31 月形那比古(1923~2006) 「赤富士」
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太田貞雄(東京都八王子市)
31 月形那比古(1923~2006) 「赤富士」 油彩 キャンバス F8 1988年制作
月形那比古は洋画よりむしろ陶芸家として有名であり、特に志野焼を発展させた「鬼志野」の創設者でもある。通常の志野を「静」とすれば、鬼志野は「動」の焼き物である。
古式な穴窯を赤松の薪で焚いている時、噴きあがる黒煙の中の見える紅蓮の炎は、真赤な光背を背にした不動明王が目を見開いているような神神しさを覚えるものである。今回出品した「赤富士」の赤の塊も、夕日を浴びた富士の色と言うだけではなく、このような窯焚きの紅蓮の炎を連想させ、躍動感を一層際立たせるものとなっている。
陶芸家である月形那比古ならではの油彩であり、名品の一つと自負している。
3 2 金子周次(1909~1977) 「海鳴の林」
此木紀子(千葉県匝瑳市)
32 金子周次(1909~1977) 「海鳴の林」 多色刷り木版画 紙 23.0×33.0cm 1970年代制作
背中に籠を背負って長い棒を持ち何をしているのだろう、辺りは一面の林である。金子の版画は一枚ずつ摺りが違っていて、ひたすらに心にあるものを表現しようと摺り続ける。
紙がある限り。この絵では上の部分の水色に、彼のこだわりが見える。最初は林を通して見えるであろう青い空としか思わなかった。しかし、更に見ていくとその先は海ではないか、海鳴りの音が、潮の匂いがするような気がした。このような情景は、最早無くなってしまったが、当時を知る人は、薪を拾って歩く様子が懐かしいと絵の前に立ち止まった。
33 此木三紅大(1937~ )「昔日の女」
此木紀子(千葉県匝瑳市)
33 此木三紅大(1937~ )「昔日の女」 イコン画 板、油彩、箔 変形5号 1988年制作
作者はこの時代は主にイコン風な板絵を手掛けた。この朽ちた板に金箔を貼り昭和の初めに生きた女を描いた。モデルが誰かれという事もないが、素性がどうのこうのという事もないが、作者とどんな夢をみたのだろうか、何故か勝手にこの女の物語を創りだしてしまうのである。
3 4 山本 弘(1930~1981) 「赤おに」
福田豊万(千葉県市川市)
34 山本 弘(1930~1981) 「赤おに」 油彩 キャンバス 10 号 1978 年制作
画家「山本弘」に〈泣き顔の鬼の絵かけて春隣り〉
私は、立春が近づく頃になるとこの山本弘の鬼の絵を掛けるのが数年来の習いになっており、去年はほとんど一年中、我家の狭い壁面を占領していました。
強烈な印象を残して世を去ったこの画家の心の中に住んでいたのであろうこの鬼は、よくみるとなぜか心弱そうで、自分の醜い姿に泣き出しそうな顔をしてこちらを見つめているのです。
この鬼は又、誰の心の中にでも住んでいる鬼を描いているようで、私の心の中にも居る鬼と兄弟の様にも思えるのです。
この絵は激しい筆使いにもかかわらず、見つめていると画中に引き込まれるような静寂感を漂わせていて画家が自分の心の中を深く見つめている思いが伝わってきます。この絵は山本弘の代表作の一つであると思います。私はもっと山本弘の事を知りたいと思いますし、皆様にも知って頂きたいと願っております。
35 オチ・オサム(1936~ )「フォンタナに捧ぐ」
山瀬一洋(福岡県粕屋郡)
35 オチ・オサム(1936~ )「フォンタナに捧ぐ」 油彩 木 30.0×20.0cm 制作年不詳
1960年前後に「反芸術」を掲げる美術運動が、日本国内に起りました。
大阪では「具体美術協会」、東京では「ネオ・タダ」、九州では「九州派」等です。
オチ・オサムは「九州派」の中心メンバーの一人であり、「もの派」の先覚者的存在であり、現在も活動を続けている作家です。
「もの派」とは卑俗をもってエネルギーとなす。とは美術評論家 中原佑介氏の言葉ですが、この作品をご覧になる皆様は、いかが感じられますでしょうか?
3 6 田淵安一(1921~2009) 「噴火」
鈴木正道(千葉県柏市)
36 田淵安一(1921~2009) 「噴火」 墨 紙 30.0×24.0cm 1982年制作
田淵安一氏は1921年(大正10年)生まれ。この前後の年齢の男性の多くは戦死、あるいは無事復員できたとしても、心の片隅に戦争の傷跡を残しています。氏も1943年、学徒動員で海軍へ入隊。偶々、カッター訓練の際、桜島の噴火に出会い、強烈な印象を受けました。後年の花を火山に見立てた連作は、この記憶に基づいて制作されたようです。
氏は辛い体験を「天与の明るさ」で、鮮明な色調の抽象画へ昇華させました。1996年、神奈川県立近代美術館での個展、私も見ました。これぞ桂枝雀の世界、こう思いました。ミーハー族の私は、帰途、心ならずも笠置シズ子の「東京ブギウギ」を口ずさんでいました。田淵ワールドは「船頭小唄」や「酒は涙か、溜息か」とは対極に位置する世界です。
さて、この水墨画「噴火」、多分、即興画でしょう。多くの画家は婦人像か、花を描くところですが、氏の場合、樹や火山が主なようです。この画は、茶掛けに表装し直してもよいでしょう。
「彼は、白雪もいただいて聳える美貌の火山に、こっそり、男のものを捧げた、という話だ。乳房山。身体ごとすっぽり入れる火山陰器。今日、確かな手わざのおかげで、生きていた火山と画布の上で再会する」。(ピエール・アレンスキー「拾いものをした絵描き」田淵安一訳 1970年)
3 7 野村正三郎(1904~1991) 「隣の坊や」
野口 勉(埼玉県鶴ケ島市)
37 野村正三郎(1904~1991) 「隣の坊や」 カシュー漆画 板 F3 1985年制作
油彩と異なる技法に苦労はあったようですが、カシュー漆を絵画に応用しようとした試みは見事に成功します。
カシュー漆の特徴は滑らかでありながら堅牢さを持ち合わせています。
キャンバスに代わる合板とマッチし油彩に勝るとも劣らない重量感をかもしだすのです。
この技法のパイオニアたる野村正三郎はカシュー漆画と名づけ精力的に活動を続け後進の育成にも努めました。
作品は隣家の少年を描いたものですが中間色を多用し愛らしさと優しさを巧みに表現しています。
* カシューとは、主原料のカシューナッツ(食用)の実の殻から抽出した成分の合成樹脂塗料です。
光沢があり高樹脂分のためふっくらとした肉持ち感があります。漆かぶれはなく色数と種類も豊富です。
38 安藤信哉(1897~1983) 「湖畔全景」
中村儀介(千葉県木更津市)
38 安藤信哉(1897~1983) 「湖畔全景」 油彩 キャンバス 8号 1983年制作
39 岩崎巴人(1917~2010) 「燃える樹」
中村徹(神奈川県川崎市)
39 岩崎巴人(1917~2010) 「燃える樹」 日本画 紙 89.0×55.0cm 制作年不詳
10年前銀座のギャラリーKで出会った絵は、水墨画家岩崎巴人としは、一風変わった絵である。しかし、異色で、自由な表現を追求した巴人の経歴を知れば、フォービズムの影響を受けていることがわかる。
巴人については、
1 かつて河童の絵巻物を観たことがあり、その河童の表情は飄逸であり、30歳代終わりに茨城・牛久沼で河童の研究に没頭したことを知る。
2 1930年代半ば以降、大田区馬込に居住し、青龍社展に出品したことがある。
3 銀座でバー「ときね」を経営する、富山出身の現代の異色画家谷口仙太郎氏から、谷口山郷や巴人の ことを聞き、さらに巴人に親近感をいだく。
新美術新聞2006年6月1日号に巴人の記事が1面に掲載された。居住地千葉・館山まで会いに行きたい、と思ったが果たせなかった。一度会ってみたい人物、巴人は2010年に鬼籍に入られた。
巴人は小学生の時、1930年協会展に出品したことがあり、同協会を結成した里見勝蔵らと言葉を交わしている。本作「燃える樹」はフォービズムの影響が認められ、そのフォーヴは、富岡鉄斎風の大胆なフォービズムともいえる。
巴人はこれからも大いに評価されてよい画家である。
40 池田満寿夫(1934~1997) 「ダンサー」
小松富士男(埼玉県久喜市)
40 池田満寿夫(1934~1997) 「ダンサー」 水彩 色紙 27.0×24.0cm 制作年不詳(1950年代?)
1950年代まで各地の小学校では夏休みの家庭学習帳として「夏休みの友」を採用していました。発行元の小さな出版社に彼はトレーサーとして制作を兼ねてアリバイトをしていました。関係者の計らいで池田に表紙のデザインが任されました。「夏休みの友」の表紙は極めて斬新な銅版画で飾られました。
編集に携わった人たちが、彼の激励を兼ねて慰労会を催した席で満寿夫はお礼に即興で何枚かの色紙を描いたそうです。これはそこに同席していた方からいただいた貴重な一点です。繊細洒脱な表現から後の大成がうかがえます。