11 今西中通(1908~1947) 「風景」 



小倉敬一(埼玉県さいたま市)

11 今西中通(1908~1947) 「風景」  油彩  キャンバス   15.5×22.5cm  1941年制作

 今西中通は、日本が激しい動乱・混乱のさなかにあった1930年代から40年代を、足早に駆け抜けていった夭折の画家である。
 画風はフォーヴィズムからキュービスム、セザンヌ風、そして独自な表現の具象画へと様々に変転していったが、その底には一貫して清らかな詩情が流れていた。純粋かつ情熱な人柄は多くの人に慕われていたという。
 この作品の裏面には1941年9月の記載がある。その前年、今西中通は当時不治の病とされていた結核を発病。翌年、転地療養のため、姉の嫁ぎ先である香川県坂出市へ移ったのである。この絵はその地で描いたものと思われる。
 初秋の冷気が山麓の村をつつむ頃、宵闇の迫るなかで一心にキャンバスと向き合っていた画家の胸中には、どのような思いがよぎったのであろうか。暗さのなかの清冽な流れが心に響く。

12  荒井龍男(1904~1955) 「顔」




野原宏(埼玉県久喜市)

12  荒井龍男(1904~1955) 「顔」  油彩  キャンバス  28.0×21.0cm  制作年不詳

荒井龍男はフランスから帰国後昭和12年(1937)自由美術家協会に属して第一回展に出品して活躍したが戦後昭和25年(1950)村井正誠、山口 薫、矢橋六郎、小松義夫等と一緒に荒井も自由美術家協会を離脱してモダンアート協会を結成した。1951年第一回モダンアート協会展が開催された。
昨年、東京都美術館が大改修され新装開館した機会に、モダンアート協会創立会員による第一回の出品作による特別展示室が設けられ、私の所蔵する「夜色」が展示されました。改めて荒井龍男の実力と同時代の画家に与えた影響の一端を知ることが出来ました。
この作品も見るものを引き付ける存在感があります、お楽しみください。「夜色」は大きな作品ですのでまたの機会にご覧いただきたいと思います。

1 3 青山義雄(1894~1996) 「ニース風景」



佐藤裕幸(東京都品川区)

13 青山義雄(1894~1996) 「ニース風景」  油彩  カルトン  5F  制作年不詳

青山義雄の絵の特徴は、芳醇な色彩にある。
渡仏し、マチスにその卓越した色彩感覚を認められる。
ニースにアトリエを構え、主に南仏風景を描いた。

14 青山義雄(1894~1996)  「静物」



佐藤裕幸(東京都品川区)

14 青山義雄(1894~1996)  「静物」  油彩  キャンバス  10F  1947年頃制作

青山義雄は、終戦後、数年間、房州鵜原に住んだ。
この静物画は、この頃に描いた作品と思われる。
彼は、この時期、AO.と言うサインを使っている。

15 赤松麟作(1878~1953) 「大阪三十六景(天王寺公園)」



佐々木征(千葉県船橋市)

15 赤松麟作(1878~1953) 「大阪三十六景(天王寺公園)」  木版画  紙    24.6×32.0㎝  
1947年制作
 
赤松麟作は、常々収集したいと考えていた画家の一人である。理由は明治32年7月東京美術学校西洋画科選科を卒業した五名の中の一人と言う点に着目した。因みにそのメンバーは、赤松麟作、山本森之助、田中寅三、廣瀬勝平、濱中鐵也である。その内、廣瀬は大正9年、濱中は明治39年にそれぞれ没しており作品の収集は非常に困難である。一方、山本と田中については作品を所蔵しており、残るはただ一人赤松に絞られたわけである。しかしながら今まで赤松の油彩画に巡り合う機会がなく、最近、この木版画に出会い迷わず購入した経緯がある。私はこの版画と出合った当初、私の知る赤松の油彩と余りにも画風(雰囲気も)違うと感じたため贋作を疑った。しかしながらその後の調査で、昭和22年に《大阪三十六景》を制作しており、その中に《天王寺公園》が含まれていることがわかった。白馬会第6回展で《夜汽車》が白馬賞を受賞した同じ画家の作品とは考えにくいが、むしろ肩の力が抜けて飄々とした作風も違った味があると思っている。
ところで《大阪三十六景》は昭和42年に復刻版が学習社から刊行されているが、古色の状態等から手元の作品は昭和22年作と判断している。

16 マージョリー・ベイツ(1883~1962) 「ロンドンの骨董店」



佐々木征(千葉県船橋市)

16 マージョリー・ベイツ(1883~1962) 「ロンドンの骨董店」  銅版画 紙  17.7×12.3㎝  
制作年不詳

 現役の頃、同じ社宅住まいの同僚夫人から「この版画が欲しいと言われた」我が家で唯一の作品である。同僚は家族ぐるみでロンドン駐在員経験があり、とくに夫人はこの手の古い版画をレストランなどで見かけ常々欲しいと思っていたらしい。夫人は偶然、自身がイメージしていたものと同じような版画を我が家で目にして、思わず「この版画が欲しい」と口にしたようだ。
 私は以前、都内の骨董市で目にし、飾って楽しむのに丁度良いとの思いから購入したものである。勿論、作者は不詳でしたが、元額で作品の状態も良くサインもあり、後日、作者の調査ができる可能性を期待したことも購入の決め手となった。
 その後、町田市立国際版画美術館に照会のところ、佐川美智子氏(当時の学芸員)から作者の略歴などを教えていただいた逸品である。小品ながら当時の骨董店の雰囲気が私には伝わって来て、彼の地の骨董店に思いを馳せながら紅茶を楽しむ時間を私に与えてくれている。・・・・だから手放せない。

17 瑛九(1911~1960)  「女の夢」」



上村真澄(宮崎県児湯郡川南町)

17 瑛九(1911~1960)  「女の夢」  エッチング  紙  12.0× 10.5cm 1983年後刷

第9回コレクション展に出展する機会を与えて下さり心から感謝申し上げます。

初出展の作品として選びましたのは、我が郷土の作家瑛九です。瑛九は生涯に渡り、油彩・リトグラフ・ペン画・エッチング・フォトデッサン等様々な技法に挑戦しました。とりわけエッチングはコレクターが安価で求めやすいようにとの思想があり、後摺り含めて数多く残されています。作品名「女の夢」はピカソのようなマティスのような捉えどころのない自由さと、愛妻家であった女性に優しいお人柄がにじみ出ているようなモチーフが好きです。そして、もっともらしい美しい作品を描くことより挑む姿勢の過程を垣間見るような瑛九自身のとらえどころのなさに「惚れちゃったな」と白旗を上げています。
思考して描く線。思考より先に指先が描いたような勢いのある線。はらはらと心を試したようなはかない線をお楽しみくださいませ。瑛九が没した後、瑛九が挑みたかった事の延長、今度は私が普及の形で挑み始めました。それが私の「女の夢」なのです。

1 8  瑛九(1911~1960)  「春のワルツ」 

 

野原宏(埼玉県久喜市)

18  瑛九(1911~1960)  「春のワルツ」  リトグラフ  紙  41.0×26.0㎝  1956年制作

瑛九のリト全作品158種は1956年~1957年の二年間だけの短期間に限って制作されたと聞いています。その時はリトの病にかかったようだと言はれるほど、制作に没頭したようです。体力的に恵まれなかった作者をそれほどまでに魅了したものは何だったのでしょう。
生誕100年記念瑛九展が開催され、改めて瑛九の多彩な才能と48歳という時間の濃密さを知ることが出来ました。私も瑛九大好き人間の一人と自負しています。線も良し、色も良し、形も良し、点までも良し、そして誰もまねのできない日本を代表する美術家だと確信しています。 

19 横山 操(1920~1973)  「水映」



阿部真也(水戸市) 

19 横山 操(1920~1973)  「水映」お化け煙突 彩色・絹本  75.1×52.3cm 1960年制作

今や東京スカイツリーで賑やかな下町に、かつては人気者のお化け煙突があった。

昭和元年、隅田川岸に建てられた東京電力千住火力発電所である。高さ83.8メートル、直径4.5メートルの巨大な4本の煙突は、見る場所により、重なりあって3本、2本、1本にも見えた。この場所での役目を終えて昭和39年に取り壊されたが、記念として煙突の一部が隣接の小学校の滑り台になっているという。お化け滑り台とでも呼ぶのであろうか!子供の頃、両親に連れられ、水戸から上野まで各駅停車で3時間、お化け煙突が見えると憧れの東京である。今は車で1時間、スカイツリーが煙突の代わりに出迎えてくれる。白い形も煙突に見える! 夜のヒュンと回転するイルミネーションもロマンチックだ! 敬愛する横山画伯が、私の好きな「お化け煙突」を描いてくれたことはとてもうれしい。この絵は東京へのノスタルジー、懐かしい思い出の風景です。
 

20 牧野 宗則(1940~ ) 「五彩の海」



中村徹(神奈川県川崎市)

20 牧野 宗則(1940~ ) 「五彩の海」  木版画  紙  63.0×78.0cm  1991年制作

20年前の私にとって、版または版画といえば、浮世絵ではなく、また山本鼎、長谷川潔、浜口陽三、清宮質文や野田哲也などの作品ではなく、黒崎彰であり、牧野宗則であった。
なぜこの二人か、といえば、作品との出合いとともに、色彩の肌合いが合った、というべきであろうか。黒崎のことはいずれどこかで触れる。

牧野は、江戸時代の伝統浮世絵木版画の技法を習得し、刻み、刷り等すべての制作工程を自身一人でやってのけていた。分業のイメージが強い木版画制作の世界で、一人で版に挑む牧野の姿は、色彩とともにまぶしかった。
画廊でみた「五彩の海」は鮮烈であり、いま見てもその鮮やかさは消えない。当時、作品の色の鮮やかさを保ちたくて本作品をタトウに入れ、この作品のポスターを部屋に飾っていたことを思い出す。

ただし、20年を経た今の私にとって、牧野の木版画作品への評価は変わらないが、いまから思えば驚くべきその価格があれば別の作家の油彩作品を購うかもしれない、ということを、正直告白せざるを得ない。