41 松田正平(1913~2004) 「たばこ」 



三浦 徹(神戸市)

41  松田正平(1913~2004) 「たばこ」 パステル・鉛筆  紙  33.0×25.0cm  
1990年代制作

「たばこ」と題された作品であるが、観ていて心が穏やかになるし、作家の息吹さえ感じさせてくれる。常時使用していた灰皿、眼鏡、湯呑がタバコと共に描かれており、松田の一日のあり様が強くうかがわれる画である。ここまでの作品になると画家の生き様が十分認知できるので、私は松田正平の「自画像」であると称している。おのずとほほ笑みをかくせない。

42 松田正平(1913~2004)  「自画像」



三浦 徹(神戸市)

42  松田正平(1913~2004)  「自画像」  鉛筆   紙   33.0×25.0cm  1998年制作

鉛筆による自画像である。飄々とした生き様が見事に描き出されている。もし、他の画家が松田の像を描いたとしても当然のことではあるが、この作品に勝る画は描けないはずだ。よくここまで自分自身のあり様を、消化して作品に仕上げられたものである。私は松田のポートイレトも持っているが、それと比較しても写真との相違は明らかで、これこそが自画像を見る醍醐味であることを思い知らされた作品であり、私の愛する一点である。尚、今回、出展した2点は会誌第43号、テーマ「自画像」に掲載したものである。

43 大塚左十志(1922~1990)  「手をつく裸女(裸婦座像)」



小山美枝(東京都西多摩郡瑞穂町)

43 大塚左十志(1922~1990)  「手をつく裸女(裸婦座像)」  鉛筆、パステル  紙  
26.0×36.0cm  1984年制作

もともとは故梅野隆氏の所蔵であった。
梅野記念の友の会オークションに出品されたものである。タイトルも箱と額で違っているが、私は梅野氏が箱に書かれたこちらの方が好きだ。

その年、私は初めてオークションに参加していた。
だいたいの作品をみて、ふっとこの作品と目が合った。「鋭い目」私はこういう女性像がすきだ。もちろん予算を完全にオーバーしていたが入札した。私が追いかけているもう一人の「大塚」、大塚武にもこれのような目の鋭い裸婦像がある。

なに?と周りをかまわず進んでいくような目。私もこんなふうにまっすぐに生きていきたいと思う。

手に入れるまでの私の心境「もう2度とこの絵に会えないんじゃないかな?」梅野記念絵画館で一度展示されている画家。それだけは知っていた。しかもそれは「樹下草上図」が中心(翌年梅野氏がオークションに出品した。私のためだったそうだ)であった。それも自宅に飾ってみたが、梅野氏には大変申し訳ないことだけども、なぜかこの絵のほうに魅力を感じてしまうのである。

44 山口マオ(1958~  )  「わにわにのごちそう」 



小山美枝(東京都西多摩郡瑞穂町)

44 山口マオ(1958~  )  「わにわにのごちそう」 木版  紙   20.0×15.0cm   2002年制作  

 みなさんに一度「絵本の原画」をお目にかけたいと思っていた。昨年本当にうれしい作品が手に入った。その時に出品を決意していたのが実現して、うれしく思っている。
 この大人気絵本「わにわにのおふろ」のシリーズは私の今年小学6年生のおいが小さい頃に大好きだったものである。再三読み聞かせをせがまれ、あげくの果てには「(図書館へ)かえしちゃだめだよう。わにわになんだよう。」と訳の分からないことを言って、ハードカバーの絵本になる前の絵本雑誌「こどものとも年少版」しかないのに私を困らせたのを覚えている。
 お気づきだろうか?この山口マオ先生の「絵本の原画」は多色摺りの「木版画」なのである。講演会の折にその木版の「摺り」を拝見する機会に恵まれた。日本古来の技法である。何度も絵の具をのせ、丁寧に摺っていく。
 「わにわに」のシリーズの魅力は小風さち先生すばらしい文章とともに、これによくあった確実で丁寧な山口先生の「仕事」にあるのだろう。だからそれを直感する子どもたちは「わにわに」が大好きなのである。私の地元の書店でもこの絵本がディスプレイ展示されていて何人かの若いお母さんが子どもに「ほら『わにわに』いるよ!」と声をかけていた。子どもではないけれど、私もその魅力にはまってしまったひとりだ。
 どういう絵本かについては、お目にかける機会があると思う。でもぜひこの絵本を手にとってご覧いただきたい。その無条件の楽しさはこの作品からご想像いただくのは難しいことではないけれども、実際「こんな文章ではこの魅力を伝えきれるはずはない。」ということは言うまでもない。
以前から私が申し上げていることであるが、子どもたちはこのような上質の絵を見て育っていることを再認識した。「あなどることなかれ」ということである。

45 生井巌(1941 ~  )  「かりん」



御子柴大三(東京都国分寺市)

45 生井巌(1941 ~  )  「かりん」  面相筆で寫生・色鉛筆   和紙   62.0×98.0cm  2003年制作

なんという眼と筆の力だろうか。日本画家・生井巌さんが描いた植物や種・鳥や鼠、魚のデッサンの数々を拝見するや否や驚嘆してしまった。彼の墨や鉛筆による線描が対象の中に潜む生命力を掘り起こし、その存在に光を与えていたからだ。対象への凝視はそのまま物への愛着を物語っている。僕らは一体何を見ていたのか?かってこれほど深く対象に分け入った眼差しを誰が持ち得ただろうかと、思わずそんな問いを発してしまったのである。生井さんの画業はいつも「今描ける喜び」に充ち溢れている。       

46 野口俊文(1959~ ) 「カルマの女(ひと)」




金井徳重(長野県中野市)

46 野口俊文(1959~ ) 「カルマの女(ひと)」  ドローイング  紙  54.0×37.0cm 
2008年制作
 
 伝統ある絵画団体春陽会で活躍する長野県出身の若手作家の作品である。野口俊文は一貫して人物画の大作を春陽会に出品しており、「カルマの女(ひと)」シリーズの連作は目を見張るものがある。油彩の大作にとりかかる前に何枚も水彩でこの作品のようにドローイングをするその一枚である。本画でも顔はほとんどリアルには描かず黒く塗り潰し、それで画面が緊張ある作品に仕上げている。
       テーマである「カルマ」(梵語)は、業(ごう)、宿命、輪廻の意。

47 伊とうはるこ(1944~ ) 「透徹」



伊とうはるこ(千葉県柏市)

47 伊とうはるこ(1944~ ) 「透徹」  油彩  ボード  18.0×14.0cm   2008年制作


この絵は、2008年の青木画廊(銀座)での個展「宙空の顔s2」に出品したものである。
これは、あっさり描いているように見えるが、ここに至るまで、数回描き直し、変化している。
下絵なしで、直接キャンバスに描く私の手法は、描き出しは調子がいいが、描きこむ段階で迷い、消したり足したり時間がかかる。
しかし、私の絵の中では、比較的、いいところで着地してくれた絵だと思っている。

48 平山隆子(1943~ )  「橋姫」

 

伊とうはるこ(千葉県柏市)

48 平山隆子(1943~ )  「橋姫」  パステル   紙  38.0×12.0cm  2012年制作

平山さんとは、女子美大で一緒だった。
抜群の描写力と創造力、それに加え、物事を真摯に考え抜く姿勢はまぶしかった。
卒業後、当然、絵の道と思いきや、テレビCMのプランナー・ディレクターとなり、国内外で華々しい活躍をし、幾多の賞を受けている。
しかし、40年歳代前半に「人生ワクワクして生きなくちゃダメ!」と突如、会社を辞め、絵に没頭するようになる。
10年程前、とうとう「能の世界」に絵のテーマを見つけ出し、現在に至っている。
今回、「能」について私はうといので、彼女に問い合わせると、詳細な説明が送られてきた。そのほんの一部を紹介する。
『「橋姫」の面(おもて)は、能曲「鉄輪(かなわ)」に使われたものです。嫉妬と怨念の凄まじさをギリギリまで追い詰めながら、般若となる半歩手前の人間の表情を残していて、素晴らしい面だと思います。私は絵を通して、能という日本の伝統文化の新たな発見を追求できたら---と思って描いております』

49 林晃久(19X6~ ) 「彼女の意外なある状態」



福田豊万(千葉県市川市)

49 林晃久(19X6~ ) 「彼女の意外なある状態」  アクリル  キャンバス  
36.0×26.0cm  2012年制作

“華麗なる自己倒錯への招待”
 この豊満な美女の露(あらわ)な大腿にしがみついて淫靡(いんび)な長い舌をのばしているカメレオンは紛れもなくこの絵の作家である林晃久である。そして、カメレオンの舌に腋窩を愛撫されて恍惚の世界に浸りきっている美女も又、絵描き、林晃久に他ならない。一部ではもうすでに有名であるが、林晃久には何人かの分身がいて、そのうちの一人がマロンちゃんこと、マロン・フラヌ―ルであり、彼女(?)はそのケバイ(何とも陳腐な表現であるが)ファッションで新宿のゴールデン街のとあるバーで酔客相手に平成の日本の夜を笑い飛ばしているらしい。この絵の美女はマロンちゃんであるかどうかは定かでではないが、画家の分身である事は間違いない。絵というものはもちろん画家の自己表現であり、自己満足の結晶であるが、ここまで大胆にキャンバス上でマスターベーションをされると思わず口をあんぐりと開いて見入ってしまうのである。ちょっと、そこの貴方涎が出ていますよ。ご注意召されよ!林晃久という画家はなんとも欲ばりで画面上に自分の分身を二人(?)も登場させてエクタシーをむさぼるかと思えば、カメレオンの両の眼はこの世の中360度を休むことなくフォーカスしているのである。このように煮ても焼いても食えない作家を私は皆様と手を取り合って調理出来たらと願うものであります。
人は皆サタンの下僕(しもべ)八月尽(まんぷく)

50 林晃久(19X6~ ) 「無題」



福田豊万(千葉県市川市)

50 林晃久(19X6~ ) 「無題」  ミクストメディア (自分撮りPhoto&複写、ドローイング、ペインティング)  紙   58.0×48.0cm  2013年制作

アートにお金を使わず楽しむ法Vol.3
 私は以前、2回この「わの会」コレクション展でアートをお金を使わず楽しむ法を展示しました。今回は、画家林晃久が2013年に新宿二丁目にあるギャラリー、ポルトリブレで個展を行った時に手に入れたサイン入りDMや、自分撮り写真のコピーにドローイングしたものや、会場で販売した福袋の中に入っていた、おそらく使い古しの紙の箱にドローイングしたりペインティングした作品を再構成したものです。
 費用は総額で1万円は超えていません。絵の個展会場で作品の福袋が売られているのを私は初めて体験して強烈なカルチャーショックを受けたのですが、すぐに立ち直り喜々としてその内の一つを購入したのでした。これらの作品からも分かる様に、林晃久は線描の名手でどんな物でも(たとえば、ビニール傘やティッシュの空箱や、バイオリンのケース、果てはウエットティッシュの入ったビニール袋まで)キャンバス代わりにしてしまうのです。その線描の美事さに私は常々、19世紀末のムーランルージュを舞台にパリの夜の世界を描いた、あのロートレックの幻影をみる思いをしているのです。この混沌とした画面の中には華麗なる自己倒錯の無限地獄から冷めた眼で現世を見つめる作家、林晃久が居て、分身のマロン・フラヌ―ルと共に21世紀初頭の日本の夜の新宿に棲息して、その絵画世界の肥やしとなる獲物を探し続けているのです。貴方もその肥やしとなってみたいと思いませんか?
卯の花と競いて咲きし道の華(まんぷく)
*道の華;盛り場等の道に華々しく咲いている嘔吐物の事