第10回コレクション展 作家略歴(五十音順) 

靉嘔(1931~ )あいおう
1931年茨城県玉造町生まれ。本名は飯島孝雄。在学中の1952年、瑛九らのデモクラート美術家協会に参加、同展に出品(1957年解散)。1954年、東京教育大学芸術学科卒。1955年、池田満寿夫らと「実在者」を結成。1958年、ニューヨークに渡り制作活動。1962年、前衛芸術グループのフルクサスに参加、ハプニングを繰り返す。その後、ニューヨーク、ケルンで個展。1966年、長岡現代美術館賞展大賞。ヴェネチア・ビエンナーレ展の日本館に虹色の部屋を作って話題を呼ぶ。1967年、ケンタッキー大学で教鞭をとる。1969年、ジャパンアートフェスティバル最優秀賞。現代日本美術展で京都国立近代美術館賞。1970年、東京国際版画ビエンナーレ展で東京国立近代美術館賞。1971年、サンパウロ・ビエンナーレ展受賞。1976年、ニューヨーク近代美術館で38点を展示。1980年、リストール(アイルランド)、クラコー(ポーランド)の両国際ビエンナーレ展で受賞。1987年、パリ・エッフェル塔の先端から300mの虹色の旗を吊るすイベントを実現した。

相笠昌義(1939~ )あいがさ・まさよし
1939年、東京日本橋浜町生まれ。1957年、聖学院高校卒。1962年、東京藝術大学油絵科卒、小磯良平教室。1971年、シェル美術展3等賞。1979年、芸術選奨文部大臣新人賞、文化庁在外研修員としてスペイン滞在。1982年、安井賞。1987年、池田20世紀美術館で個展。1988年、多摩美術大学教授。2004年、町田市立国際版画美術館で個展。2006年、母校聖学院礼拝堂のステンド・グラス原画完成、一般公開。2008年、損保ジャパン東郷青児美術館大賞。多摩美術大学美術館で個展。2009年、多摩美術大学を定年退職。茨城県つくば美術館で個展。2010年、損保ジャパン東郷青児美術館大賞受賞記念展。

青木勤(1944~ )あおき・つとむ
1944年、東京生まれ。1967年、武蔵野美術大学産業デザイン科卒。2008年、大手広告会社役員退任後、本格的に水彩画の創作開始。2009年、英国の静かな田舎町コッツウォルズ等を巡るスケッチ旅行。2010年、銀座・ギャラリーナミキで第1回個展(以降2012年に第2回)。

阿部広司(1910~1992)あべ・ひろし
1910年、福島県生れ。磐城中学校卒。1934年、東京府青山師範学校卒。石川寅治に師事。群馬県立高崎中学校、東京女子高等師範学校で教鞭を執る。日本女子体育短期大学教授を歴任。1948年より連続して日展入選。のち日展会友。1949年、日本水彩画会会員、のち理事。1950年、示現会会員、のち理事。1992年、東京で没、享年81歳。

悳俊彦(1935~ )いさお・としひこ
1935年、東京生まれ。1953年、高校在学中に示現会入選、日本水彩画会入選。1958年、武蔵野美術学校洋画科卒、森芳雄、山口薫、麻生三郎らに学ぶ。1964年、国際青年美術家展入選。1970年、日本橋画廊で初個展。以降、轍画廊、あかね画廊、スルガ台画廊などで個展。1981年、テレビ朝日「徹子の部屋」で武蔵野風景紹介。1983年、風土会に入会、以降は大作を風土会展で発表。1987年、日本テレビ「ぶらりにっぽん」で武蔵野風景紹介。2010年、河鍋暁斎記念美術館で個展。京都造形芸術大学付属康耀堂美術館に作品多数収蔵。浮世絵研究・解説者としても著名。

伊藤久三郎(1906~1977)いとう・きゅうざぶろう
1906年、京都市生まれ。1923年、京都市立美術工芸学校絵画科本科卒。1928年、京都市立絵画専門学校卒後上京して1930年協会研究所に学ぶ。1929年、二科展初入選し以後も出品。1937年、新美術家協会会員となる。1938年、二科の前衛グループ九室会に参加。1941年、二科会会員となる。戦後は京都に戻り1946年、行動美術協会に参加し会員となる。1956年、アート・クラブ会員。1962~72年、成安女子短期大学教授をつとめた。1977年、京都で没、享年、71歳。

伊とうはるこ(1944~ )いとう・はるこ
1944年生まれ。1966年、女子美術大学洋画科卒。福沢一郎に師事、安宅賞受賞。1971年、人形オブジェ展(村松画廊)。1988~93年、ウィーン派アートスクール(川口起美雄教室)。1989~90年、ネオ・メディーバル展(朝日ギャラリー)。1991年、ネオ・メディーバル展(ストライプ美術館)。1992~93年、マルシューレシュテルン展(ギャラリーモテキetc)。2004年、特許庁退官。2005年、個展「宙空の顔s1」(青木画廊ルフト)。2008年、個展「宙空の顔s2」(青木画廊ルフト)。2014年、個展「宙空の顔s3」(青木画廊)。その他グループ展多数(1995~2014年)。千葉県柏市在住。

岩間正男(1926~2013)いわま・まさお
1926年、岩手県大槌町生まれ。1953年、独立美術協会展新人賞。1954年、プールブー賞。武蔵野美術学校卒。1955年、美術文化協会会員。1957~58年、第1~2回安井賞候補新人展に選抜。1958年、新象作家協会創立に参加。1961~63年、アメリカ、メキシコに渡る。1978年、商業空間デザイン賞。彫刻や絵画など多彩な作品を手掛け空間造形は全国各地の公共施設などに設置されている。1985年、「遠野物語」などを題材にした東北の精神性を表現する活動が評価され第35回河北文化賞受賞。1987年、日本図書館協会建築優秀賞。2013年、北上市で没、享年86歳。

浮田克躬(1930~1989)うきた・かつみ
1930年、東京生まれ。1944年、小林萬吾にデッサンの個人指導を受ける。中学3年修了で東京美術学校特例入学、安井曾太郎教室。1950年、東京美術学校油画科卒。新制作派協会展初入選。1954年、田崎広助に師事。1957年、第13回日展初入選。1958年、一水会展安井奨励賞。第1回新日展「丘の工場」特選。1959年以降8年間、北海道をテーマに「北の風景」シリーズを描く。1967年、初渡欧以降、フランス、北欧、ブラジルなどの風景を描く。1968年、昭和会賞。1979年、伯コメンダドールオフィシャル章。1986年、宮本三郎記念賞。1988年、日展内閣総理大臣賞。日展評議員、一水会常任委員、ブラジル芸術協会名誉会員、日伯美術連盟理事などを歴任。1989年、没、享年59歳。

梅原龍三郎(1888~1986)うめはら・りゅうざぶろう
1888年、京都市生まれ。本名は良三郎(通称説もあり)。1903年、京都府立第二中学中退、伊藤快彦の画塾鍾美館に通う。同塾が聖護院洋画研究所と合併のため同所で学ぶ。1906年、関西美術院で浅井忠に師事。1908年、田中喜作と渡仏、アカデミー・ジュリアンに学ぶ。1909年、ルノワールに師事。1913年、帰国、神田ヴィーナス倶楽部で白樺社主催「梅原良三郎油絵展覧会」滞欧作110点展示。1914~17年、二科会創立会員(梅原竜三郎)。1920~21年、再渡欧。1922~25年、春陽会創立会員。1926年、国画創作協会洋画部設立。1928年、国画会発足。1935年、帝国美術院会員。1939~42年、北京を度々旅行。1944~52年、東京美術学校教授。1952年、文化勲章。ヴェネチア・ビエンナーレ展国際審査員。1957年、朝日文化賞。日本芸術院会員を辞退。1969年、自作を東京国立近代美術館へ寄贈。1973年、仏コマンドール勲章。1986年、東京で没、享年97歳。1988年、東京国立近代美術館で遺作展。

榎倉省吾(1901~1977)えのくら・しょうご
1901年、兵庫県小野町生まれ。1916年、神戸第一中学中退。1921~23年、姫路の歩兵連隊に入営。1924年、大阪地方展の芸術院展初入選。1927年頃より信濃橋洋画研究所の鍋井克之に師事。1928年、第5回槐樹社展入選(以降~7回)。第15回二科展初入選。1930年、第17回二科展出品(以降~30回)。1934年、二科特待。1937年、二科会友。1942年、二科会員。1943年、新文展無鑑査。戦後1945年、向井潤吉ら旧二科系有志の行動美術協会結成に参加。1946年第1回行動展出品(以降~31回)。1964年、アトリエを香川県小豆島に設ける。1977年、小豆島で没、享年75歳。

海老原喜之助(1904~1970)えびはら・きのすけ
1904年、鹿児島市生まれ。1922年、志布志中学校卒。上京、川端画学校に学ぶ。1923~34年、渡仏。藤田嗣治に師事。1923年、二科展初入選。1924年、サロン・ドートンヌ入選。1935年、独立美術協会会員に迎えられ「曲馬」出品。1945年、熊本県人吉に疎開。1946年、吉井淳二と南日本美術展を主宰。1951年、読売アンデパンダン展「殉教者」出品。1959年、日本国際美術展「蝶」最優秀賞。1960年、毎日芸術賞。神奈川県逗子に移住。1964年、「雨の日」芸術選奨文部大臣賞。1966年、再渡仏。1970年、パリで没、享年66歳。

大沢昌助(1903~1997)おおさわ・しょうすけ
1903年、東京生まれ。1928年、東京美術学校西洋画科卒、藤島武二教室。1929年、二科会展初入選、以降同展に出品。1942年、二科賞。1943年、二科会員。1954~1970年、多摩美術大学教授。1981年、池田20世紀美術館で個展。1982年、二科会退会。1991年、練馬区立美術館で回顧展。1995年、中村彜賞。1997年、没、享年93歳。練馬区立美術館で追悼展。

大塚左十志(1922~1990)おおつか・さとし
1922年、徳島県美馬郡生まれ。15歳で短歌と絵を始める。1942年、徳島県師範学校卒、教職に就くが応召。戦後1948年、画家を志し上京、株式会社フレーベル館入社し編集の仕事に就く。水道橋美術研究所で絵画を学ぶ。1959年頃から仏の姿を描く。1990年、没、享年68歳。2002年、梅野記念絵画館・ふれあい館で「大塚左十志展・樹下草上」開催。

加藤正(1926~ )かとう・ただし
1926年、宮崎県生まれ。1950年、東京芸術大学油画科卒。第3~12回読売新聞社主催アンデパンダン展出品。1952年、デモクラート美術家協会に参加。機関誌「DEMOKRATO」を編集発行、東京での活動の中心となる。1957年、東京国際版画ビエンナーレ展出品。版画、油彩、コラージュ、ビデオなど幅広く制作、「美術手帖」などにも執筆。1973~74年、滞仏。東京造形大学講師。1998年、加藤礁のペンネームで詩集「逆光線」を出版し詩人の活動開始。2001年、郷里宮崎で新芸術家集団「フラクタス」結成。2013年、米寿記念の詩集「薔薇海峡」出版。東京在住。

鹿子木孟郎(1874~1941)かのこぎ・たけしろう
1874年、岡山市生まれ。1888年、岡山高等小学校卒。松原三五郎の主宰する天彩学舎で洋画を学ぶ。1892年、上京し小山正太郎の不同舎に学ぶ。1895年、中等教員図画免許を受け彦根、津の中学教諭となる。1899年、留学のため埼玉師範学校で英語を学ぶ。1900年、満谷国四郎らと渡米。1901年、渡仏、アカデミー・ジュリアンに学びジャン・ポール・ローランスに師事。1904年、帰国、京都室町に画塾を開設し京都高等工芸学校講師となる。1905年、浅井忠らと関西美術院を創設。1906年、再渡仏、アカデミー・ジュリアン一等賞、「少女図」サロン入選。1908年、帰国、関西美術院長、第2回文展審査員。1909年、第3回文展「新夫人」出品。1911年、名古屋高等工業学校講師。1915~18年、渡欧。1918年、京都に下鴨画塾を開設。1931年、明治神宮聖徳記念絵画館「奉天入城図」制作。1932年、仏レジオンドヌール勲章。1941年、京都で没、享年66歳。号は不倒。1990年、三重県立美術館遺作展。

川崎光草子(1944~ )かわさき・ゆりこ
1944年、東京生まれ。日本女子大学卒。1984年、真樹会(田畑弘代表)入会。1985~2012年、真樹会展に毎年出品。1991年、個展。1994年、個展。1997~2014年、隔年で真樹会・レザン展に出品。1999年、個展、元陽展入選。2000年、新春画廊協会展に出品、新芸術協会展入選。2001年、新芸術協会選抜展に出品。2008年、野方・ギャラリーKANI個展(以降12年)。

岸田陸象(1919~2002)きしだ・りくぞう
1919年、長野県下水内郡旭村生まれ、本名は陸蔵。1937年、中村實のもとで農民美術工芸の指導を受ける。20歳で入隊、7年間の軍隊生活を経て復員。1947年、長野県展に木彫作品が初入選。1949年、中村直人に師事。1953年、直人渡仏のため新海竹蔵に師事し第38回院展初入選。以後連続入選して1957年、日本美術院院友となる。1962年、院展彫刻部解散に伴い創造美術会に彫刻部を新設して同展に出品を続け「瞑想の曲」が東京都知事賞など受賞を重ね運営委員も務めるが退会。1976年、日本美術家連盟会員。1984年、コンクール連展で埼玉県知事賞。1985年、長野県立信濃美術館で個展。日本現代美術家連盟理事。木彫、ブロンズを並行して制作、仏像、裸婦、オブジェと幅広い。2002年、没、享年83歳。

黒木一明(1956~ )くろき・かずあき
1956年、宮崎県西都市生まれ。1975年、宮崎県立高鍋高校卒。1983年、渡米、ドン・キューブリに師事。1986年、独立、ロサンゼルスにカズスタジオ設立。1990年、ドン・キューブリの紹介によりニューヨークで広告写真界の巨匠アーヴィング・ペンに会い受けた啓示「写真は究極的に哲学によって決まる」が後の写真活動の転機となる。1993年、広告写真から風景写真にフィールドを移す。1996年、シアトルに事務所を移転。2003年、帰国、宮崎県西都市にカズスタジオ設立、以降、故郷の自然と世界の自然という二つのテーマで活動中。主な展覧会・1998年、「The Color of America」展(富士フォトサロン東京、福岡)。2000年、「The Color of America」展(Pentax Forum東京)。「The Color of Saito」「The Color of Aya」展同時開催(九州、沖縄サミット宮崎外相会合記念イベント/朝日新聞東京本社、宮崎空港ビルギャラリー)。主な出版物・1999年、写真集「The Color of America」(鉱脈社)。2000年、「The Color of Saito」(鉱脈社)。2002年、写真集「風の色」(鉱脈社)。写真集「綾の色」(P.I.E Books)。2005年、写真集「やがて森の奥へ」(鉱脈社)。2007年、「風にゆれる風景」(鉱脈社)など著書多数。

小寺健吉(1887~1977)こでら・けんきち
1887年、岐阜県大垣生まれ。1911年、東京美術学校西洋画科卒、長原孝太郎らに師事。1912年、第1回光風会展出品。1913年、第7回文展初入選。1914年、第3回光風会展で今村奨励賞。1914~15年、第8~9回文展連続褒状。1923年、渡仏。1924年、光風会会員。1927年、再渡仏。1928年、滞欧作「南欧のある日」第9回帝展特選。戦後も光風会、日展に出品。1965年、美工出版「小寺健吉画業50年記念画集」刊行。1970年、日展参与。1977年、日動出版「小寺健吉画集」刊行。東京で没、享年90歳。

サミュエル・バウ(1822~1878)Samuel Bough
1822年、英・カーライルの靴屋の息子として生まれる。彫版を学ぶためロンドンに出るが帰郷、湖水地方を放浪してスケッチをする。1845年、マンチェスターに出て劇場の背景を描く仕事に就く。傍らマンチェスター、リバプール、ウースターの展覧会に出品し受賞する。1848年、グラスゴー、次いで1849年、エディンバラの劇場に仕事を移す。1848年以降はグラスゴーに住みこの間にオペラ歌手と結婚。1852年、劇場の仕事を辞めハミルトンに移住、風景画家としての研鑽を積む。1855年以降はエディンバラに定住、英国各地を旅行し生涯を過ごす。1856年、ロイヤルスコティッシュアカデミー準会員(A.R.S.A.)、1875年、同正会員(R.S.A.)。1856~76年の間、ロイヤルアカデミーにも15点の作品が展示される。1878年、エディンバラで没、享年56歳。

下郷羊雄(1907~1981)しもざと・よしお
1907年、愛知県鳴海生まれ。1928年、静岡高校中退。1929年、津田清楓洋画塾に学ぶ。1932年、第19回二科会展初入選。同年、津田塾名古屋研究所を開設するが1933年、閉鎖。1934年、第4回独立美術展入選(以降11、14回)。1935年、銀座紀伊国屋で初個展開催。新造形美術協会会員となる。瀧口修造らと親交、東海地方に前衛絵画を根付かせた。1937年、ナゴヤ・アヴァンギャルド・クラブ結成。1938年、写真集「メセム属」刊行。1939年、ナゴヤ・フォトアヴァンギャルド結成。戦後、「アブシュルド(不条理)芸術」を発表。1948~56年、美術文化協会会員。1963年、愛知県文化会館美術館で回顧展。1976年、火災により主要作品の多くを焼失。1981年、名古屋で没、享年74歳。

杉山惠子(1945~ )すぎやま・けいこ
2000年、八重洲カレッジ辻耕クラスで油絵受講。社内の美術部で東原均に師事。2006年以降、武蔵野美大オープン教室、東京芸大夏季講座、多摩美大生涯学習などを受講参加。2007年、芸大アンデパンダン展出品。2007~11年、第8~12回日美絵画展入選、佳作、学園賞。2008年、第21回上野の森美術館日本の自然を描く展入選、以降も上位入選。2011~13年、多摩美大生涯学習「墨で描く」受講中。千葉県柏市在住。

武内鶴之助(1881~1948)たけうち・つるのすけ
1881年、横浜生まれ。1904年、日露戦争に衛生兵として出征、二〇三高地戦に参加。1906年、白馬会研究所に学ぶ。1909年、横浜正金銀行ロンドン支店駐在の実兄を頼って渡英、画家の石橋和訓を紹介され滞英中世話になる。ロンドン美術学校入学、フランク・ブラングィンとジェームズ・スワンに師事。1910年、ロイヤルアカデミー初入選。この頃、三宅克己を知り後年まで親交。ジェームズ・クイン、アルフレッド・イーストに師事。マンシントン美術学校で学ぶ。滞英作を第4回文展出品(以降5、7、12回)。1911~12年、アンバレーでエドワード・スタットに師事、パステルの指導を受ける。1912年、ロイヤルアカデミー再入選。1913年、帰国、帝国ホテルで滞英作約110点の個展。1914年、第2回国民美術協会展出品(以降3~5、7~9回)。第3回光風会展出品(以降4、6、10~31回)。1915年、銀座美術館個展。1918年、日本橋三越個展。1924年、浦和に転居。1929年、日本パステル画会創設、顧問として同展出品。1932年、交詢社個展。1934年、日動画廊個展(以降37年)。1938年、中国旅行。大阪・美交社個展(以降39~41年)。1940年、紀元二千六百年奉祝展出品。1941年、梅田阪急個展。1943年、水戸で個展。下館で個展。1945年、下館に疎開。1946年、日光に移住。1948年、日光で没、享年66歳。1993年、目黒区美術館遺作展。

田中善之助(1889~1946)たなか・ぜんのすけ
1889年、京都西陣生まれ。1905年、聖護院洋画研究所に入り浅井忠に師事、のち浅井の庇護によりその内弟子となる。1908年、第2回文展「紀州海岸」初入選。1910年、関西美術院展出品の「女」が注目される。1910年、田中喜作、津田青楓、黒田重太郎、土田麦僊らと黒猫会(シャ・ノアール)を結成、1911年、解散し仮面会(ル・マスク)結成、第1回展「芸妓」出品(以降2回)。1916年、第3回二科会展出品。1920年、国松桂渓と渡仏、アンドレ・ロートらに学ぶ。1922年、帰国、関西美術院教授となる。1923年、第1回春陽会展に客員参加し滞欧作出品(以降~22回)。1924年、同会会員。1926年、第1回聖徳太子奉賛美術展出品。1932年、若山為三らと新興美術協会の創立会員となる。1934年、大礼記念京都美術展「南国早春」出品。1935年、新設の第1回京都市美術展の審査員となり「舞子」出品(以降~7回)。1942年、第5回新文展無鑑査出品。1944年、奉祝京都市美術展出品。1946年、京都で没、享年56歳。

田能村直入(小虎)(1814~1907)たのむら・ちょくにゅう(しょうこ)
1814年(文化11年)、豊後直入郡竹田に生まれる、旧姓は三宮、幼名は伝太、父は岡藩士。叔父の渡辺蓬島に手ほどきを受け次いで狩野派の岡本梅雪に師事する。1822年、田能村竹田に入門、竹田に見込まれのちに養嗣子となる。竹田からは絵の他に唐詩を学び国学を角田九華に学ぶ。1831年、西光寺仏殿に孔雀花卉を描き号を小虎とした。1834年、竹田に従い大坂に出て大塩平八郎に陽明学と武術を学び篠崎小竹に詩学を学ぶ。1835年、竹田が没するが1840年、南宗画をもって家を興し堺、大坂に住む。1868年(明治初)、京都に住まい富岡鉄斎を知り親交が始まる。号を直入に改める。1878年、京都府知事に画学校の設立を陳情、1880年、京都府画学校が開校、1881年、初代摂理(校長)を務めたが1884年、内紛の責任を取り退職。1884年、第2回内国絵画共進会で銀章。1890年、第3回内国勧業博覧会で二等妙技賞受賞。1891年、自宅に南宗画学校を開設。1897年、谷口靄山らと日本南画協会を結成、南宗画学校をこれに合併した。1907年、京都で没、享年92歳。

張光隆(1945~ )ちょう・こうりゅう
1945年、中国生まれ。1960~1980年代の国家的な美術展に作品が展示された。「中国現代美術家辞典」「中国当代美術家人名録」に記載あるが略歴等不詳。

トレバー・ハドン(1864~1941)Arthur Trevor Haddon
1864年、英・ロンドンの印刷業者の息子として生まれる。1883年、3年間の奨学金を得てロンドンのスレイド美術学校に学びフランス人画家アルフォンス・ルグロの指導を受ける。1886~87年、スペインのマドリードで学ぶ。帰国後1888~90年、ヒューバート・ハーコマーの仕事をする。1892年、英東部ハートフォードシャーのブッシーにあるハーコマー美術学校のメンバーに推選される。1896~97年、ローマに居住して制作。1896年、王立英国美術家協会正会員(R.B.A.)。1902~10年、ロンドンの複数の画廊で度々個展、絵入り旅行記など数冊の著作物を出版。ロイヤルアカデミーや新水彩画協会にも出品。1926~30年、カナダ、米国、ハワイ、南太平洋、南米を旅行、これを画題に油彩を描いた。ロンドン、後にケンブリッジに住み1941年、没、享年77歳。

内藤瑤子(1985~ )ないとう・よう
1985年、神奈川県茅ケ崎市生まれ、同市在住。2000年、私立公文国際学園高等部に入学、美術教師伊藤潤に出会う。高校生活の大半を美術室で過ごし長谷川利行、靉光、恩地孝四郎などの作品に興味を持つ。中途退学する。2002年、ギャラリー街路樹二人展、2003年、ギャラリー街路樹個展(以降~2005年)。ギャラリー街路樹二人展。湯島・羽黒洞個展。2004年、杉並・ギャラリーブリキ星個展(以降~2009年)。2004年、羽黒洞の契約作家となる。湯島・羽黒洞で個展(以降05、08、10、13年)。2006年、柏わたくし美術館個展。神戸わたくし美術館個展。2007年、ギャラリーT-BOXで個展(以降~2013年)。グループ展は2005~14年人人展、2007年KIAF(韓国)など多数。

永田力(1924~ )ながた・りき
1924年、長崎県生まれ。1943年、満州製鉄報道班員として渡満。応召、敗戦後、ソビエト軍収容所生活。復員後1948年、上京。1949年、第一美術協会展出品、第一美術賞。1951年、自由美術協会展出品。1952年、同会会員。その後、国際アート・クラブ会員となる。1953年、風間完、高井寛二、斎藤三郎、油野誠一らと「エンピツの会」結成。1957年、第1回アジア青年美術展でアメリカ・フライシュマン賞を受賞し作品がフライシュマン財団に収蔵、その賞金で渡仏。パリ・ギャラリーランベール主催日本人画家展出品。その他、スイス・グレンヘン・トリエンナーレ、ライプチヒ世界風刺画ビエンナーレ等に出品。「オール読物」表紙、週刊朝日、週刊新潮など挿絵も描いた。1996年、東方藝術思潮会を主宰。

生井巌(1941~ )なまい・いわお
1941年、東京生まれ。1958年、松本英峰に師事。1973~80年、創造展出品。1975年、春の院展入選。創造美術会員。1976年、画廊ダジュール(鎌倉)初個展。1980年、養清堂画廊個展(~84、89、96~02、04~05、07~11年)。小松均に師事。1981年、創造美術退会。1988年、ギャラリーおかりや個展(以降90、94、98、01、05年)。1989年、ギャラリーシャローム個展(以降91年)。1996年、千種画廊個展(以降隔年連続98~12年)。1997年、竹屋画廊(鎌倉)個展(以降99年)1998年、煉瓦画廊個展(以降99、03、07、09年)。1999年、絵手紙「お元気ですか:武蔵野花だより風だより」出版。2001年、レストラン・シェリフ個展(以降03~08年)。2003年、ギャラリーブロッケン個展(以降04、07~13年)。2004年、陵北窯ギャラリー個展(以降05、10年)。2006年、京王プラザホテル・ロビーギャラリー個展。2012年、えすぽすミラボオ個展(~14年)。2014年、ギャラリーKANI個展。

西山真一(1906~1989)にしやま・しんいち
1906年、福井県鯖江市生まれ。1926年、福井県師範学校卒後、地元の尋常小学校勤務。1929年、文部省検定試験(図画)合格。1931年、光風会展、帝展に初入選。1942年、光風会会員。1949年、日展特選。1954年、渡仏。1958年、日展会員。1973年、日展文部大臣賞。1980年、日本芸術院賞。1984年、日本芸術院会員。1986年、「西山真一画集」刊行。1987年、福井県立美術館で回顧展開催。光風会常任理事、日展顧問を歴任。1989年、東京で没、享年82歳。遺作80数点が鯖江市に寄贈される。

野口謙蔵(1901~1944)のぐち・けんぞう
1901年、滋賀県蒲生郡生まれ、明治期の女流画家・野口小蘋の甥。彦根中学卒。1924年、東京美術学校西洋画科卒。帰郷し日本画の平福百穂に指導を受ける。1929年、第10回帝展初入選。1931年、第12回帝展特選。1933~34年、第14~15回帝展連続特選。槐樹社展にも出品するほか1933年より東光会展にも出品、1934年、東光会会員。1944年、滋賀県で没、享年43歳。1986年、滋賀県立近代美術館で遺作展。

野口俊文(1959~ )のぐち・としふみ
1959年、長野県下高井郡木島平村に生まれる。1982年、武蔵野美術大学卒。1990年、春陽会展入選。2005年、春陽会賞受賞。2006年、春陽会会員推挙。2007年、「奥信濃で出会った師弟二人展」アートミュージアム・まど。2009年、「木原正徳・野口俊文二人展」飯山市立美術館。

林晃久(19x6~ )はやし・あきひさ
作家依頼により略歴等非表示。

平賀敬(1936~2000)ひらが・けい
1936年、東京板橋生まれ。1958年、立教大学経済学部卒。1963年、第7回シェル美術展三席受賞。1964年、第38回国画会展新人賞受賞。第3回国際青年美術家展大賞受賞(パリ留学賞)。1965年、第16回秀作美術展「窓」がニューヨーク近代美術館買上げ。渡仏。1966年、第7回現代日本美術展招待出品。映画「グラン・プリ」出演、主演の三船敏郎らとヨーロッパ4カ国をロケで廻る。1968年、スウェーデン・ルドン美術館での第1回国際エロティック・アート展出品。1969年、第10回サンパウロ・ビエンナーレ「H氏の優雅な生活」出品。1983年、第9回人人展出品、会員となる。1985年、第1回具象絵画ビエンナーレ出品。1990年、第12回日本秀作美術展出品。箱根湯本に転居。1992年、「両洋の眼・現代の絵画」出品。2000年、「現代の絵師・平賀敬のアヴァンギャルド戯作画展」平塚市美術館。2000年、箱根湯本にて没、享年64歳。

平山隆子(1943~ )ひらやま・たかこ
1966年、女子美術大学洋画科卒、福沢一郎に師事。卒後、テレビCMのプランナー、ディレクターの仕事に従事、CM作品の受賞はACC賞秀作賞2回、カンヌ国際CMコンクール受賞、アメリカ・クリオ賞など。1981年、青山・“SPACE YUI”個展。1993年、青山・ “SPACE YUI”個展。絵本「歯の絵本」出版(イーストプレス社刊)。テレビCMアニメのキャラクターを担当。自宅で絵画教室を始める。1994年、カレンダー「PEP CALENDAR」(1995年用)に採用される。1995年、銀座・伊東屋ギャラリー「世界のアーティストによるレターヘッド展」に招請され出品。1996年、Gallery & Café “Paris” 個展。1996~98年、ギャラリー磐梨に作品展示。2000年、ギャラリー “Il mer cart”個展。2001年、主宰絵画教室「T-Time」第1回グループ展(町田市立国際版画美術館)、以降隔年に開催し現在に至る。2003年、鎌倉・やまご個展。2004年、ギャラリー季の風個展。2006年、鎌倉・やまご個展。2009年、銀座・スタジオブルー個展。2012年、銀座・ギャラリー近江個展。

藤島英輔(1878~1956)ふじしま・えいすけ
1878年、山口県下関市生まれ。号は英甫(えいほ)。1894年頃、上京、印刷局図案嘱となる。同僚の石井柏亭、石川欽一郎らと洋画研究会の紫瀾会を組織。太平洋画会研究所に学ぶ。また南画を新井洞巌に学ぶ。1902年、第1回太平洋画会展出品以降連続。1905年、太平洋画研究所委員、夜間幹事となる。1907年、第1回文展「静物」出品(以降2、4、7回)。1913年、第2回光風会展出品(以降3回)。同年、日本水彩画会創立に発起人参加、評議員となる。1916年第13回と1918年第15回の太平洋画会展出品作が宮内省買上げ。1927年、名古屋に転居。名古屋市立工芸学校、愛知県立第一高等女学校などで教鞭を執る。戦後に中部水彩協会を創立。1956年、名古屋市で没、享年78歳。

松田正平(1913~2004)まつだ・しょうへい
1913年、島根県生まれ。1921年、山口県宇部市の松田家の養子となる。1930年、宇部中学卒後上京。1932年、東京美術学校西洋画科に入学、藤島武二に師事。在学中1935年、帝展二部会、1936年、文展鑑査展に入選。1937年、同校卒後渡仏、アカデミー・コラロッシに学ぶ。1939年、第二次大戦勃発で帰国。1940年、宇部緑屋で滞欧作個展。京都市美術展出品。1941年、第16回国画会展初入選以後連続出品。1942年、山口師範学校の美術教師となる。国画奨学賞受賞。1943年、師範学校を辞職し上京。国画会会友。1945年、帰郷。1951年、国画会会員。1951年、フォルム画廊個展(以降~53、55、59~60、64、72、76~81、83~86、88~89、93~94、98年)。1952年、上京。1963~94年、千葉県市原市に居住。1978年、現代画廊個展(以降83~85年)。1982年、渡仏。1983年、画集刊行記念展銀座松屋。1984年、第16回日本芸術大賞。1986年、山形いながわや画廊個展。宇部市芸術文化特別功労賞。1987年、山口県美術館で回顧展。1993年、山口県選奨受賞。1995年、宇部に帰郷。1999年、銀座阿曾美術で書展(以降01年)。2000年、NHK特集放映。地域文化功労者文部大臣賞。2002年、文化庁長官表彰受賞。2004年、山口県宇部市文化会館個展。同年、没、享年91歳。同年、フォルム画廊遺作展(以降05年)。2005年、NHK教育「新日曜美術館」放映、求龍堂「風の吹くまま松田正平画文集」刊行。2008年、市原市水と彫刻の丘個展。洲之内徹、白洲正子、山田洋次らの評論で知られる。

三宅克己(1874~1954)みやけ・こっき
1874年、徳島市生まれ。大野幸彦、原田直次郎に師事。1894~97年、入営し満州、朝鮮に渡る。1897年、渡米、イェール大学付属美術学校に学び後1898年、渡英のち仏。1899年、第4回白馬会展に水彩43点を出品し同会員となる。1901年、再渡欧、以後5度の外遊。1905年、「水彩画の手引き」刊行。1907年、第1回文展より出品。東京写真研究会を結成。1908~09年、第2~3回文展連続三等賞。1911年、「欧州絵行脚」刊行。1912年、光風会創立会員。1915年、第9回文展二等賞。1921年、写真雑誌「カメラ」主幹。1925年、帝展審査員。1938年、自伝「思い出づるまま」刊行。1951年、日本芸術院恩賜賞。1954年、日本写真協会賞。神奈川県真鶴町で没、享年80歳。1991年、徳島県立近代美術館「みづゑのあけぼの・三宅克己を中心に」展。

村上肥出夫(1933~ )むらかみ・ひでお
1933年、岐阜県土岐郡肥田生まれ。1948年、養老郡高田中学卒後、日雇いの仕事をしながらゴッホに憧れ独学で油絵を始める。1953年、画家を志し上京、銀座のレストランに見習いで働くが退職、各種労働と路上生活で絵を描く。1960年、東光会展初入選するが千住大橋鉄橋下で寝起き。1961年、銀座の路上で絵を売っていたのを彫刻家本郷新が兜屋画廊西川武郎に紹介、知遇を得る。西川の援助で2年間に60号程の油彩を約300点描く。1962年、安井賞候補となる。1963年、150点の大個展を銀座、名古屋、大阪の松坂屋で開催。渡仏。1964年、渡米。大阪毎日ギャラリー、銀座松坂屋で個展。1965年、渡伊。1971年、川端康成が個展を論評。1972年、パリに滞在し制作、ボザール出品、ドートンヌ出品銀賞。1975年、石川達三が個展を論評。1976年、彌生書房「パリの舗道」刊行。1977年、渡伯。1979年、東京を離れ岐阜県・下呂温泉近くに自宅アトリエ、以後主に兜屋画廊の個展を続ける。1997年、自宅アトリエ全焼、作品等焼失、それを機に精神に変調を来たし療養生活。2004年、桐生・大川美術館「村上肥出夫と放浪の画家たち」展開催。

森藤山風(1943~ )もりとお・さんふう
1943年、広島県生まれ。東京都あきる野市在住。2010~14年、あきる野市の小机邸(都指定有形文化財)で個展。2012年、日本橋・ギャラリー砂翁&トモスで個展。

矢崎千代二(1872~1947)やざき・ちよじ
1872年、横須賀市生まれ。1887年、曾山幸彦画塾入門、同門の中澤弘光、岡田三郎助と交友。1892年、大野と改姓の曾山没後、同塾を継いだ大幸館の堀江正章に師事。1894年、黒田清輝、久米桂一郎の天真道場入門。1897年、東京美術学校西洋画科入学、黒田清輝に師事し黒田家に寄寓。1900年、同校卒。白馬会会員。1903年、内国勧業博覧会3等賞。セントルイス万博渡米。1907年、渡欧。1909年、第3回文展褒状。1910年、第4回文展3等賞。1913年、第7回文展3等賞。1916年、中国に渡った後、再渡欧。1917年、この頃よりパステル画を手がけ欧米、インド、南洋諸島を歴遊1926年、シンガポールで個展後10年ぶりに帰国。同年、随筆「絵の旅から」朝日新聞社刊行。1929年、日本パステル画会創設。1930年、南米各地写生旅行。1932年、アルゼンチン滞在後アフリカ経由帰国途中シンガポールで個展。1937年、新文展第1回展パステル画出品。台湾旅行。1938年、満州各地写生旅行、大連で個展。1941年、北京に移住、北京芸術学校で絵を教える。1945年、北京で終戦、中国教育部に自作約1千点を寄贈。1947年、北京で没、享年75歳。

山上嘉吉(1901~1991)やまかみ・かきち
1901年、京都市生まれ。電話局修理工として夜間働き昼間に関西美術院で絵画を学ぶ。1923年、上京、築地小劇場の舞台装置助手となる。矢部友衛、岡本唐貴、浅野孟府らと知り合い、村山知義らが興した三科造型美術協会第1回展に出品。1925年、同第2回展出品。1926年、三科を離れた矢部らの「造型」に参加。1928年、「造型」とプロ芸派が合体したプロレタリア美術家同盟第1回展出品。1929年、同第2回展は内橋洪三の名で出品。この間、松屋のショーウィンドーのデザインを担当。1934年、同盟は強制解散。1944年、長野県上田に疎開。1946年、矢部、岡本らと現実会を結成。1955年、岡本、石垣栄太郎、別府貫一郎らと点々会を結成。現実会解散後は個展を主に作品発表。千葉県柏に住み1991年、没、享年90歳。

山口長男(1902~1983)やまぐち・たけお
1902年、朝鮮ソウル生まれ。1921年、上京、本郷洋画研究所、川端画学校に通う。1927年、東京美術学校西洋画科卒、和田英作教室。同期の猪熊弦一郎、牛島憲之、岡田謙三、荻須高徳らと上杜会を結成。1927~31年、荻須と渡仏、佐伯祐三の没後、彫刻家ザッキンの影響を受け立体派作品を制作。1938年、二科会友、九室会結成に参加。1945年、二科会員。1953年、日本アブストラクト・アート・クラブ結成。1954~74年、武蔵野美術大学教授。のち武蔵野美術学園長。1954年、現代日本美術展最優秀賞。1955年、サンパウロ・ビエンナーレ展出品。1956年、ヴェネチア・ビエンナーレ展出品。1962年、芸術選奨文部大臣賞。1963年、二科会退会。サンパウロ・ビエンナーレ展出品。1980年、東京国立近代美術館で堀内正和と二人展。1983年、東京で没、享年80歳。1987年、練馬区立美術館遺作展。

山口マオ(1958~ )やまぐち・まお
1958年、千葉県千倉生まれ、本名・山口真生。1984年、東京造形大学絵画科卒。1987年、ザ・チョイス年度賞入賞。1988年、MAOグッズ制作開始、キャラクター<マオ猫>。1991年、「年鑑日本のイラストレーション」新人賞。第42回全国カレンダー展通産省生活局長賞受賞。1994年、ニューヨークADC賞・TDC賞入賞。ロンドン国際広告賞など受賞。1996年、第47回全国カレンダー展印刷新聞社賞受賞。2000年6月、福音館書店絵本雑誌「こどものとも年少版」掲載、小風さち文「わにわにのおふろ」の挿絵を担当、2004年、幼児絵本として出版され2013年までに全5作が出版される。個展開催多数。

山根康壮(1942~ )やまね・やすたけ
1942年、栃木県宇都宮生まれ。1961年、私立本郷高校卒。1975年、新宿美術研究所に入所、麻生三郎、山口長男に指導を受ける。1996年、ギャラリー無寸草で個展(以降2001、02、06年)。2000年、中野ゼロホール個展。2002年、コバルト画廊個展。2005年、羽黒洞個展。2008年、清澄画廊個展(以降12、14年)。2009年、ギャラリーブロッケン個展。(グループ展団体展出品以下)多摩総合美術展、第三文明展、KIAF2007(韓国)、阿展、げんばじん展、行商美術展、カゲロウ紀行展、新宿7人展、柏わたくし美術館・山根コレクション展、猫ねこ展、パラレルワールド、方の会展。

米倉兌(1913~2000)よねくら・さとる
1913年、福島市生まれ。1932年、仙台商業学校卒。神戸洋画研究所に入門、浜田葆光に師事。併せて水彩画を別車博資に学ぶ。1934年、二科会展入選(以降~42年)、日本水彩画会展入選(以降~38年)。1940年、文部省皇紀2600年奉祝展招待出品。兵庫県展委員、関西水彩協会会員、日本美術連盟会員などを経て戦後は福島県美術協会会員。1947~72年、県立高校美術教諭。1967年、初の水墨個展。1968~72年、福島県保原町(現・伊達市)長谷寺油彩壁画制作。1972~88年、「草枕墨彩展」「奥の細道墨彩展」「山湯去来墨彩展」「相馬野馬追墨彩展」「陸奥山河墨彩展」「羽越有情墨彩展」「中国南船北馬墨彩展」「応仁の乱墨彩展」ほかを日本橋三越、神戸三越、松山三越、大阪三越、仙台三越、札幌三越、新潟三越、銀座和光などで開催。2000年、没、享年87歳。