11 長谷川潔 (1891~1980) 「花」 



福田豊万(千葉県市川市)

11 長谷川潔 (1891~1980) 「花」 銅版画 紙
25.0×18.0cm  1945 年制作


「白昼に神を視る」 上掲の作品は、私が長谷川潔を35年程前に知って、やっとその作品の素晴らしさ
が分かりかけてきた15年程前、私の前に現れたのでした。1945年、第2次世界 大戦終戦の年、フランスで困難な生活を強いられていた長谷川潔にフランスを代表す る銅版画家6名の作品集制作の話がもたらされる。その画集はダブルスイート(1点 は版上サインのみ、他の1点は自筆サイン、エディション入り)の贅沢なものである。 これを私が買う事が出来たのは、フランスの作家は2点揃っているが、長谷川潔の 作品「花」は版上サインのもの1点だけの為だった。しかし不思議な事に他の作家の 2点を見比べてみると、版上サインの方がどれも版の仕事が進んでいて明らかに完成 度が高いのです。このあたりの事情を誰か教えて頂ければ幸いです。そしてこのアク アチントでレースが転写され、春の草花が切り子グラスに活けられた作品は長谷川潔 の言葉「白昼に神を視る」をそのまま作品にした如く、その技術は熟練を極め、高邁 な精神を表現して見る者の目と心を釘付けにするのです。作者54歳、まさに脂の乗 り切った時代の代表作です。以降、長谷川潔はその代名詞であるマニエール・ノワー ル(幽玄の白と黒の宇宙)の深化と完成への道をひたすら歩むのです。勿論、他の銅版画の技法も日本が世界に誇りうる作品を残しています。 1980年、京都国立近代美術館で回顧展が開かれた年、日本へ1度も帰ること無くフランスで89歳の生涯を閉じたのです。

万物に神宿りいる白昼の路 まんぷく

12 伊原宇三郎 (1894~1976) 「ロシア貴族ガロチェンコ夫人」



和田孝明(埼玉県川越市)

12 伊原宇三郎 (1894~1976) 「ロシア貴族ガロチェンコ夫人」 油彩 キャンバス
12F 1925年制作


本作品は、渡仏時に描かれた「ロシア貴族ガロチェンコ夫人」である。 作者は、渡仏時代ルーブル美術館に頻繁に通いドミニク・アングルの「グランドオダリスク」等の古典絵画を模写した。こうしてヨーロッパ絵画の伝統を重んじつつ、 モニュメンタルで古典の静かな香気が漂う画風を確立していった。
落ち着いた雰囲気をかもし出している夫人は、緻密に積み重ねられた思考と油彩へ の深い理解による高度な技巧により描かれている。
そのため100年近くたった現在でもその輝きを失っていない。 作品をみたあとも想いが深く心に残るのは、作者が夫人の内面まで見事に画面に描き出しているからと思われる。

13 澤田政廣 (1894~1988) 「少女坐像」



増田一郎(静岡県浜松市)

13 澤田政廣 (1894~1988) 「少女坐像」 素描 紙 10P 制作年不詳


私は、平成11年春から平成15年秋まで5年間にわたり芥川賞受賞作家吉田知子 氏のお力添えで文芸誌「荒土」を10号まですべて私の賄いで発行しました。
その中で8号の表紙絵に採用したのがこの「少女坐像」です。8号の発行に際し表 紙絵として気に入る作品がなく探している時、熱海市にある澤田政廣記念美術館を訪 れた時ちょうど、「澤田政廣素描展」を見て購入したものです。
今までに美術館、画廊、喫茶店、公民館などで私のコレクション展に展示する度に 人気があった作品です。

14 関口誠 (1898~1984) 「婦人像」



堀良慶(千葉県柏市)

14 関口誠 (1898~1984) 「婦人像」 油彩 キャンバス 
35.0×27.3cm 1956年制作


柏市のX郵便局は特定郵便局です。関口誠のご遺族をこの郵便局に十数年前に訪ね ました。ドキドキする瞬間です。X郵便局長にお会い出来ました。「画家の関口誠は たしかに私の父です」と50歳位の局長からご返事いただきました。「私は柏市の駅 の前にある桂林画廊の園部社長から関口誠という素晴らしい作家がいたことを聞いて お尋ねしました」、「出来れば柏わたくし美術館で何時の日にか!関口誠展を開催し たい」と告げました。「そうですか母が未だ健在で、今日は家に居ると思います」と 回答いただき郵便局の隣にある関口邸を訪ねました。1000坪以上と思われる広い 敷地に大きな日本庭園と大きな木造の邸宅です。お母様(奥様)は高齢でしたがお元 気で「遺作展は私に残された仕事、額に入れて上げないと、遺作展は柏高島屋と相談 したい」とご回答いただきました。さて厚塗りでフォーヴィスムな「婦人像」は、我 孫子のFさんから譲っていただいた作品です。その後、関口誠の名を聞くことはあり ません。このまま埋もれてしまうのかも知れません。何時の日か、作品を見せてもら う為、もう一度、関口邸を訪ねてみたいと思っています。

15 中村忠二 (1898~1975) 「アラウヒト」



鈴木忠男(東京都江東区)

15 中村忠二 (1898~1975) 「アラウヒト」 水彩・鉛筆 紙 
20.8×14.5cm 1963年制作


91年、G川船の個展で購入。洗う人は妻の伴敏子だろうか、同じ絵のモノタイプ 版画もある。忠二については藝林で知ったのか、それ以前なのか記憶が定かではない。 いや「花と虫とピエロと」(76年、自筆水彩画1葉入り)を既に持っていた。谷 中安規なら昔から知っているので、何故今頃、画廊(藝林)で「白と黒」を扱うのか と当時思ったものだ。忠二の1万点の内の千点位を梅野さんは買ったのだろう。モノ タイプ、水彩画、水墨画の遺作展を見て何点か蒐集した。今年は記念絵画館の展覧会 を見に行った。自費出版の「虫たちと共に」(71年)など計5冊も展示されていた。 それを藝林で見たおりには、手に入れたいものだと願っていたら4年前頃の古本市 目録に1冊ずつ出品され、注文して5冊共買うことが出来た(注文者は1人だけで抽 選なしだったのだろう)。練馬区に住まい警らの仕事をして、ガラス板を拾いモノタ イプ版画の材料にした。未だに練馬区立美術館で遺作展を開催しないのが不思議なのだ。

16 横尾泥海男 (1899~1956) 「飯田橋」



薄井良昭(東京都墨田区)

16 横尾泥海男 (1899~1956) 「飯田橋」 油彩 キャンバス 10F 1950年制作


平成14年、作者遺族が有楽町交通会館地下サロンで開いた遺作展で入手した。 その当時は、技量は未熟・稚拙との印象をもったが、私観ながら最近、その中に素朴な味わい深さが感じられるようになってきた。
「飯田橋」には、昭和33年頃より毎日のように総武中央線を利用していた者として は、記憶にあるあの辺りの風景、神田川の面影がまだ僅かながら残っている絵でもあ り、懐かしく思い入手した。
作者の住まいのあった杉並と蒲田撮影所からそう遠くない風景や静物を画題にして いたものが多かった。

17 横尾泥海男 (1899~1956) 「港」



薄井良昭(東京都墨田区)

17 横尾泥海男 (1899~1956) 「港」 油彩 キャンバス 10F 制作年不詳


この作品も平成14年、作者遺族が有楽町交通会館地下サロンで開いた遺作展で入 手した。
「港」は、逗子か葉山であろうと推察する。出港する連絡船の雰囲気がもの悲しい。 画家として無名のこの作者の作品は、こうした機会を逃しては金輪際日の目を見るこ とはないであろうことにより出品を決意した。

18 畦地梅太郎 (1902~1999) 「雪の中の太陽」

 

小松富士男(埼玉県久喜市)

18 畦地梅太郎 (1902~1999) 「雪の中の太陽」 木版画 板・和紙 
31.7×24.2cm 1962年制作


畦地梅太郎は小学校卒業後独学で一路木版画制作を続けてきた。作品の種類は2000 を越すという。
大正12年の関東大震災後、内閣印刷局に勤めていたころ、鉛版部門にいた畦地は溶け た鉛の湯が平面に固まるのを見て釘でひっかき形象を刻んだ。印刷インキをつけ紙をのせ 湯呑茶碗の丸みでこすると、ひとつの版画的表現の「風景」画ができた。その出発点から ずっと創作版画運動の体臭を遺し、木そのものの肌を版画的表現の中で解放してきた。
畦地はつぶやく。「わたしの作にも多弁はない。ひと筋の道だけをとぼとぼ歩きつづけ ているのみである」と。(版画事典・東京書籍による)
掲載の作品は、山男シリーズのうちの2点(NO.18・19)である。技巧に走らずなんと もおおらかでユーモアにあふれており愉快である。

19 畦地梅太郎 (1902~1999) 「初冬の声」



小松富士男(埼玉県久喜市)

19 畦地梅太郎 (1902~1999) 「初冬の声」 木版画 板・和紙 
31.0×24.3cm 1963年制作


山男の顔はコオロギの容貌と化している。 愛とペーソスに包まれたなんとも魅力的な作品である。 作者のお人柄そのままなのだろう。

20 田村孝之介 (1903~1986) 「福井・水月湖之景」



松尾陽作(千葉県我孫子市)

20 田村孝之介 (1903~1986) 「福井・水月湖之景」 油彩 キャンバス
24.3×41.0cm 1935年制作


福井県の三方五湖の真ん中、水月湖。 その湖底の泥の層が日本の地質学上、貴重な「地縞」をなしていると近年、多少、認識されてきた湖。今から80年も前にその水月湖の湖畔を描いたもの。 なかなかすっきりとした描き方。
「佳品!」