荒井由泰さんのアートコラム  
         版画の魅力とコレクションの愉しみ
                   ⑧版画コレクションへの招待 その3

  いよいよ最終章である。後半、力が入ってしまい、予定より長くなってしまったが、最後は皆さんに版画好きになってもらい、さらには新しい小コレクター運動の協力者に仕立て上げられれば、今回の出筆におおきな意味が出てくるのだが・・・・

〇コレクターの独り言
今や、有名作家の展覧会には黒山の人だかりである。私も上野の若冲展では3時間あまり行列をして、やっと入場できるという体験をした。新国立美術館の草間彌生展も若い人であふれていた。本年秋にはじまるフェルメール展では日時指定入場制で入場者を調整するとのことだ。とにかく、話題の美術館には人が入り、これだけ美術愛好者が多いのに日本の美術市場はあまり元気でない。とくに版画という分野にたいしても皆さんの関心が遠のいているようだ。鑑賞することとアートを所有する・蒐集することが別世界になっているように感ずるのは私だけだろうか?
美しいもの・感動するものを身近におく楽しみを経験していない人が増えているように思う。現在の経済情勢も影響しているように思うが、特に若い人にその傾向が強そうだ。
・価格とアートの価値について
長年、コレクションを続けていると、価格の変動と直面し、複雑な気持ちになる。今も存続している「版画芸術」では長きにわたり、各画廊での作品の価格が表示されていた。版画については複数性故に、価格の変動をまのあたりにする。バブルの時代の価格からすると、もちろん保存状態も影響するが、多くの作品は三分の一以下に、もしくはそれ以上、下落している。作品の芸術性は変わらないのに、価格のみ下がる。オークションのように、多くの人が欲しいと思うと、価格は上昇する。ある意味では価格が人気のバロメータだ。価格が低迷していることは、人気がないからだ。さすれば人気とは何か? ファッションと似ていて、時代の求める空気であったり、メディアによる発信であったり、様々な時代の変化が人気に影響を与える。アートの世界では東北大震災のあと、癒し系の作品に人気があった。それも少しずつ変わっていく。一方では、グローバルな社会になっており、世界的な視野での評価とか投機によって市場が大きく影響を受けて、変化する。「具体」や「もの派」の世界的な評価によって、市場価格が一変したし、「草間彌生」も世界市場の商品になったからこそ、現在があるように思う。
では、人気が落ち、価格が下落したから、芸術としての価値が減じるのだろうか。価格が落ちると、見る目が変化することもあるが、決して芸術としての価値が変わらないものも多く存在する。時代を変え、新しい時代(歴史)を創ってきた創造的な作家・作品群は美術史に刻まれ、作品としての価値に変化はない。また、時間という大きな力に負けずに残った作家・作品は美しいし、次代に伝えるべき存在だ。芸術は人間の創造物であるがゆえに、美術館や博物館があり、そこに多くの人が足を向ける。「版画」という小さな世界にも、価格に関係なしに、次代に伝えるべき作家・作品があると確信している。
その意味では、価格が低迷している現在こそ、次代に伝えるべき作品を蒐集できるチャンスである。
・コレクションの公開について
本年4月に閉館してしまったが福井大学の先生方を中心に運営してきたNPO法人「E&Cギャラリー」(福井市)において「駒井哲郎展」(2009)、「駒井哲郎と彼が敬愛するアーティスト達」(2011)等、数回コレクション展(A氏コレクションとして)を開催させていただいた。コレクションを公開して感じたことを記してみたい。①ギャラリーで自分のコレクションを並べてみると違って見える。(家ではスペースが限られているし、より客観的にコレクションをみることができる。)②作品を通して多くの方とコミュニケーションができる。(特に学生さんとのコミュニケーションが楽しい。)③公開されることで自分のコレクションに対して自信が深まるとともに責任も感じることにもなった。
ちょっと大げさに言えば、コレクションはあくまで「預かりもの」であり、文化財を次の世代に伝える義務と責任があることを強く感ずるとともに、コレクションという行為についても考えたり、述べたりする絶好の機会にもなった。展覧会のトークの時にも話をしたが、コレクションというとお金があって、楽な遊びと見えることが多いなか、身銭を切っての真剣勝負であり、自分なりの美を追求する「自己表現」のひとつの形であることを自分なりに発信させてもらう機会となった。コレクターの皆様にもコレクション公開をおすすめしたい。
・新しい「小コレクター運動」の提案
「版画市場」が低迷するなか、「版画」の持つポテンシャルを再認識し、光をあてることができないだろうか? 「小コレクター運動」の真髄は「アート作品」を身銭を切って購入する体験をしてもらうことにあり、それによって、アートを身近におくことの楽しさを知ることだ。さらには「アート」を購入することによって、アーティストを支援することにつながる。私自身は小コレクター運動における「作家を応援することは作品をほめることでなく、黙って購入すること」という重い言葉を大切にしていることもあり、その想いはなんとか伝えるべきと思う。
また、「版画」と声高に言わず、「アート」の一部として扱えばいいと思っているが、一方では「版画」の持つ多様な美についてはしっかりアピールするとともに、「複数性」ゆえのこなれた価格は身近におく最初の作品に適したオリジナル作品であることを知ってもらう努力も必要だ。
「アート」を最初に購入する人の立場で考えるとき、いきなり画廊に入って、作品を購入できる度胸のある人は少ない。「アートに関心がある」から「アートを買う」の距離はけっこう大きい。その橋渡しの仕掛け・仕組みが必要だ。「小コレクター運動」はまさに橋渡しの役割を果たしていたと思う。「オリジナルアートと暮らそう」「3作品のコレクションで世界が広がる」をキャッチフレーズに新しい「小コレクター運動」ができないものだろうか?
また、作家・作品選びに活かしてもらうため、コレクター(例えばあーとわの会のメンバー)が「好きな新人作家」とか「気になる新人作家」を紹介することも必要かもしれない。加えて「贈り物に版画を!貴方のセンスが光ります。」などと「版画」をお祝いや記念に贈る文化を育てることが重要だ。福井では「小コレクター運動」や「アートフル勝山の会」での活動を通して、「版画」を贈る文化が育ったように思う。周りでは結婚式の引き出物に作家(靉嘔、元永、野田先生ら)にエディションを依頼したケースもあった。私自身は丹阿弥丹波子先生に依頼して、息子の結婚式の引き出物に使わせてもらった。
「版画」が「オリジナルアート」を生活のなかに根付かせるけん引役になることを願ってやまない。
・コレクションの行方
コレクターにとっては最終的に自分のコレクションをどうするのか(どうなるのか)?という大きな課題を抱えている。コレクションした作品にはそれぞれ物語があり、どんな形で次の世代につなぐにしても、コレクターの感動や思いを正確に引き継ぐことは不可能であり、コレクター一人でしか完結しえないもののように思う。元気なうちに、作品を整理して、ムンクなどの好きな作品、数点にしぼりこむことも考えてみたが、やっぱり、多くの兄弟達と一緒の方がいいし、好きな作家・作品との出会いを楽しんだ方がベターであると現在は思っている。コレクションは家族にとっては財産的な価値がクローズアップされるが、コレクター本人にとってはプロセス・物語の集大成であり、まったく違った価値観のうえに成り立っている。しかし、最近はある時点では自分のコレクションの行方をすべて他人にゆだねるより、自分が元気なうちある程度の整理をすることは必要でないかと感じるようになった。と言っても、ある時点がいつなのか、どのように整理するのか、などなど難しい決断が待っており、ついつい先送りになる。コレクションに対する情熱が失せた時なのか、ある程度の年齢になった時なのか、この課題は消えることがない。
・版画コレクションのおすすめ
この機会を利用させていただき、皆様にも「版画コレクション」をぜひともおすすめしたい。自分自身の経験から、先にも述べたように①版画には様々な技法があり、かつ多種多様な表現が可能で必ず自分の趣味にあう作家・作品と出会うことができる。②紙ベース、それも小さいサイズの作品が多いので、収納が容易である。③マットに入れれば、ガラス越しでなく、いつでも手に取って楽しむことができる。④版画はタブロー等と比較すれば安価であり、美術史に残る作家の作品もコレクションに入れることが可能である。
現在、版画の人気が低迷していることもあり、バブル期の価格に比べ、すこぶる購入しやすくなっている。名作・名品については価格低下率が少ないが、それでもリーズナブルな価格でコレクションすることができるチャンスが到来しているとも言える。
皆様、画廊やオークションを通じて、世紀の名品を、また自分の琴線にふれる秀作をぜひ、手に入れていただきたい。版画のコレクションを通じて、豊かな人生をお楽しみください。

・最後に
私自身、偶然あるいは必然として、版画に出会い、そのおかげで人生が豊かになったことに心から感謝をしている。版画に限らず、自分が夢中になれて、かつより深く入り込める分野を持つことは、様々な出会いや好奇心の広がりにつながり、必ずや人生を豊かにすると感じている。そんなことで皆さんには「コレクションそれも版画のコレクションをお薦めしたい。」

長い期間にわたり拝読いただいた皆様に感謝申し上げたい。少しはお役にたったのかなあ。とにかく、ありがとうございました。また、このような機会を与えてくれた「あーとわの会」に、加えてブログに掲載にご協力いただき、いつも激励していただいた上村様にも、厚くお礼を申し上げて、筆をおきたい。