粋狂老人のアートコラム
          明治にパリで撮影された肖像写真撮影者と被写体は?・・ナダール
          関東大震災や戦災を乗り越えた一枚の写真に注目・・・

 
昨今のわが国では、スマホの台頭で新聞離れが進んでいるらしい。一方、大方の新聞購読者は連載小説に目を通す楽しみを味わっているようだ。私も二十歳代から日本経済新聞を購読し続けている一人である。購読のきっかけは、当時、職場の上司から言われた、「民間企業で働くのであれば、日経購読は仕事の役に立つから」と勧められた記憶がある。以来、五十年近く購読してしまった。
                        
        大山綱介肖像  18.3×11.5㎝
 今回、紹介するのは、2017年12月25日付け日本経済新聞朝刊に掲載された、木内昇著の連載小説「万波を翔ける(252回)」に関係することである。私は掲載された次の箇所が気になり、切り抜きしておいた。その箇所を一部引用すると『そんなことより、みな、早く写真を撮ること」「俺たちは遊びに来ているのじゃねぇぞ」スフィンクス前でも撮ったから、巴里でも撮りたかろうと気を回したのだろうが、いらぬお世話だ。「違う。これからナポレオン皇帝にも仏の外務卿にも会う。ならば写真があったほうがいい」ブレッキマン曰く、仏国では仕事の交渉の折には挨拶代わりに己の写真を渡す慣習があるのだという。「ホテルの斜め向かいにナダールという写真家のスタジオがある。そこにいくがよい」スタジオ、なるものがなんだかわからなかったが、巴里でも一、二を争う腕のいい職人だと訊いて、一行はそこへ出掛けることと相成った。』とあった。私は文中に登場する巴里の腕のいい写真家、ナダールの名前に記憶があったため新聞の切り抜きまでしたということである。 
 私は数年前に石黒敬章著「幕末明治の肖像写真」角川学芸出版発行を購入し読んでいた。因みに本の帯封には「西郷隆盛、福澤諭吉、板垣退助をはじめ、幕末明治に写された大名、天皇、公家、志士、政治家、外交官、軍人、文化人ら、200人、450点余の肖像写真を一堂に会して解説。これぞ「幕末明治の著名人列伝」というべき一冊。」と本の内容PR文がある。私は購入当時、掲載の肖像写真だけでなく、被写体と撮影者に注目した。本の頁を開くまでは、撮影者は「内田九一(1844~1875年)」などの日本人の写真師であろうと安易に考えていた。ところがいざ頁をめくり一点ずつ確認していくと、アメリカをはじめヨーロッパの写真館で撮影された写真が多いことに内心驚いた。その中に外交官青木周藏(1844~1914年)や外交官高島鞆之助(1844~1916年)が巴里のナダール写真館で肖像写真を撮っていたことが記憶の片隅にあった。また、この連載小説の主人公的存在の太一なる幕府勤めの人物は、実在した田辺太一(1831~1915年)第2回遣欧使節に随行し、肖像写真が本に掲載されていたが、撮影者は不明であった。小説では太一もナダール写真館に写真を撮りに行っているが、現存写真は未確認である。
 私は新聞連載小説(とくに時代小説)など軽い気持ちで今まで読んできたが、このケースのように視点を変えてみると、いかに作家の調査能力が凄いかということを実感させられた。小説だからと言って手抜きなどしようものなら、たちまち読者に見抜かれてしまうため周到な事前準備をするものと推測される。
 ところで、私の手元には一枚の明治の肖像写真がある。撮影者はナダールとあり、肖像写真の主は、青木周蔵らと同時代に巴里を訪れている外交官ではと推測してみた。私が注目したのは、調査の中で見つけた大山綱介(1853~1912年)の可能性である。その後も引き続き調査する中で、手元の写真と本に掲載された写真を見比べたところ、大山と同一人物と思われ、かつ、写真撮影が1889年とあることから、大山のパリ滞在中と一致することが決め手となった。石黒敬章氏の写真説明文によると、『大山は薩摩藩士。維新後警視庁に勤務。1886年に日本はメートル条約に加盟し、翌年にパリ公使館の書記官だった大山がメートル原器を受け取り、1890年日本に運んだという。イタリア公使時代、ベラスコの戯曲をオペラ「蝶々夫人」にするため、プッチーニが大山夫人久子を公使館に訪ね、久子より教わった「君が代」「お江戸日本橋」「さくらさくら」「越後(えちご)獅子」「宮さん宮さん」などの日本のメロディがオペラに取り入れられることになった。1904年2月17日、ミラノのスカラ座でのオペラ「蝶々夫人」の初演には、大山公使夫妻はプッチーニから招待されている。』とある。
 ところで、最後になったがナダールとはどのような人物なのであろうか?ウィキペディアによると「ナダール(1820~1910年)はフランスパリ生まれ、フランスの写真家。数多くの文化人や重要人物を撮影し肖像写真家として名を馳せたほか、風刺画家、ジャーナリスト、小説家、気球乗り・飛行技術研究家としても活躍した。」とあった。
 骨董市などで、何となく買い求めた一枚の写真をきっかけに、次に肖像写真の本を入手し、更に新聞の連載小説の登場人物に繋がっていくとは夢にも思わなかった。些細なことでも、気になったことを頭の隅に入れておくと、色んな方向に物事が広がっていく楽しみを感じた出会いであった。

<参考資料>
幕末明治の肖像写真(石黒敬章著)