粋狂老人のアートコラム
       何の変哲もない風景のどこに制作意欲を見付けたのか・・・・大河内信敬
       板倉賛治を含め四人の師についた画家に興味津々・・・・・

 
 少しでも絵をかじった者であれば、実際に絵を描かないまでも、この景色を描いてみたいと思う体験を何度かしているはずである。私も各地へ旅行した際、絵にしたい自分だけのポイントを見つけると、思わずスケッチしたい衝動に駆られる。私はその種の楽しみ方を続けてきたためか、気に入った景色が後々まで記憶に残るようだ。一方、画家の場合はどうであろうか?私が30数年以上の間に目にした沢山の風景画のなかには、この風景のどこに、創作意欲を掻き立てるポイントがあるのか首を傾げたくなる作品もあった。そのような作品は、私の記憶にとどまることなく次々と消えていった。
勿論、画家特有の眼でポイントを選び描いているのに、未熟な私が気付いていないだけかも知れない。
 最近、これと言った特長は見当たらないが、繊細で爽やかな風景画(水彩)を入手した。絵にはサインがあるものの作者不詳であった。このような不詳作品との出会いは、私にとって、第一印象が大事で、一瞬で買うかパスするかの勝負(?)が決まる。
 余談であるが、私が絵の蒐集を始めたころの思い出を少しばかり紹介しようと思う。それは或る骨董市での話である。その手の雑誌で知った情報を頼りに、初めて都心の骨董市に出かけてみた。私が骨董市の会場に着いたのは、たしか午前10時 頃であったと思う。私は心躍る思いで、多くの出店を覘きながら絵を見付けようとしたが、その日の獲物はゼロであった。私は二度目の空振りのとき、会場を後にしようと歩きかけ、ふと、空振りの訳を知りたくなり、近くの店主に聞いてみた。それは言うまでもなく、「この会場の出店者たちは絵を扱わないのか?」の質問である。すると店主曰く、「ご主人、今日は何時に会場に着いたの?」「私は即座に10時頃」と答えた。店主は笑いながら、「重役出勤かと言いつつ、それじゃ目的の物は他人に買われた後だね!」と返された。さらに、早い客は「懐中電灯持参で暗いうちから掘り出し物を探しているよ」と教えてくれた。それ以来、私も店主のアドバイスを守り続けている。
ところで、私は以前から作品の所蔵の有無に関わらず、気になる画家については作風などを調べてきた。それらの積み重ねが、今回も遺憾なく発揮できたと思っている。私は嬉しいことに、画風と銘を見て直ぐに「大河内信敬」の作品と分かった。因みに、年配の方であれば、俳優の「河内桃子」をご存知の方も多いと思う。大河内信敬は河内桃子の父親である。

          
                風景     38.5×45.8㎝

 この辺で作品を見てみると、まず絵の対象の場所が公園の一角なのか、農道周辺を描いたのか判然としない。一方、季節は地面の雑草の緑色からみて春先のように思える。目につくのは、幅広い道が下部の両角から中心に向かって下り坂として徐々に狭くなり、四方からの線が交差する場所に一本の木を配置している。四本の線が交差する点は意図的に右側にずらしているが、遠近法を生かしているようだ。さらに、左側には太めの樹木、藁葺の骨組みだけの小屋らしきものが見える。木は枯れ葉が枝についているが種類は不明である。奥のほうにも数本描かれているが、木の種類は分からない。道の右側にも木が描かれ、花らしきものが、白塗りで表現されていることから白梅の可能性がある。全体としては今一つ自己主張に欠けるが、救いは寂しい雰囲気の中に何故か心惹かれるものを感じている。若しかしたら、作者は小理屈抜きで、素直な気持ちで作品を鑑賞して欲しいと思っていたのかも知れない。
 紹介が遅くなったが、大河内の略歴を参考までに紹介しようと思う。大河内は「1903年東京生まれ。明治大学商科卆。18年水彩画を板倉賛治、版画を小泉葵巳男に学ぶ、太平洋画会研究所に通う。31年本郷洋画研究所に学び、岡田三郎助に師事、その傍ら寺内萬治郎の指導を受ける。32年第9回白日会展に出品。33年第14回帝展に初入選。以後、15回展出品。34年第21回光風会展でF氏奨励賞。35年第22回光風会展に出品。36年個展、昭和十一年文展鑑査展に出品。37年~38年渡欧。39年第3回新文展出品。40年紀元二千六百年奉祝展出品。第27回光風会展で会員、以後、ほぼ連続して出品。47年新樹会を結成。48年第34回光風会展で岡田賞。54年第10回日展で出品依嘱者、以後、第13回まで出品。56年サンデ―毎日の表紙絵を担当。58年第1回日展に出品依嘱者。59年第2回日展に会員出品。以後第3、第4回展に出品。67年12月1日歿、享年64歳。」とある。
 最後に大河内について、浅尾丁策氏(1907~2000年、画材店浅尾佛雲堂主人)が「金四郎三代記」の中に書かれていた一節を引用させてもらうと、「大河内さんは、この年(昭和9年)の春、御住居入口の空地に立派なアトリエを新築した。そして盛大なアトリエ開きが催された。河内桃子(俳優)さんのオカッパの振袖姿がとても可愛らしい。俳人岡野知十氏のお嬢さんであった大河内夫人の長唄は、今でも耳に残っている。この年の帝展(第15回)に出品された≪女とシャボテン>は確か大河内さんの初入選作だったと思う。そしてこの時のモデルさんは、前記北村久[俳号:知十]さんの妹芙美子さんであった。」と回想しており、物故作家を調べる者にとっては、大変に参考になる情報である。
 これが本当の最後にしたいが、大河内についてさらに興味深い事実が見つかったので紹介することにした。著者は前出の浅尾丁策氏である。著書『続 金四郎三代記「戦後編」昭和の若き芸術家たち』に書かれていた箇所である。大河内に関する箇所を引用させてもらうと、「誰であったか憶えていないが三越本店美術部画廊での展覧会の会場で、大河内信敬さんにバッタリ出会った。アルコールの好きな大河内さんにしては珍しく、三越前横丁にちょっと懇意な汁粉屋があるから一緒に行こうと誘われた。小ぢんまりとした粋な造りのお店であった。勝手知ったる他人の家そのまま、ノレンをかきわけ奥の炊事場に入っていった。そこには姐さんかぶりの婀娜っぽい女性が七輪に火を起こしていた。乃公(おれ)がやるよと団扇を取り上げた大河内さん、パタパタとやりだした。お宅にいれば縦のものを横にもしないのに、と人間大河内さんの本体をかいま見た思いであった。暖かいお汁粉をすすりながらの話に、ここは当時、美術評論に権威をもっていた四宮潤一さんの奥さんのお店だとのことであった。」と臨場感あふれる文章で書いていた。私は浅尾氏が東京藝術大学近くで画材店を営んでいるなかで、多くの画家、彫刻家、藝大生との間に生まれた、生の体験談は読者を魅了する特別な筆力があると感じている。
 私は拙文を書きながら、思いだしたことがある。それは浅尾氏が現役(確か1986年頃か?)のころ、朝井閑右衛門の作品についてアドバイスを受けていた。初対面の私への対応は、大変に好感のもてるもので、朝井の作風などの特長や人柄など丁寧に話していただいたことが、今では懐かしく思い出される。
 
<参考資料>

  光風会史 80回の歩み    第60回光風会展覧会記念室作品集
  日展史  白日会展総出品目録  光風会展図録
  資生堂ギャラリー75年史   谷中人物叢話 金四郎三代記(浅尾丁策著)
  続 金四郎三代記「戦後編」(浅尾丁策著)