11 田中善之助(1889~1946)  「風景」 



 佐藤裕幸(東京都品川区)

11 田中善之助(1889~1946)  「風景」  油彩  キャンバス  12F  制作年不詳

 田中善之助の絵画は豊麗な色彩、力強い構図が魅力である。私の捜し求めていた芸術がここにある。


12 田中善之助(1889~1946)  「海辺の午後」



佐藤裕幸(東京都品川区)

12  田中善之助(1889~1946)  「海辺の午後」  油彩  キャンバス  8F  
1933年制作

 フォービズム的筆致、心地よいリズム感、滞欧してセザンヌの影響を受ける。しかし彼の作品はオリジナリティーに溢れている。

1 3 田中善之助(1889~1946) 「静物」



野原宏(埼玉県久喜市)

13 田中善之助(1889~1946) 「静物」 水彩  紙  19.0×27.2cm  1912年頃制作

今から100年ほど前の水彩画です。浅井忠に師事した画家の水彩画です。油彩にない魅力を感じます。
前面に描かれているのはキュウリです、半分が黄白色なのは退色した為ではありません、半白キュウリという当時栽培されていた品種です、今と違って一年中キュウリはありませんでした。盛夏の時、素晴らしいキュウリに魅せられて筆を執ったのではないかと思いをめぐらせて楽しんでいます。キュウリは90%以上が水分です、壜の中の水もただの水ではないような気がします。

14 榎倉省吾(1901~1977) 「バレリーナ」



野原宏(埼玉県久喜市)

14 榎倉省吾(1901~1977) 「バレリーナ」  水彩  紙  39.0×68.0cm  制作年不詳

           
今から20数年前バブル景気が崩壊して、企業の所有する絵画が沢山市場に放出された時期があった、この絵はその頃入手した作品です。裏面にそれらしいことが記してあります。
水彩画としては存在感があり、いつも身近にある1枚です。
みず絵らしい、みずみずしさは感じられませんが、自由で伸びやか骨太な印象を受けます。

15 作者不詳(生年、没年不詳)  「女の顔」



匿名

15 作者不詳(生年、没年不詳)  「女の顔」  油彩  板  28.7×23.8cm  制作年不詳

作家名がわからなくても良い絵は良いし、好きな絵であればそれで良いのかもしれない。自分に言い聞かせてはいるが何とも歯がゆい思いがする。その裏面の心の中には高名な作家の作品であることを願ってもいる。高名な作家の作品はそれなりの代金で入手するのがあたりまえの事ですが、できれば掘り出し物で格安に良品を入手したいという欲が私にもあります、欲が目お狂わせることも多いが、欲が全知全能(たいしたこともない)をフル回転させて、願いどうりの名品に出会うことも全く無いとはいいきれない、このあたりの考え方のバランスを崩すとコレクションがおかしな方向に行ってしまうような気がします。自分の眼を信じ、勉強しながら適当に浴をかきコツコツ足と目を駆使して、今日も世間を歩きまわる、神様が見るに見かねて、一枚の絵を授けてくれるかもしれない。

16 野口謙三(1901~1944) 「草やきの川原」



小倉敬一(埼玉県さいたま市)

16  野口謙三(1901~1944) 「草やきの川原」  デッサン  紙   30.0×38.0cm  
1940年制作

 野口謙三は、大正13年に東京美術学校を卒業した。その頃、多くの洋画家達が、ヨーロッパの絵画に憧れ渡欧して行った。そのような風潮の中にあって、野口謙三は、そのまま郷土である滋賀県蒲生郡桜川村(現在の東近江市)に帰り、ひたすら、その地の四季折々の風景などを描き続けた画家であった。描かれた絵には、郷土を愛した人にしか描きえない郷愁と詩情、やさしさ、そして自由な独自の世界が感じられる。
 この「草やきの川原」は、のびやかで心のこもった力強いデッサンである。デッサンではあるが、よく見ると焼かれた草の部分など実にしっかりと描かれていることがわかる。ほとんど黒一色の画面には、草木の一部と遠くの山並みに僅かに色が着けられている。そこには、温もりのある日差しと澄んだ空気、
厳しく寒い冬が過ぎ、新しい命が息吹く春を迎えた喜びがある。

17 武内鶴之助(1881~1948)    「秋の風景」



木村悦雄・正子(千葉市)

17 武内鶴之助(1881~1948)    「秋の風景」    パステル   紙    23.0×28.0cm  制作年不詳
                    
水彩画・パステル画の魅力
「本来絵を描くと言うことはこういうこと」

千葉市美術館で開催されている「水彩画家・大下藤次郎展」を見た(平成26年5月)。何気ない風景を淡々と写し取り描く。100年の時が経過した今、映しだされた場所の清々しい空気までが一枚一枚の小さな画面から懐かしく伝わってくる。変わらぬ風景、多くの時の経過とともに全く姿を変えてしまった風景もある。

 今回出品した「パステル画家・武内鶴之助」の作品二点、生涯目の前にある(美しい)風景や花を淡々と描き続けた武内鶴之助の何気ない小品、そこに何の作為もない。 別に所属するアートサークルで開催する同様のコレクション展に、武内鶴之助の作品を2年続けて出品したことがあった。 そのコレクション展は「観覧者のみなさんの好きな絵アンケート」を実施するのが常だが、2年続けて出品した武内鶴之助のパステル画が、見て頂いた皆さんから一番多い賛意を頂いた。

 水彩画やパステル画を一段軽く見る傾向のあることが長く言われ続けてきた。
大下の水彩画、武内のパステル画、そして今回のコレクション展で出品される他の作品が、そのような傾向を見直すきっかけになることを期待したい。

「本来絵を描くと言うことはこういうこと」、持論である。

1 8 武内鶴之助(1881~1948)   「雪の山々・桑名川」

 

木村悦雄・正子(千葉市)

18 武内鶴之助(1881~1948)   「雪の山々・桑名川」  パステル   紙    18.0×25.0cm  
制作年不詳

19 浮田克躬(1930~1989)   「堤防の道(荒川風景)」



阿部真也(水戸市) 

19 浮田克躬(1930~1989)   「堤防の道(荒川風景)」  油彩  キャンバス  8P  1948年制作
 
 荒川は、埼玉県および東京下町を流れ東京湾に注ぐ雄大な河川である。最大川幅(巣鴨市堤防間の距離)は2,500mになり日本最大。今は東京スカイツリーもあり賑やかな下町地区だが、この絵は当時の下町情景を静かに教えてくれているようだ。
 浮田克躬の作品は、褐色画面に近い赤い屋根が連なるヨーロッパの集落風景を連想させるが、このような穏やかな作品も描いていた。この堤防の道も母の療養する病院の近くにあり、親しんだ場所なのであろう。1948年、東京美術学校在学中の作品である。
 ちなみに日本画の巨匠、東山魁夷画伯の「道」は1950年の作品、年代で比べてはいけないのですが!浮田ファンとしては!!コレクターの一言どうかお許しください。

20 西山真一(1906~1989)    「睡蓮」



薄井良昭(東京都墨田区)

20  西山真一(1906~1989)    「睡蓮」水辺 (明治神宮にて)   油彩   キャンバス    6号  
1961年頃制作
この作品にオークション図録で出会って凝視しているうちに、その風景・その画題「睡蓮」水辺(明治神宮にて)から、これはあの時の作品に間違いないと、その奇遇に感激が湧いた次第です。それは1961年前後のことですが、場所は明治神宮外苑の池の端、素人にしてはばかに上手い描き手のスケッチする姿を、描き手の気にならない程度の距離をおいた背後から眺めていた記憶が鮮明に残っておりました。梅雨持のどんよりした天気の日で、周囲には人影がまばらな日だったと思い起こします。子供が絵を描く様子ならまだしも、かなりの腕前の作者が描く姿を距離はあるとはいえ背後から覗き見るなどは、珍しい唯一の体験であったことから記憶が定かなのでしょう。いつのことだったか、幾度となくあった縁台将棋の冷やかしや釣り人の成果をのんびりと眺めていた体験とは訳が違うということでしょうか。
 この図録から奇縁で作品を知り、はじめて作家名も知りその経歴も調べた次第ですが、この作品は自分史の一部でもあり、なんとしても手元に置たかったわけです。
この完成品をじっくり観ると、心休まる穏やかな作風で、印象派風の香りもするようにも思います。何よりも、作者の生真面目さまでもが作品に現れているようで、益々好感を抱いております。