粋狂老人のアートコラム
       追い詰めるもするりと逃げる謎の画家
           一体この作家は何者?・・・・・・・・・Ⅿ.Tanaka

 
私はこの静物画と出会った時の印象をしっかり記憶している。それは出会いの瞬間、高橋由一に関係ある画家の作品ではとの思いが頭を過ったことかも知れない。私が以前に高橋由一展で≪鯛(海漁図)≫を見た時の印象が強烈であったことが一因していると思われる。あらためて由一展図録で確認すると、鯛は向かって左側に頭を向けており、手元の作品と同じような構図であった。両者の違いは鯛を取り巻く小道具(?)が海老、鰯、大根などに対して、手元の作品は鯛が笹を敷いたお盆に載り、ポットや蕪が鯛の周りに描かれている点である。制作年は1914年とあり、サインはⅯ.Tanakaと読める。一方、鯛の描写は由一の鯛と比較しても遜色のないレベルの高さと感じた。勿論、それだけではなく、作品が醸し出す独特の雰囲気を私は堪らなく好きだ。私は入手当初、作者特定は容易であると高を括っていたが、現実はそう甘くはなかった。
 私は作者特定作業をしている中で、最初に注目したのが田中本吉(1860
~1936年)である。早速、某美術館に照会したところ、学芸員氏から丁寧なアドバイスを受けた。その内容は「本吉の作品が多数残っているわけでもないですし、残っている作品を全て実見しているわけではないので、正確なことは言えませんが、1914年にも生存していますが、作風となるとこの≪鯛のある静物(仮題)>と手元にある資料のものとは似ていないように思います。
 
           
         鯛のある静物(仮題)  33×45㎝

≪鯛のある静物(仮題)>の図版を見る限り、1914年の作品とすると、田中本吉の作品としては違和感を感じます。また、このサインが正しい年記とすると、大正時代の草土社風の作品なのかとも思いますが、本吉は、その傾向に進んでいないので、お送りいただいた画像では、何ともはっきりしません。明治時代となって洋画が学ばれる中で高橋由一が描いた静物画と同様な作風にも見えますが、その作風を大正時代まで引きずっているのも、疑問に感じます。」とあった。
 私は当時の画壇の流れに逆行し写実画を追求した岸田劉生の存在もあり、学芸員氏のアドバイスを鵜呑みにしたわけではないが、気を取り直してもう一人の候補者である田中万吉(1895~1945年)を調べることにした。その結果、作品のサインは未確認であるが、複数の人物画を図版で見た限りにおいて、鯛図の作者とは画風が明らかに異なり別人と判断した。
ほかにも工部美術学校を同志と連袂退学し十一字会を結成した田中美世二(注)(旧姓日下部)も候補者の一人であったが、写真家の道を進むも28歳の若さで明治20年代に亡くなっていた。また、大正4年東京美術学校図画師範科卒の田中稔は大正8年11月16日に亡くなっていたが、年代的に合致するため調査を実施した。ところが結果はまったくヒットせず、図画師範科卒業を考慮すると画家にはならず、図画教師の道に進んだと思われる。残りの候補者は田中元吉である。元吉は明治38年第4回太平洋画会展に写実的な<静物>を出品していた。図版で確認した画風からみて気になる存在であるが、作者の名前が「げんきち」、「もときち」のいずれか不明である。さらに手元資料不足で元吉の略歴がまったくつかめていない。しかしながら、元吉の写実的な描写は手元の<鯛のある静物(仮題)>の作者に通じるものがあると考えているため一縷の希望を持っている。その後、調査を諦めたわけではないが、現在まで特定作業は中断している。
 一方、作業を中断したからと言って敗北宣言をする積りはないが、作品自体を気に入っているのであれば、作者不詳でもよいと思い始めている。因みに資料調査の中で気が付いたことがある。その一つは、土岐薫氏蒐集初期洋画展覧会目録によると112点の展示品の中に、何と驚くなかれ、作者不詳作品が12点も含まれていた。同展は昭和10年2月に青樹社(銀座)で開催され、黒田清輝、川村清雄、中村 彝、金山平三、片多徳郎などのそうそうたる顔ぶれの展示内容であった。土岐氏ほどのコレクターであっても、作者が誰であれ、自分の気に入った作品を展覧会に作者不詳として出品していたことを心強く感じた。その二つ目は、埼玉県立近代美術館で開催された原田直次郎展に作者不詳作品(岐阜県美術館蔵)が展示されていたことを思い出した。作品には<猿曳図>の画題が付いており、サインはないが画中の門の表札に原田直次郎の教え子の名前が読めることから展示されたことのようである。いずれにしても作品の出来如何で、作者不詳の有無にかかわらずコレクターに蒐集され、展覧会に展示される時代になり
つつあるのは好ましいことである。
 最後に一言付け加えると、私は細やかな夢を持っている。実現は諸般の事情からみて難しいが、作者不詳展なる企画を温めている。目的は作品が不特定多数の目に留まることで、うまくいけば作者が特定されるチャンスが生れるのではとの思いがある。勿論、これはあくまでも夢の中の話であるが・・・・・・・

注:田中美世二について、資料により田中美代二、田中美代治などと表記されているが、私は「フォンタネージと日本の近代美術」展で使用された田中美世二を採用した。工部美術学校資料に基づいているため正しい表記と判断した。

<参考資料>
 京都洋画の黎明期(黒田重太郎著) 美術80年史(森口多里著)
 もうひとつの明治美術展図録 土岐薫氏蒐集初期洋画展覧会出品目録
 フォンタネージと日本の近代美術展図録 明治期美術展覧会出品目録
 原田直次郎展図録