田村和司さんのよもやま絵話―――“美”とは?
                 第21回  小寺健吉と佐分眞

3点の作品を紹介します。

    
1.小寺健吉 「春のセーヌ川」  P12号  キャンバスに油彩 1922年作

        
2.佐分眞  「婦人像」     変形8号 板に油彩 1927年~28年作

        
3.佐分眞  「裸婦」 P10号 紙にコンテ    製作年不明

小寺健吉と佐分眞は1924年に親交を深め1927年、共に渡欧しパリ近郊のムードンで制作に励みました。
やがて小寺、佐分、片岡銀蔵の3人はパリに共同のアトリエを借ります。
たまたま、小寺と佐分の滞欧期の作品が私の家の壁に並びましたので「よもやま絵話」で紹介しようと思った次第です。

小寺は1922年に最初の渡欧をしていますが紹介の作品はその時のものです。
如何にも小寺らしい温和な優しい絵ですが私がこれを見て驚いたのは100年前に描かれた絵とは思えない色彩の純度です。退色が感じられません。
春を謳っているのは色彩ではないか、と思わせてくれます。
画商が小寺の素晴らしい滞欧作を入手したので見て欲しい、と電話をくれました。
小寺の絵はあまり好きではないので断りましたが、私の好きな魚の干物をお土産に、
やってきました。
その時、小寺の渡欧時期をネットで調べましたら1923年となっていました。
「絵には1922年とサインされているのでおかしいのではないか」と聞くと
「ワハハハ、小寺が年号を間違えたのでしょう」と申します。
私は干物に釣られ「あ、そう。ウフフ」と言って購入しました。
後に1922年に渡欧していることが分かりました。

佐分の婦人像はパリのアトリエで描かれたものと思われます。
わの会のコラム、「水谷嘉弘さんの近代日本洋画こぼれ話」の水谷氏から、
描かれた女性はアリスというモデルであると教えていただきました。
後に佐分の愛人となった女性とのことです。パリのアトリエで佐分はアリスとギャビーという2人のモデルを主に使っていたようです。
この絵はいつも私に緊張を強います。しばらく見ていると疲れるのです。
佐分の絵はどの絵を見ても“憂い”を感じますがこの絵は加えて極度の緊張に満たされているように私には見えます。
肩の力が抜けない精神状態にあったのではないか、と思います。
佐分の絵を見ていると彼が自ら命を絶ったのも不思議には思えません。

裸婦のデッサンはネットオークションに出ました。
サインはなく、額の裏板に「佐分眞、昭和12年作」と記載されていました。
佐分が亡くなったのは昭和11年ですのでおかしいです。
魅力的なデッサンでしたので昭和11年発行の画集を見ますと、掲載されている11点のデッサンの内の1点であることが分かりました。
若い頃、現代画廊で洲之内さんが「田村さん、このデッサンをよく見なさい。参考になります」と今は宮城県美術館に収蔵されている前田寛治の裸婦のデッサンを見せてくれました。
「太ももの肉付きを1本の線で表現している。これがデッサンです。」
佐分の裸婦を見た時、この時のことを思いだしました。もう40年以上も前のことです。

私は1920年代の滞欧作に“画家の青春の息吹き”のようなものを感じます。
絵が生きているのです。
これが今の時代には失われているように思われてなりません。
どうしてでしょうか。