう/1890~1969年)      
東京生れ。1906年白馬会洋画研究所に通い、中村彝らと親交。20年エロシェンコ像が帝展入選。25年太平洋美術学校教授。30年渡欧。従軍画家。アカデミー46美術研究所を開設。示現会創立会員。東京で没、78歳。(出典 わ眼)

て(1)
寺田政明 (てらだ・まさあき/ 1912~1989年)   
福岡県八幡生れ。太平洋美術学校で学ぶ。独立展、NOVA展に出品。1936年エコール・ド・東京結成。37年独立美術協会賞。39~49年美術文化協会結成。43年新人画会結成。50~64年自由美術家協会会員。64年主体美術協会結成。東京で没、77歳。(出典 わ眼)

と(3)
遠山五郎 (とおやま・ごろう/1888~1928年)   
福岡生れ。1911年文展初入選、14年東京美術学校卒。同年渡米。19年ニューヨークに学ぶ。20~22年渡欧。ゲランに師事。仏官展に入選。22年帝展で特選。23年光風会会員。中村彜の肖像画を描く。東京で没、40歳。(出典 わ眼)
戸田海笛(とだ・かいてき/1888~1931年)   
鳥取生れの彫刻家。1909年上京し、米原雲海に入門し内弟子となる。東京美術学校の聴講生となり、岡倉天心の指導も受けた。15年文展にて木彫「サロメ」が初入選、以後入選を重ねる。23年渡仏し、志半ばで客死。42歳。(出典 わ眼)
都鳥英喜 (ととり・えいき/ 1873~1943年)    
千葉県佐倉生れ。浅井忠に洋画を学ぶ。1891年明治美術会会員。1901年太平洋画会創立会員。06年関西美術院教授。19~21年渡欧。30~41年京都高等工芸学校教授。京都で没、69歳。(出典 わ眼)

な(13)
中沢弘光(なかざわ・ひろみつ/1874~1964年) 
東京生れ。1887年曾山幸彦、堀江正章に師事。東京美術学校西洋画科卒。白馬会創立に参加。文展二、三等賞。1912年光風会創立会員。22年渡欧。24年白日会創立会員。37年帝国芸術院会員。57年文化功労者。64年没。90歳。(出典 わ眼)
仲田菊代〔好江〕 (なかだ・きくよ〔よしえ〕/ 1902-1995 年) 
大阪生れ。小出楢重、安井曽太郎に師事。一水会会員。1942年一水会で岡田賞を受賞。47年女流画家協会創立会員。戦後、独特で幻想的な画風を確立する。84年池田20世紀美術館で個展。東京・三鷹で没、93歳。(出典 わ眼)
仲田菊代〔好江〕Ⅱ(なかだ・きくよ〔よしえ〕/ 1902-1995 年) 大阪生れ。小出楢重、安井曽太郎に師事。一水会会員。一水会で岡田賞を受賞。女流画家協会創立会員。1951年菊代から好江に改名。戦後、独特で幻想的な画風を確立する。女流画家の草分けとして活躍した。95 年没。93歳。(出典 わ眼)
永田精二(ながた・せいじ/1911~1997年)   
東京生れ。東京美術学校卒。藤島武二、寺内萬治郎らに師事する。光風会評議委員。元日展委嘱。渡欧米数回。画集『永田精二50年の歩み』を出版する。97年没。86歳。(出典 わ眼)
永地秀太 (ながとち・ひでた/1873~1942年)   
山口県生れ。松岡寿に師事。明治美術会教場で学ぶ。1902年太平洋画会創立会員。09年文展で褒状。13年文展で三等賞。20年文部省在外研究員として海外視察。 帰国後、東京高等工芸学校教授。東京で没、69歳。(出典 わ眼)
中西利雄(なかにし・としお/1900~1948年) 
東京生れ。光風会賞。東京美術学校西洋画科卒。日本水彩展、光風会展、帝展などに出品。1928~31年渡仏。サロン・ドートンヌに入選。帝展で特選。新制作派協会を小磯良平らと結成。日本水彩画会展に出品。48年没。47歳。(出典 わ眼)
中野和高(なかの・かずたか/1896~1965年)  
愛知県生れ。白馬会葵橋洋画研究所に通う。1921年東京美術学校西洋画科卒。23~27年渡欧。「一九三〇年協会」会員。27,28年帝展で特選。帝国美術学校教授。40年創元会創立会員。58年日本芸術院嘗。65年没。68歳。(出典 わ眼)
中間冊夫(なかま・さつお/1908~1985年)  
鹿児島生れ。川端画学校に学ぶ。「一九三〇年協会展」でH氏奨励賞。二科会展、独立展に出品。36年独立賞。40年独立美術協会会員。欅会、十果会を結成。武蔵野美術大学教授。フォーヴィスムを追求する。東京で没。76歳。(出典 わ眼)
中村研一 (なかむら・けんいち/1895~1967年)   
福岡県生れ。鹿子木孟郎の内弟子。本郷洋画研究所に通う。1920年東京美術学校西洋画科卒。帝展で特選。23~28年渡仏。サロン・ドートンヌ会員。帝展で連続特選。帝国美術院賞を受賞。50年日本芸術院会員。東京で没、72歳。(出典 わ眼)
中村忠二 (なかむら・ちゅうじ/1898~1975年)  
兵庫県生れ。1918年上京。日本美術学校入学。28年詩集「願望」を出版。白日会展、光風会展、国画会展に入選。36年文展鑑査展に入選。51年日本水彩連盟会員。58年よりモノタイプで虫や花の作品を制作。75年没、77歳。(出典 わ眼)
中村正義 (なかむら・まさよし/1924~1977年)  
豊橋市生れ。1946年中村岳陵に師事、日展初入選。50,52年特選。60年新日展審査員。61年日展を脱退。守旧派に対抗、旧画風を一新し斬新な作品を制作。73年人人会を結成。75年東京展を立ち挙げる。川崎の病院で没、52歳。(出典 わ眼)
中村正義Ⅱ(なかむら・まさよし/1924~1977年)豊橋市生れ。戦後の荒廃した日展に彗星のように登場し、一度の落選もなく出品回数10回で特選2回、遂に審査員に上り詰め若輩で日展会員となる。日展を離脱。日本画改革の先頭に立ち因習と戦い憤死する。52歳。(出典 わ眼)
中村義夫(なかむら・よしお/1889~1957年)  
兵庫県生れ。1905年松原三五郎に師事。17年東京美術学校卒。21~26年渡欧。アマン・ジャンに師事。サロン・ドートンヌに入選。大阪美術研究会を設立。志賀直哉らと交友。35年大阪パステル画会を指導。57年没。68歳。(出典 わ眼)
中山 巍(なかやま・たかし/1893~1978年)    
岡山生れの洋画家。1919年帝展初入選。東京美術学校卒。22~28年渡仏。里見勝蔵、前田寛治らと交友。28年二科賞。
30年独立美術創立会員。46年女子美術大学教授。52年日本芸術院賞。独立美術協会の重鎮。78年没。84歳。(出典 わ眼)
南城一夫 (なんじょう・かずお/1900~1986年)  
前橋市生れ。本郷絵画研究所に学ぶ。東京美術学校西洋画科卒。1924~37年渡仏。ロジェ・ビシエール、アンドレ・ロートに学ぶ。42年春陽会会員。兜屋画廊等で個展を開催。81年群馬県立近代美術館で南城一夫展。安中市で没、85歳。(出典 わ眼)

に(2)
西村宣造 (にしむら・せんぞう/1943~2012年)    
大阪生れ。1974~78年パリに遊学。個展中心に発表。2012年没、69歳。(出典 わ眼)
西脇順三郎 (にしわき・じゅんざぶろう/1894~1982年)長野県生れ。藤島武二に師事。1917年慶應義塾大学卒。文学活動を行い、海外文学の紹介に努める。近代詩に足跡を残した。61年日本芸術院会員。71年文化功労賞。詩人の余技をこえた絵画を制作した。新潟で没、88歳。(出典 わ眼)

の(4)
野口謙蔵 (のぐち・けんぞう/1901~1944年)   
滋賀県生れ。1924年東京美術学校西洋画科卒。黒田清輝、和田英作に師事。郷里に戻り、蒲生野の風物を描いた。平福百穂の指導を受けた。31、33、34年帝展で特選。34年東光会会員。43年新文展審査員。滋賀県で没、43歳。(出典 わ眼)
野口彌太郎 (のぐち・やたろう/1899~1976年)  
東京生れ。川端画学校に学ぶ。1922年二科展に初入選。26年「一九三〇年協会」会員。29~33年渡仏。33年独立美術協会会員。52~70年日大芸術学部教授を務める。75年日本芸術院会員。東京で没、76歳。(出典 わ眼)
野田哲也 (のだ・てつや/1940年~ )     
熊本県不知火生れ。東京藝術大学院絵画研究科油絵専攻修了。1968年東京国際版画ビエンナーレ国際大賞を受賞。91年東京藝術大学教授。2014年大英博物館で半年間個展を開催。東京藝術大学名誉教授。(出典 わ眼)
野見山暁治 (のみやま・ぎょうじ/1920年~)      
福岡県生れ。1943年東京美術学校洋画科卒。52年渡仏。58年安井賞受賞。64年帰国。68年東京藝術大学助教授、後に教授となる。81年藝大を辞職。97年「無言館」設立に尽力。2000年文化功労賞、14年文化勲章を受章。(出典 わ眼)

は(8)
萩谷 巌 (はぎのや・いわお/1891~1979年)   
福岡県生れ。1908年白馬会葵橋美術研究所に学ぶ。18~20年光風会展に出品。22年渡仏。シャルル・ゲランに師事。サロン・ドートンヌ会員。再三渡仏。個展中心に活動する。東京で没、88歳。(出典 わ眼)
長谷川潔 (はせがわ・きよし/1891~1980年)   横浜市生れ。1913年板目木版画、銅版画を制作。18年渡仏。マニエール・ノワールを復興する。31年日本版画家協会創立会員。66年フランス文化勲章。80年京都国立近代美術館で回顧展、パリで没、89歳。(出典 わ眼)
長谷川利行 (はせがわ・としゆき/1891~1940年) 
京都生れ。1926年帝展、二科展入選。27年二科展樗牛賞。「一九三〇年協会」展で奨励賞。里見勝蔵、靉光、麻生三郎、井上長三郎らと交遊。日本的フォーヴィスト。天城画廊で個展。40年没、49歳。69年上野不忍池に「利行碑」建立。(出典 わ眼)
長谷川利行Ⅱ(はせがわ・としゆき/1891~1940年)  
京都生れ。1919年私家版歌集「長谷川木葦集」刊行。21年上京、矢野文夫と出会う。23年個人雑誌「火岸」第一輯「大火の岸に距りて歌へる」を自費出版。26年第2回「一九三〇年協会展」入選(前田寛治、佐伯祐三、東郷青児、古賀春江、三岸好太郎らの評を得る)、第13回二科展入選。27年第3回「一九三〇年協会展」奨励賞、第14回二科展樗牛賞、里見勝蔵、靉光、麻生三郎、井上長三郎等と交遊。40年10月12日東京市養有院板橋本院にて胃癌により死去。69年上野不忍池弁天島に木村東介氏により「利行碑」建立、発起人に梅原龍三郎、揮毫は熊谷守一、有島生馬。(出典 わ眼)
長谷川潾二郎 (はせがわ・りんじろう/1904~1988年) 
北海道生れ。川端画学校に学ぶ。1931~32年渡仏。32年二科展入選。43年一水会展入選。34、37、39年日動画廊で個展。フォルム画廊、現代画廊等で個展。平明・静謐な画風で知られる。孤高な画家。東京で没、84歳。(出典 わ眼)
早川義孝 (はやかわ・ぎこう/1936~2012年)   
東京生れ。1954、55年日本学生油絵コンクールで文部大臣賞を受賞。武蔵野美術大学中退。62年新槐樹社展で内閣総理大臣賞、文部大臣賞、栄誉賞を受賞。新槐樹社名誉会長。2012年没、76歳。(出典 わ眼)
林 倭衛(はやし・しずえ/1895~1945年)  
長野県生れ。日本水彩画研究所に学ぶ。1917年二科展で樗牛賞。18年二科賞。20年二科会会友。21~26年渡欧。26年春陽会会員。30年有島生馬の知遇を得る。36年国画会に出品。37年文展審査員。埼玉県で没。49歳。(出典 わ眼)
林田重正 (はやしだ・しげまさ/1918~1997年)   
長崎県諫早生れ。1942年美術工藝学院純粋美術科卒。42年紀伊国屋画廊個展。47年自由美術家協会会員。68年文芸春秋画廊で個展。企業の社内誌、美術部で指導。東京で没、78歳。
原 勝郎 (はら・かつろう/1889~1966年)      
千葉県大網白里町生れ。葵橋洋画研究所に学ぶ。1918年ハワイに渡り、20年渡米、22年渡欧。24年以降帰国する。39年までサロン・ドートンヌ展に出品。42年日動画廊で個展。49年新樹会会員。50年木内克と北荘画廊で二人展。東京で没、77歳。(出典 わ眼)

ひ(4)
土方久功 (ひじかた・ひさかつ/1900~1977年) 
東京生れの彫刻家。詩人、民俗学者としても有名。1924年東京美術学校卒。二科展、院展に石膏彫刻を出品。29年パラオに渡り各島の調査研究(南洋庁)。44年帰国後は、南洋に取材したテーマで個性的な木彫レリーフを制作。東京で没、77歳。(出典 わ眼)
兵頭和男 (ひょうどう・かずお/1920~2012年)   
横浜生れ。1942年独立展入選。一時帝国美術学校在籍。50年田近憲三氏と交友。日本橋三越で個展。92年東京セントラル絵画館で回顧展。2001年横浜文化嘗。12年没、92歳。
広幡 憲 (ひろはた・けん/1911~1948年)     
秋田県生れ。日本大学中退。プロレタリア美術研究所に学ぶ。藤田嗣治の助手を務める。1937年二科展に初入選。39年絶対象派協会の結成に参加。九室会に参加。46年二科会無鑑査。同年、自由美術協会に出品。立川で没、37歳。(出典 わ眼)
広本季與丸(ひろもと・きよまる/1908~1975年)
愛知県生れ。関西美術院で学ぶ。太平洋美術学校卒。1934年帝展に初入選。太平洋展で相馬賞。創元会運営委員。65年日展無鑑査。73年渡仏。温厚な人物画、静物画に特徴がある。75年没。67歳。(出典 わ眼)

ふ(8)
福井良之助 (ふくい・りょうのすけ/1923~1986年) 
東京生れ。1944年東京美術学校工芸科卒。54年自由美術協会展で佳作賞。55年孔版画を始める。59年初個展を開催。66年より度々渡欧。85年長谷川仁記念賞を受賞。相模原で没、62歳。(出典 わ眼)
福地敬治(ふくち・けいじ/1930~1997年)  
大阪生れ。1955年大阪市立美術研究所終了。56年春陽会研究賞。68年春陽会会員。69~71年関西女子美術短大専任講師。69年渡欧、通算7年。パリ市立美術研究所終了。銀座美術ジャーナル画廊、三越本店等で個展。97年没。66歳。(出典 わ眼)
藤井令太郎(ふじい・れいたろう/1913~1980年)  
長野市生れ。1937年帝国美術学校本科西洋画科卒。53年春陽会賞。54年春陽会会員。55年武蔵野美術大学教授。57年日本国際美術展で神奈川県立美術館賞。雄渾な筆致と堅固な画面構成で知られる。椅子の画家。80年没。66歳。(出典 わ眼)
藤田嗣治(ふじた・つぐはる/1886~1968年)  
東京生れ。東京美術学校西洋画科卒。白馬会に入選。1913年渡仏。モディリアニ、スーチンらと交友。33年サロン・ドートンヌ会員。二科会会員。戦争記録画を制作。帝国芸術院会員。55年氵氵仏国籍を得る。フランスで没。81歳。(出典 わ眼)
二見彰一 (ふたみ・しょういち/1932年~ )   
大阪生れ。1967年春陽会研究賞を受賞。71~88年春陽会会員。73~2011年日本版画協会会員。ドイツ中心にヨーロッパで銅版画家として活躍する。11年神奈川県近代美術館で個展。13年静岡県立美術館で個展。(出典 わ眼)
二見利節(ふたみ・としとき/1911~1976年) 
神奈川生れの洋画家。井上三網に師事。1933年春陽会、東光会に初入選。38年春陽会賞。38、39年と文展連続特選。41年新文展無鑑査。48年国画会会員。69年渡欧。紺綬褒章。76年没。65歳。湘南二宮町にふたみ記念館開館(出典 わ眼)
古嶋松之助 (ふるしま・まつのすけ/生没年不詳)    
洋画家。東条鉦太郎に師事。第二次大戦中、満州、中国北部中部に従軍画家として赴き、多くの軍事郵便絵はがきの原画を描いた。1941年第2回聖戦美術展、41~44年第5~8回海洋美術展に出品。(出典 わ眼)
普門 暁 (ふもん・ぎょう/1896~1972年)      
奈良市生れ。川端画学校に学ぶ。個展を開催、石井栢亭に認められる。1918年二科展に初入選。20年未来派美術協会を結成。27年産業美術研究所を設立。72年大阪で没、76歳。(出典 わ眼)

ほ(5)
星 襄一 (ほし・じょういち/1913~1979年)   新潟県生れ。1932年台南師範学校卒。版画を独習。52年日本版画協会会員。56年武蔵野美術学校西洋画科卒。59,61,6
3年国際版画ビエンナーレ出品。67年サンパウロ国際ビエンナーレ出品。60~76年国絵会会員。千葉で没、65歳。(出典 わ眼)
星野眞吾(ほしの・しんご/1923~1997年)豊川市生れ。日本画家。中村正義に出会い生涯の盟友となる。卓抜した技法の持ち主で、その質感と対象への肉薄は他の
追随を許さない。三上誠とパンリアル美術協会を興し絵画の革新を目指す。星野眞吾賞創設。愛知県で没。74歳。(出典 わ眼)
堀井英男 (ほりい・ひでお/1934~1994年)  茨城県潮来生れ。東京藝術大学美術専攻科(現・大学院)中退。独学で銅版画を習得する。1967年日本版画協会賞を受
賞。68年会員となる。76年創形美術版画科主任。91年創形美術学校校長。東京で没、60歳。(出典 わ眼)
堀 進二 (ほり・しんじ/1890~1978年)       東京生れ。1906年太平洋画研究所に入り、新海竹太郎に師事。11年太平洋画会展に出品、会員となる。16,17,18年文展で連続特選。57年太平洋画学校の復興に尽力し、校長を務める。東京で没、87歳。(出典 わ眼)
本荘 赳(ほんじょう・たけし/1906~1993年)    平塚市生れの洋画家。井上三綱、安田靫彦に師事。1935年春陽会初入選。40年春陽会賞、53年会員。西湘平塚地域の美術運動の中心者として活躍。古武士のような高邁な人格と静穏なる画風で知られる。93年没。87歳。(出典 わ眼)

ま(13 )
前田寛治 (まえだ・かんじ/1896~1930年)   
鳥取県生れ。1915年白馬会葵橋洋画研究所に学ぶ。21年東京美術学校西洋画科卒。二科会展、帝展に入選。22~25年渡仏。25、27年帝展で特選。26年「一九三〇年協会」を創立。東京で没、33歳。(出典 わ眼)
牧野義雄(まきの・よしお/1869~1956年)  愛知県生れ。名古屋英和学校卒。1893年渡米。97年渡英。ゴールドスミス美術学校卒。1907~09年カラー・オブ・ロンドン、パリ、ローマ刊行。34年資生堂個展。36年三越個展。42年帰国。著書多数。鎌倉で没。86歳。(出典 わ眼)
正木 隆 (まさき・たかし/1971−2004年)  
兵庫県生れ。1998年、武蔵野美術大学大学院修了。愛知県美術館「愉しき家展」、佐倉市立美術館「カオスモス展」に出品。1998年、パブリックコレクション;国立国際美術館、東京国立近代美術館、東京都現代美術館。2004年自死、33歳。(出典 わ眼)
正木 隆Ⅱ(まさき・たかし/1971−2004年)   
兵庫県生れ。1998年、武蔵野美術大学大学院修了。愛知県美術館「愉しき家」、佐倉市立美術館「カオスモス」へ出品。1998年、パブリックコレクション;国立国際美術館、埼玉県立近代美術館。2004年没。33歳。(出典 わ眼)
増田 誠 (ますだ・まこと/1920~1989年)        
山梨県生れ。一線美術会委員。1957年パリに定住。60年シェルブール国際展でグランプリ受賞。サロン・ドートンヌ会員、サロン・ナシヨナル・デ・ボザール会員。ル・サロンで金賞無鑑査。横浜で没、68歳。(出典 わ眼)
松田正平 (まつだ・しょうへい/1913~2004年)   
島根県生れ。1937年東京美術学校西洋画科卒。37~39年渡欧。42年国画奨学賞を受賞。51年国画会会員。フォルム画廊、現代画廊、菊川画廊等で個展を開催。87年山口県立美術館で回顧展。宇部市で没、91歳。(出典 わ眼)
松永敏太郎 (まつなが・としたろう/1918~1986年)   
埼玉県生れ。1936年東京美術学校本科油画科入学。藤島武二教室に入る。41年に斉藤与里に師事。47年東光会展で東光賞。48年東光会会員。68年日展で「晩秋の庭」が特選を受賞。86年没、68歳。(出典 わ眼)
松原三五郎 (まつばら・さんごろう/ 1864~1946年)
岡山市生れ。初代五姓田芳柳に師事。1885年岡山で画塾・天彩学舎を開設。90年大阪師範学校に転任。94,96年関西美術会を結成。1901年同会を京都に移す。04年天学舎を天彩画塾と改称。大阪で没、82歳。(出典 わ眼)
松村綾子 (まつむら・あやこ/ 1906~1983年)    
仙台生れ。関西美術院で都鳥英喜、黒田重太郎に師事。1937年二科特待。40年二科会友。紀元2600年奉祝美術展に出品。62年京都市展で受賞。その後、京都市展委員を務める。83年京都で没、77歳。(出典 わ眼)
松村光秀 (まつむら・こうしゅう/1937~2012年) 
京都市生れ。1952年京都の看板屋「竹松画房」で働く。絵は独学。京展、二科展に入選。京都祇園の都雅画廊で個展を開催。木彫も創る。2012年没、74歳。(出典 わ眼)
松本竣介(まつもと・しゅんすけ/1912~1948年)  
東京生れ。昭和期の洋画家。太平洋画研究所で学ぶ。麻生三郎、寺田政明と交友。1935年二科会初入選、40年に特待となる。九室会会員。43年靉光、麻生三郎らと新人画会を結成。47年自由美術家協会に出品。48年没。36歳。(出典 わ眼)
松山忠三 (まつやま・ちゅうぞう/1880~1954年)   
青森県生れ。水彩画講習所に学ぶ。太平洋画会展に4回出品。「みずゑ」に作品掲載。1911年渡英。ロイヤル・アカデミーを中心に出品を続け、英国で活躍。英国の美術雑誌に作品掲載。英国籍取得。英国で没、73歳。(出典 わ眼)
丸山晩霞(まるやま・ばんか/1867~1942年)  
長野県生れ。彰技堂に学ぶ。1890年内国勧業博覧会に出品。98年明治美術会記念展に出品。99~2001年渡米欧。01年太平洋画会創立会員。07年日本水彩画研究所を設立。13年日本水彩画会創立評議員。長崎で没。74歳。(出典 わ眼)
万羽 章 (まんば・あきら/1921~1991年)      
長野市生れ。篠原新三、辻村八五郎に師事。中学校などで教員をしながら光風会、日展に出品。1961年光風会会員。長野市で没。70歳。(出典 わ眼)

み(17 )
三尾公三 (みお・こうぞう/1923~2000年) 
名古屋市生れ。1942年京都市立絵画専門学校日本画予科卒。53年光風賞を受賞。59年光風会会員。69年サンパウロ・ビエンナーレ日本代表出品。96年芸術選奨文部大臣賞。京都で没。76歳。(出典 わ眼)
三上 誠(みかみ・まこと/1919~1972年)  
大阪市生れ。京都市立絵画専門学校を卒業。1949年星野眞吾らとパンリアル美術協会を結成。51年パンリアル美術協会会長。日本画、コラージュを制作。52年結核、手術。福井大学学芸部非常勤講師。福井県文化芸術賞。72年没。52歳。(出典 わ眼)
三岸好太郎 (みぎし・こうたろう/1903~1934年)  
札幌生れ。1924年春陽会賞。横堀角次郎らと麗人社を結成。吉田節子と結婚。30年独立美術協会創立会員。名古屋で没、31歳。77年北海道立三岸好太郎美術館が開館。(出典 わ眼)
三岸黄太郎(みぎし・こうたろう/1930~2009年)  
東京生れ。父は洋画家・三岸好太郎、母は三岸節子。1953~55年渡仏。兜屋画廊、大阪梅田画廊で個展。56年新樹会会員。昭和会展招待出品。東邦画廊、日本橋三越、日動画廊、高島屋等で個展。2009年没。79歳。(出典 わ眼)
三岸節子 (みぎし・せつこ/1905~1999年)     
愛知県生れ。吉田節子。1924年女子美術学校を首席で卒業。三岸好太郎と結婚。独立美術協会に出品。39年新制作派協会会員。47年女流画家協会創立に参加。68~89年フランスへ移住。94年文化功労者。大磯で没、94歳。(出典 わ眼)
御厨純一 (みくりや・じゅんいち/1887~1948年) 
佐賀市生れ。白馬会第二研究所に通う。1912年東京美術学校西洋画科卒。20年帝展に初入選。26~28年渡仏。29年第一美術協会会員。37年海洋美術会創立会員。従軍画家。東京で没、60歳。(出典 わ眼)
三迫星洲 (みさこ・せいしゅう/生没年不詳)      
従軍画家、探検画家と称した外地風景風俗絵葉書で知られる。取材地は1917年朝鮮半島、31年露満国境ゴビ沙漠、32~33年満州事変従軍、34年南洋諸島、35年満州、36~37年北支、39年台湾、40年大東亜共栄圏の東南アジア各地。(出典 わ眼)
水木伸一 (みずき・しんいち/1892~1988年)    
松山市生れ。太平洋会研究所に学ぶ。1914、15年第1回、第2回二科会展に入選。15~20年院展洋画部に出品。第3回院展で奨励賞。渡欧。21年光風会展で今村奨励賞。日本水彩画会会員。88年没、96歳。(出典 わ眼)
水野 朝 (みずの・あさ/1945年~ )    
名古屋市生れ。1959年中村正義に師事。無所属。68年日本画廊で個展。84年羽黒洞の企画により朝日アートギャラリーで個展。2000年「水野朝画集」刊行。09年画業50年記念の個展を、羽黒洞、日本画廊、梅野記念絵画館等で開催。(出典 わ眼)
御園 繁(みその・しげる/生没年不詳) 
1877年頃、石版画の制作を始める。79年渡辺文三郎らと旅行。明治美術会員。81年第2回内国勧業博覧会で褒章。87年東京府主催工芸品共進会に出品。90年第3回内国勧業博覧会に出品。陸軍助教授。1903年振式学校図画教員。(出典 わ眼)
三井良太郎(みつい・りょうたろう/1890~1937年) 
東京生れ。白馬会溜池入門、黒田清輝に師事。1908年同葵橋洋画研究所幹事。16年渡満、大連洋画研究所を設立。満鉄沿線で巡回指導。22年満鉄事務嘱託。27~36年渡仏。37年再渡満、新京洋画同好会を開設。新京で没。47歳。(出典 わ眼)
峰村リツ子(みねむら・りつこ/1907~1995年) 
新潟県生れ。太平洋画会研究所に学ぶ。独立展に出品。フォーヴィスムの影響を受ける。1934年三岸節子らと女艸会を結成。美術文化協会展、女流作家協会展(会員)、自由美術家協会展に出品。80年より度々現代画廊で個展。95年没。88歳。(出典 わ眼)
箕口 博(みのぐち・ひろし/1923~1977年)  
長野県生れ。1959年上京。日本彫塑展、二科展、日展入選。60年日彫展会員。二科展に「虚No1」出品。以後「虚」シリーズを制作。62年記号派美術協会創立会員。65年東京ときわ画廊で個展。以後、個展を中心に発表。77年没。54歳。(出典 わ眼)
三宅克己 (みやけ・こっき/1874~1954年)    
徳島市生れ。大野幸彦(改姓前は曾山幸彦)、原田直次郎に師事。1897、98年渡欧米、渡欧。99年白馬会会員。1908,09年文展で三等賞。12年光風会創立会員。15年文展二等賞。51年日本芸術院賞恩賜賞。真鶴で没、80歳。(出典 わ眼)
宮崎 進 (みやざき・しん/1922年~ )    山口県生れ。1942年日本美術学校卒。45~49年シベリア抑留を経験。60年光風会賞。63年光風会会員。65年日展特選。67年安井賞。81~92年多摩美術大学教授。98年芸術選奨文部大臣賞。多摩美術大学美術館館長。(出典 わ眼)
宮下勝行(みやした・まさつら/1932~2010年)  
東京生れ。東京藝術大学油画科卒。深沢幸雄に銅版画を師事。シェル美術賞受賞。坂崎乙郎、ヨシダ・ヨシエ、瀬木慎一の各企画展に出品。1996年紀伊國屋画廊、00~03年青木画廊で個展。10年没。78歳。11年紀伊國屋画廊で遺作展。(出典 わ眼)
宮本恒平 (みやもと・こうへい/1890~1965年)  東京生れ。1920年東京美術学校西洋画科卒。21~23年外遊。26~29年帝展に出品。30~36年渡欧、渡米。帰国後、春台美術展、太平洋画展、光風展に出品。65年没、74歳。(出典 わ眼)

む(2)
村井正誠 (むらい・まさなり/1905~1999年)  
岐阜県大垣生れ。1928年文化学院大学美術科卒。28~32年渡仏。37年自由美術家協会創立。50年モダンアート協会を創立。54年、武蔵野美術大学教授。73年神奈川県立美術館で個展。東京で没、93歳。(出典 わ眼)
村上肥出夫 (むらかみ・ひでお/1933年~ )    
岐阜県土岐生れ。独学。1961年彫刻家本郷新に見出され、兜屋画廊を紹介される。63年渡仏、64年渡米、72年渡仏。71年川端康成から個展の評論を得る。79年岐阜県下呂温泉近くに転居。2004、14年大川美術館、梅野記念絵画館で個展。(出典 わ眼)

も(4)
森清治郎 (もり・せいじろう/1921~2004年)     
愛知県生れ。1939年東京美術学校図画師範科入学。47年紅土会に入会。50年日展入選。光風会展で52年プールブ賞、53年南賞、54年光風特賞を受賞。57年渡欧。2004年没、82歳。(出典 わ眼)
森田恒友(もりた・つねとも/1881~1933年)   
埼玉県生れ。不同舎に通う。1906年東京美術学校西洋画科卒。美術文藝雑誌「方寸」創刊。「パンの会」結成。14年渡欧。15年二科会会員。22年春陽会創立会員。29年帝国美術大学主任教授。33年没。51歳。 (出典 わ眼)
森田信夫 (もりた・のぶお/1921~1996年)      
京都生れ。1947年東京美術学校油画科卒。49年二科会特賞受賞。62年二科会会員。62~66年女子美術大学、桑沢学園で講師を務める。64~78年東京造形大学絵画科主任教授。96年没、75歳。(出典 わ眼)
森 芳雄 (もり・よしお/1908~1997年)         
東京生れ。本郷絵画研究所、「一九三〇年協会」洋画研究所に通う。31~34年パリに遊学。39年自由美術協会会員。57年武蔵野美術大学教授。64年主体美術協会結成に参加。97年没、89歳。(出典 わ眼)

や(15)
矢崎千代二(やざき・ちよじ/1872~1947年)  
横須賀生れ。曽山幸彦、堀江正章、黒田清輝に学ぶ。1900年東京美術学校西洋画科卒。03~09年渡米欧。16~26年米欧、インド、南洋諸島を歴訪。30~34年南米、中国、ジャワに取材。38年満州各地歴訪、41年北京に移住。北京で没。75歳。(出典わ眼)
安井曽太郎 (やすい・そうたろう/1888~1955年)   
京都府生れ。1904年聖護院洋画研究所に入所。浅井忠、鹿子木孟郎らに師事。07~14年渡仏。15年二科会展に出品、会員推挙。36年一水会創立会員。44年梅原龍三郎と共に東京美術学校教授。52年文化勲章。神奈川県湯河原で没、67歳。(出典 わ眼)
柳原義達(やなぎはら・よしたつ/1910~2004)  
神戸市生れ。1936年東京美術学校彫刻科卒。文展入選。国画会受賞。39年新制作派協会彫刻部創立。52~57年滞欧。56年高村光太郎賞、74年中原悌二郎賞大賞。70年日大芸術学部教授。96年文化功労者。2004年没。94歳。(出典 わ眼)
柳瀬正夢(やなせ・まさむ/1900~1945年)   
松山市生れ。1914年上京。日本水彩画会研究所に学ぶ。村山槐多から影響を受ける。未来派、キュビスム、構成主義に興味を抱き。未来派美術協会に入会。23年MAVOの結成に参加。ゲオルグ・グロッスを研究。45年没。45歳。(出典 わ眼)
山縣 章(やまがた・あきら/1917~1994年)  
宮城県生れ。山倉克己に師事。創元展と日本水彩画展に出品。1984年水彩連盟に初入選。91年創元展準会員賞。93年創元展会員新人賞。94年創元展文部大臣奨励賞。94年没。77歳。(出典 わ眼)
山口長男 (やまぐち・たけお/1902~1983年)   
ソウル生れ。1927年東京美術学校西洋画科卒。27~31年渡仏。38年九室会結成。45年二科会会員。54~74年武蔵野美術学校/大学教授。武蔵野美術学園長を務める。62年芸術選奨文部大臣賞を受賞。東京で没、80歳。(出典 わ眼)
ヴィンセンシオ・山崎 (ゔぃんせんしお・やまざき/1911~1980年) 
東京生れ。山崎正雄。1931~34年第1~4回独立展入選。川島理一郎に師事。41年九州文化連盟参加。戦後米軍専属のちサレジオ会専属画家。57年ヴァチカン居住。70年帰国し豊島区居住。度々渡欧し内外個展。東京で没、69歳。(出典 わ眼)
山下菊二(やました・きくじ/1919~1986年) 
徳島県生れ。洋画家。上京、福澤一郎の絵画に惹かれ本郷動坂の福澤絵画研究所に入所、美術文化協会に移る。召集で中国戦線に派兵。その記憶が心に深く刻まれる。加害者として反戦に拘った。1986年没。67歳。(出典 わ眼)
山下 清 (やました・きよし/1922~1971年)    
1922年生れ。市川市の八幡学園に入園。ちぎり絵による点描風貼り絵を学ぶ。39年式場隆三郎に認められる。39年展覧会開催。40年から放浪生活。55年画集刊行。71年没、49歳。(出典 わ眼)
山下新太郎 (やました・しんたろう/1881~1966年)  
東京生れ。藤島武二に師事。1904年東京美術学校西洋画選科卒。05~10年渡欧。14年二科会創立会員。31,32年再渡欧。35年帝国美術院会員。36年一水会創立会員。55年文化功労者。東京で没、84歳。(出典 わ眼)
山田彊一 (やまだ・きょういち/1931年~)     
名古屋市生れ。1959年現・愛知教育大学卒。64年ニューヨークの「日本アーティスト選抜14人展」に出品。67年シェル美術賞展で佳作賞。85年和歌山4版画ビエンナーレで大賞、86年IBM絵画コンクールで大賞を受賞。(出典 わ眼)
山本 正(やまもと・せい/1915~1979年)   岡山県生れ。「一九三〇年協会研究所」に通い里見勝蔵、野口弥太郎に師事。1938年創紀美術協会結成に参加。47年独立賞。48年岡田賞。49年独立美術協会会員。56年渡仏。日本大学芸術学部教授。東京で没。64歳。(出典 わ眼)
山本 弘 (やまもと・ひろし/1930~1981年)    
長野県生れ。1948年帝国美術学校中退。池田龍男らと交友。20代前半に飯田市に帰郷。日本アンデパンダン展等に出品。表現主義的絵画を描く。飯田市で個展活動。81年自死、51歳。飯田市美術博物館に作品50点が収蔵される。(出典 わ眼)
山本 弘Ⅱ(やまもと・ひろし/1930~1981年) 
長野県生れ。1948年帝国美術学校中退。個展中心に発表。ヒロポン中毒となり、20代前半に飯田市に帰郷。アルコール中毒。自殺未遂を繰り返す。飯田市で個展活動。表現主義的な絵は売れず。極貧生活の中で自死。51歳。(出典 わ眼)
山本森之助(やまもと・もりのすけ/1877~1928年) 
長崎市生れ。東京美術学校西洋画選科卒。白馬会賞受賞。白馬会員。第1回から第3回までの文展で連続して三等賞、三等賞、二等賞を受賞。文展審査員。1912年中沢弘光らと光風会を設立した。渡欧。東京で没。51歳(出典 わ眼)

ゆ よ り(5)
油井夫山(本名;忠助)(ゆい・ふざん/1884~1934年) 
福島市生れ。東京美術学校西洋画科卒業。奥羽六県連合共進会美術展の幹事。亜欧堂研究に着手。白馬会展入選。福島県でアートクラブ結成。光風会展入選。1923年福島洋画会結成。30年宮城県角田中学校教論。34年没。51歳。(出典 わ眼)
横井礼以(よこい・れいい/1886~1980年)  
愛知県生れ。白馬会洋画研究所に学ぶ。1911年東京美術学校西洋画科卒。19年二科賞。23年二科会会員。30年名古屋に緑ケ丘中央洋画研究所を設立。47年第二紀会創立会員。68年名古屋造形大学短期大学名誉教授。名古屋で没。93歳。(出典 わ眼)
吉岡 憲 (よしおか・けん/1915~1956年)  
東京生れ。川端画学校に学ぶ。1935~39年ハルピンに滞在。聖ウラジミール専門学校卒。39年帰国。43年独立展で独立賞。48年独立美術協会員。49年日本大学芸術学部講師。東京で没、40歳。(出典 わ眼)
吉岡 憲Ⅱ(よしおか・けん/1915~1956年)  
東京生れ。川端画学校に学ぶ。1935~39年ハルビン滞在。聖ウラジミール専門学校卒。42~46年陸軍報道班国立ジャワ美術学校を創立。43年独立展で独立賞。48年独立美術協会会員。49年日大芸術学部講師。56年没。40歳。(出典 わ眼)
吉川三伸(よしかわ・さんしん/1911~1985年)     
名古屋生れ。1934年三岸好太郎に師事。38年独立展入選。40~53年美術文化協会会員。53年新象作家協会設立会員、水彩連盟会員。戦中・戦後を通じて抽象画家として活躍。名古屋市で没。74歳。(出典 わ眼)
龍 駿介 (りゅう・しゅんすけ/1889~1988年)   
福岡県生れ。龍清六。遠山五郎、山本森之助、南薫造に師事。川端画学校に学ぶ。1927、29,30、37年光風会、29年白日会入選。31年伝習館と柳川高女で個展。35年改名。38年以降、富士山を専門に描く。東京で没、99歳。(出典 わ眼)

わ(3 )
渡辺 学 (わたなべ・がく/1916~2000年)   
千葉県銚子生れ。1941年東京美術学校日本画科卒。59年新制作展で新作家賞。60年新制作協会会員。62年日本美術展で優秀賞。68年松屋で「朝倉摂・渡辺学二人展」。71年東京造形大学講師。創画会に出品。銚子で没、84歳。(出典 わ眼)
脇田 和 (わきた・かず/1908~2005年)     
東京に生れ。1923年渡欧。25~30年ベルリン国立美術学校卒。光風会会員。36年新制作派協会を結成、会員となる。55年日本国際美術展最優秀賞。70年東京藝術大学教授を退官。98年文化功労者。東京で没、97歳。(出典 わ眼)
渡辺與平(わたなび・よへい/1888~1912年)    
長崎県生れ。京都市立美術工芸学校卒。1904年室町画塾で鹿子木孟郎に師事。06年中村不折に学ぶ。08年文展に初入選。10年文展で三等賞。挿絵画・日本画も描く。『ヨヘイ画集』を出版。12年没。22歳。(出典 わ眼)
                                                  計 246名の作家

       
                              連絡先
                              277-0871 柏市若柴1-358 NPO法人あーと・わの会 
                                             事務局  04-7134-8293
                                                平成29年7月吉日