荒井由泰さんのアートコラム  
              「桜井武」は何者か?今、どうしているのか?

 50年も前の話だが、大学3年生の時に1年間休学して、フランス語の勉強を口実にして約10ヶ月(70年7月11日〜71年4月24日)欧州16カ国を旅した。まさに青春の思い出だ。新型コロナの影響で4月のスケジュールがすべてなくなり、時間ができたこともあり、先日古い資料を整理していたら、偶然、1971年2月15日〜4月12日に書き記した旅日記を発見した。自分のことながら、ユースホステル泊まりの一人旅での駅での寝泊まり、3日連続の夜行列車、ヒッチハイクの苦労、さまざまな人との出会い等々の話を読み入ってしまった。懐かしいというより、若かった、よく頑張ったというのが率直な感想であった。ヘルシンキからソ連のレーンニングラード(サンクトペテルブルグ)、モスクワ、ハバロフスク、ナホトカ、横浜への帰路途中のオスロである人物と出会った。

         
              旅の記録・北欧の旅

      
            旅の写真・ベルゲンにて

1971年の4月9日の日記を原文でたどってみよう。当日、ノルウェーのフィヨルドの町・ベルゲンを出発した。

「9:20発でOSLOに!また8時間以上の汽車の旅、まだ外の景色がすばらしいので助かる。午後5:40 OSLO着。22:40発でヘルシングエーア(デンマーク)に行くことに決めていたので5時間の時間待ちである。OSLOのまちをブラブラ。なかなか時間がつぶれない。2度目に駅近くやって来た時、すばらしく迫力をもった若者に出会った。日本人、慶応の先輩、米(シカゴ)に留学後のヨーロッパの旅の途中である。すごく魅力的な口調で美術のこと、米国のことを様々話ししてくれた。アメリカのダイナミズムを彼から感じざる得ない。彼の話を聞いていると米国はヨーロッパと違うということがはっきりした。米国に対する興味を感じた。そうそう彼の名は“桜井武”(美術史専攻)。イースターの休日のおかげで彼に巡り会えたとも言えるから偶然とは不思議だ。彼のおかげで時間つぶしの方は解決。かれはコペン(コペンハーゲン)行くとのことで同じ汽車でデンマークへ!」

この一文を読んで、桜井武さんはどうしているのだろうとGoogle検索をしたところ、訃報と追悼文に出くわしてしまった。彼は熊本市現代美術館の館長として11年余り務め、現役の館長のまま昨年の6月に胃がんのため75歳で亡くなっていた。彼の略歴には1944年静岡生まれ。慶應義塾大学仏文卒業後、シカゴ・アート・インスティチュート留学。1971年より2004年までブリティッシュ・カウンシル勤務、2008年より熊本市現代美術館長。・・・・とある、まさにあの“桜井武”だ。彼は美術館在職中、「アートの力を見せる」「アートへの愛情を育てる」「アートで人をつなぐ」を基本理念に活動し、美術界の発展に尽力されたようだ。追悼文によれば熊本地震後も「美術館は社会にとって必要なものだ」の想いで早期の美術館の再開を実現させたとのことだ。もう少し早く、日記が見つかっていれば、再度お会いして美術の話ができたのではと無念な気持ちが広がった。私は1972年からニューヨークで仕事をするチャンスを得たが、今になって思うとオスロでの彼の熱い言葉が後押ししてくれたような気がする。

      
                桜井武氏

新型コロナでアートの世界は危機的な状況にある。美術館の存在についても問われている。その時、桜井武氏が掲げていた理念は非常に重要に思う。「アートの力を見せる」:経済優先の時代には、アートの力・存在感こそ重要であり、社会を変える力がある。「アートへの愛情を育てる」:子供の時から、アートを身近な存在にする努力が求められている。「アートで人をつなぐ」:アートは人をつなぐ力を持ち、人に気づきを与える存在だ。

先日、NHKの日曜美術館で「オラファー・エリアソン」の存在を知った。彼の創作活動を見ていて、思いがけず、自分の中に熱いものが走った。こんな気持ちになったのは久しぶりのことだ。彼は「アートはプラットフォームだ」と言う。そのプラットフォームにいると不思議な刺激が体にあふれ、そして気づきが起こる。そして、最も重要なことだが、行動(アクション)につながっていく。彼の発する課題は地球環境問題だが、アートの力が我々の意識そして行動を変える。

          
             オラファー・エリアソン
     
          オラファー・エリアソンの作品1
     
          オラファーエリアソンの作品

「桜井武」が思い描いた理想との重なりを強く感じた。アートの力を見くびるな!アートは社会を変える力がある!アートをもっと大切にしよう!アートをもっと身近に!などのメッセージが聞こえてきた。

改めて桜井武氏のご冥福を心から祈りたい。