粋狂老人の
     若き石川啄木たちに不評であった作品群・・・・・玉置照信
              一方、東美在学中に巴里万博に出品した実力も・・・・ 

 

           

           和歌の浦の朝(仮題)  32×42㎝

古い作品に目がない私好みの風景画と出会った。古いのは絵だけでなく、額も同じように古く、一見、野武士を思わせる手彫りの重厚な作りに一目ぼれしたようなものである。この絵との出会いは、入手時から作者が「玉置照信」ということで入手した数少ないケースである。
 私は以前に玉置の14歳時の水彩画を入手していたことから、待っていましたとばかりに飛びついた。私の考えは、小難しいことはさておき、この時代の絵には一種の時代の匂いのようなものを常々感じており、理屈抜きに好きである。因みに玉置の略歴については、その当時調べており、今回はいつもの略歴調査の労が省けほっとしている。
 作品は港周辺を描いたと思われ、海は左方手前とその奥にも入り込んでいる。私が気になったのは、少し大袈裟かもしれないが、尾形光琳の≪紅梅白梅図屏風≫の川面の波の表現に近い(?)描き方に驚いた。私の記憶では、油彩画でこの種の描き方を目にしたことがなかったように思えたからである。話を絵の構図に戻すと、下部手前の岸壁は雑草が生えた状態で左右を埋めており、中段は左方から中央に向かって突堤が見られる。その奥には黒っぽい蒸気船や複数の帆船らしき船の係留が確認できる。その奥には岸壁に沿って、左右に瓦屋根の建物や煙突のある建物、倉庫と思しき建物が軒を連ねているようだ。瓦屋根の建物の上には、一本の松が漫画風に描かれている。画面上部には複数の山並みが配置され、画面の四分の一ほどを占めている。空の描き方は、夜が明けて間もない雰囲気を感じさせる薄い雲がかかっており、早朝の風景を描いたと思われる。
 ところで、私のこの作品に対する画題の極めはこうである。玉置を調べた際、玉置は東美卒業間もない1900年(明治33年)第5回白馬会展に11点入選していた。その中から画題で絞り≪和歌の浦≫≪和歌の浦の朝≫の2点を候補に選んでみた。そのうえで船の係留状況や空の描き方、和歌山出身であることなどを考慮し、湾の朝の風景であろうと結論付けた経緯がある。しかし、これらはあくまで私の絵の楽しみ方の一つであるが、こういう楽しみ方があってもいいのではないだろうか?
他にも額について付け加えると、元額を裏付ける決定的証拠として、板(キャンバスの代わり)と額の裏面に同時期に付着した思われる絵の具が確認できた。推測するに、画家が絵を額装し裏返しの状態で他の絵の制作を始めた際に絵の具が付着したと考えている。額には額縁商店のシールがないので正確なところは不明であるが、作りと古さからみて、八咫屋か磯谷商店のいずれかの額と考えている。
 ところで、以前に某会誌に投稿した「新発見「14歳で描いた田園風景」で触れたが、石川啄木の展覧会の印象を今回も引用することにした。それは明治35年11月7日付けの啄木日記のなかに、「金子兄と共に上野公園に紫玉会油絵展覧会を見る。数百枚のうち大方は玉置照信氏一人の作にして吾らの心を満足しむること少なきは残念なりき。数多のうち四枚の裸体画は下谷警察の厳論により取りはづせる由誠に日本は滑稽なりと思ひぬ。概して色彩の使ひ方如何はしく旧派に属す。≪ながめ>玉置もと子作、≪少女「ヴァイオリンの」>照信氏作、≪新光≫照信氏、≪怒涛≫照信氏等やや見るべし。」と書いている。この文章から推測するに、十代の石川啄木の眼には数百点の展示があったにもかかわらず、啄木たちを満足させるに足る作品は少なかったと思われる。勿論、啄木は当時の美術雑誌や新聞に投稿するつもりはなく、自身の日記に書いていることから、公開を前提にしていないと思われる。そのため自分の感じた印象を素直に自由に書いたのではなかろうか?この種の作品批評が残っていると、後から調査研究する者にとっては興味深く、かつ、参考になり貴重である。
 最後になったが、玉置の略歴を簡単に触れておくと、「玉置は生年不詳(諸説あり)和歌山県生まれ。1900年4月巴里万国博覧会に≪昼餐の仕度≫出品、同年7月東京美術学校西洋画科選科卆、黒田清輝、浅井忠に師事、同期に矢崎千代二、中沢弘光らがいた、同年9月第5回白馬会展に出品。02年紫玉会油絵展開催。紀州藩主徳川茂承肖像制作(制作年不明)。舞台装置家として活躍。43年和風会展を出口清三郎、鈴木雪哉と開催(於:資生堂)。59年没、享年79歳(諸説あり)」とあり、活動内容に不明な部分が多い画家である。資料によっては、巴里万国博覧会出品作が受賞したとしている資料も目にするが、本当のところはわからない。今回のケースのように諸説があると、これから調べようとする者とっては困惑してしまう情報である。
 一方、玉置は美術年鑑などの物故作家欄に名前が確認できるので、完全に埋没することは避けられていることが救いである。

<参考資料>
 白馬会 明治洋画の新風展図録  資生堂ギャラリー75年史
 啄木全集 第13集(全17集のうち) 株式会社岩波書店 発行