荒井由泰さんのアートコラム  
         版画の魅力とコレクションの愉しみ
                   ⑤ 小コレクター運動と版画:その2

 〇アートフル勝山の会の運営の苦労と思い出
長年、アートフル勝山の会を運営してきた苦労や思い出を少しお話しよう。

・企画展のマネジメントとエディション
最初は勝山市内にあるコレクションを展示することからはじめたが、ニューヨークでの展覧会のオープニングの経験(池田満寿夫展、アイオー展、荒川修作展など)や、小コレクター運動が企画した展覧会から発想して、作家を招き、ギャラリートーク、レセプションを行う方式にこだわるとともに、運営資金確保の必要性から、また、アートを身近に感じてもらうため、作品の販売を積極的に行うこととした。
作家を招き、ポスター・案内状を作製、レセプションを行えば、すぐに30万円程度のお金がかかってしまう。場所代・人件費はゼロでいいが、あとのお金を確保せねば、継続できない。私も経営者の端くれなので、この点は知恵を絞るとともに、経費確保のために惜しみなく行動した。アートフルの企画展の中心はオリジナル版画であり、初めてアートを購入する人が多かったこともあり、ありがたいことに手が届く範囲で購入できる版画には魅力を感じていただいた。小コレクター運動での約束手形(創美のオークション等で落札したが、お金がないときに約束手形なるものを発行した)に習い、分割払いOKとして作品購入を応援した。また、作家を招くことで、作家・作品との距離が近くなり、確実に販売力につながった。小コレクター運動の目指すところでもある「作品を販売することは、アートに対する関心を高めることであり、作家を応援することである」という想いが後押ししてくれた。さすが、押しつけ販売はしなかったが、関心のありそうな人(展覧会での作品の見方で判る)には積極的にアートの魅力を説くとともに、ギャラリートーク・レセプションにお誘いした。レセプションでは小コレクター運動の伝統に習い、オークションや100円・500円じゃんけん(作家や中上先生から提供いただいた作品を参加料100円あるいは少々高額のものでは500円で参加者を募り、じゃんけんで勝ち残った人が作品を受け取ることができるシステム。その代金はアートフルの収入となった)を行い、大いに盛り上がった。5~6人のグループを作り、グループで勝ち残った人が最後にじゃんけんし、勝者が作品をゲットするゲームは熱気が高まり、たいへん楽しい。何かの機会にぜひトライしてみて欲しい。少額で版画をゲットした人は、自ずと、小コレクターに変身した。作家と出会い、ワイガヤの中で、アートを購入することで、身近にアートをおくことの楽しさを知ることとなる。
また、3~4日間の短期間の企画展であったため、集客のための広報が非常に重要であった。地元の福井新聞社とは太いパイプで情報発信をさせてもらった。当時は今以上にマスコミの力が絶大であり、大きなバックアップとなった。
そのうえ、先輩たちの経験から学び、大胆にも版画のエディション(共同も含め)も行った。販売には苦労があったが、大きな資金源となった。版画のエディションでは単独にしろ、共同にしろ、一定の部数を買い取るため、コストは安くなるが、販売というリスクがともなう。そのため販売力が問われた。「販売することは作家を応援すること」の想いを原動力として販売努力をした。思い返すと、野田哲也、磯崎新、難波田龍起、木村利三郎、泉茂、小野隆生、関根伸夫らのエディション(共同も含め)を実行したが、よく頑張ったものだ。エディションでは売れ残りリスクがあったが、売れ残った作品を引き受けてくれた我々の同志であり、パトロンでもあった中上先生という存在が大きい。中上先生のおかげで、こんな無謀な冒険ができたと深く感謝している。時代もよかったが・・・。
アートフル活動を続けるなかでアーティスト達との交流も深まり、いい思い出がたくさんできた。作家たちを全員紹介したいところだが、今回は交流の一部のみの紹介となることをお許しいただきたい。

・企画展に招いたアーティストの思い出
(1) 岡本太郎
:1983年、勝山市の出身で画家の藤沢典明氏の紹介で、講演会が企画されていたので、藤沢氏経由で岡本先生に展覧会の開催をお願いし、中上邸イソザキホールでの最初の企画展として実現できた。作品は油彩・版画を15点程度、岡本先生より委託であずかり販売も行った。作家と語る会も開催し、大いににぎわった。みんなの前でピアノも披露していただき、巨匠の素顔にふれる貴重な機会となった。
(2) オノサトトシノブ:1981年と85年にオノサト夫妻を勝山に招いて企画展を開催し、88年には奥さんを招いての偲ぶ会も開催している。オノサト先生はほとんど桐生を出ることはなかったが、福井の人脈が後押ししてくれた。85年には新作の小品(油彩)を40点ほど提供いただいたが、ほぼ完売であった。細身の体で静かに語られる口調が懐かしい。
(3) 野田哲也:1984年、2001年に野田先生を招いて、企画展を開催した。私自身、野田先生の作品に魅力を感じ、コレクションを続けていたこともあり、企画した。写真と伝統的な木版画を融合させた技法と日常の風景を切り取る鋭いけれどあったかい作品群をみなさんにぜひ見てもらいたかった。野田先生のユウモア溢れる語り口は多くのファンを作った。1984年には娘のりかちゃんとともに駆けつけていただいた。2016年には私のコレクションに加え、わの会の堀氏から名作をお借りして、福井市のE&Cギャラリーで「野田哲也展」を開催した。その際には野田先生とドリット夫人も招待し、楽しいひと時を過ごさせてもらった。
(4) 難波田龍起:1991年、難波田夫妻をお招きして「難波田龍起展―現代美術の詩人」を開催した。難波田先生とは戦前から福井とご縁があり、レセプションには福井在住の現代美術家・小野忠弘氏もかけつけてくれた。美術界では大家であるにもかかわらず、我々企画者・主催者側に対しての感謝の気持ちがあふれる、やさしい姿が今でも思い出される。まさに詩人の心をもった素晴らしい人柄に魅了された。
(5) 舟越桂:1993年、人気彫刻家であり、版画も手掛ける舟越桂を迎え、企画展を開催した。私も中上先生も舟越先生に会いたいという気持ちで一致して、なんとか舟越先生を勝山に来てもらう策を考えた。お願いされたらNOと言えない人物を通しての招聘がベストということで、白羽の矢を立てたのは盛岡第一画廊の上田さんだった。私と中上陽子さん(中上先生夫人)とともに盛岡に出向き直接お願いをした。想いが通じて、舟越先生を迎えての「舟越桂新作版画展」が実現できた。また、上田さんから舟越先生の初期の木彫「会議のための習作」をお借りすることができ、企画展もスケールアップでき、たくさんの来場者があった。おかげさまで、アンドーギャラリーから購入した「新作版画集」の作品(10点)も完売できた。この時、私のコレクションにも2点のリトグラフが加わった。
(6) 元永定正:1986年の「元永定正展」そして1996年「阪神・淡路大震災支援全国ポスター展イン勝山:中上陽子さんを偲んで」に元永先生に勝山まで足を運んでいただいた。86年の企画展では新作の版画とともに、勝山市にあった元永先生の具体時代の大作(タブロー)も展示した。レセプションの後、アートフルの仲間とともにカラオケを楽しんだことが懐かしく思い出される。選曲は演歌でした。96年には亡くなった中上先生夫人を偲ぶ会を兼ねたポスター展を企画し、その折、元永夫妻を招き、販売に協力いただいた。元永先生のポスターにサインを入れてもらい40点販売できた。単価が安かったこともあるが、総数で314点もの大商いとなり、少しは震災支援に貢献できた。
(7) 木村利三郎:1982年「木村利三郎展:マンハッタンの鼓動」、1992年「木村利三央新作水彩画展:マンハッタンからの心便」、1997年「木村利三郎新作展」、2005年「キムラリサブロー来日記念展イン勝山」の4回の企画展を開催した。私のニューヨーク時代からのお付き合いで、たいへんお世話になった大先輩だ。少しは恩返しをと思い、展覧会を開催してきた。素晴らしい人柄とたのしいお話でたくさんのファンができた。そして版画を中心にたくさんの作品が地域の人に手渡った。基本的にはすべての作品をアートフルが購入し、販売してきた。97年の新作展では水彩14点、版画13点を完売している。リサさんとの思い出は山ほどあり、語りつくせない。

〇今一度「版画」の力について
小コレクター運動そしてアートフル勝山の活動における「版画」の力・役割は何であったのか?今一度、問い直してみたい。
「初めてのアート(オリジナル)作品の購入」は想像以上にハードルが高い。誰かの口添えやアドバイスがなければ決断ができないのが現実ではなかろうか。アートそして作家が近くにあり、そして購入可能な環境があるとき、「価格」はやっぱり重要だ。小コレクター運動の真髄は「オリジナル作品を3点、持ってもらう」運動だ。アート作品を身銭を切って所有する経験こそ、アートに目を開き、作家の生きざまに関心・関与することにつながる。その時「版画」の役割・力が発揮される。それもオリジナルの芸術作品である。アート購入体験を経て、小コレクターから中・大のコレクターへの階段を進む人が現れれば理想形である。
そこで、もう一つ問われるのは質の問題であろう。安価でオリジナルな版画であれば何でもよいという訳では決してない。小コレクター運動の推進者たちは誰を推すべきか内部で議論して作家を決定していた。対象となったのは創美運動で信奉する久保や瑛九が推奨する作家達であった。その意味では芸術性が高く、オリジナリティあふれる作家達であり、彼らから生み出される多様な「版画」だったからこそ、小コレクター運動の意味が大きい。
また、先に少し述べたが、版画を販売対象とする時、複数性の利点を生かしてエディションを自分たちが実行することが可能だった。これも小コレクター運動を推進してきた教師たちからの知恵でもあった。50部なり100部限定で作家に依頼し、サインと限定番号を入れてもらい、買い取る仕組みだ。作品の制作は作家に任せるため、不安はあるが、委託あるいは買い取りよりリターンが大きいことが魅力だ。一方、作家にとってもありがたい仕組みでもある。エディションまで至らない場合でも新作の版画集など出版した画廊・画商から極力買い取る形で企画展を開催してきた。これも応援に値する作家たちであり、ある程度の販売実績があったからこそ、思い切れたことだと今になって思う。

このあたりで、小コレクター運動そしてアートフル勝山の会の話を終え、次回から私のコレクションのこと、版画に対する想いなどを2回ぐらいになると思うが皆さんにお話ししたい。それでは次回の投稿をお待ちください。

                  
       1991年 難波田龍起展にて 難波田先生夫妻を囲んで

                  
     1993年 舟越桂新作展にて 舟越先生と筆者 木彫作品も展示

                  
          1993年 舟越桂展のレセプションにて

                  
     1996年 震災復興支援ポスター展にて 元永夫妻、中上先生、筆者

                  
         1997年 木村利三郎新作展のレセプションにて

                  
       1999年 磯崎新展 磯崎先生とアートフルの仲間たち

                  
             磯崎先生と展覧会の入場者