荒井由泰さんのアートコラム  
                   新井淳一先生の思い出

  先にバルテュスや長谷川潔のことを記したが、もう一人、私の仕事そしてアートに影響を与えた存在がいるので、ぜひ紹介したい。新井淳一(あらいじゅんいち)氏である。新井先生は桐生出身の世界的テキスタイルプランナーであり、1970年〜80年代にはデザイナーの三宅一生や川久保玲らに魅力的な素材を提供した。また彼はテキスタイルをアートの世界に引き上げたパイオニアでもあった。先生との出会いは1983,4年ごろにさかのぼる。勝山市にある中上邸イソザキホールで先生の作品を見る小イベントがあった。先生の布に対する愛情や熱意にやられてしまった。先生はアートにも造詣が深く、私が主宰していた「アートフル勝山の会」と桐生との交流にも広がった。桐生出身のオノサトトシノブや当時桐生にアトリエを構えていた彫刻家の掛井五郎とのご縁も深めさせてもらった。

      
          新井先生・イソザキホールにて
      
       新井先生夫妻とともに 勝山左義長まつりにて

仕事の面では新井先生とのコラボで新しい布づくりに挑戦した。経糸(たていと)にポリエステルのフイルムにアルミニュームなどの金属を真空蒸着させた糸(スリットヤーンで金糸・銀糸と言われる)を使い、緯糸(よこいと)にナイロンやポリエステルなど・様々な糸を水で飛ばす革新織機で製織し、軽くて輝く織物を作った。先生はこの布を「しぼり」や「板締め」などの伝統的な手法で金属部分を残したり、溶かしたりして斬新で魅力的な布を創造された。まさに手仕事とテクロノロジーとの融合ともいうべき布であった。この布はテキスタイル・アートとして世界中の美術館や博物館から高い評価を受け、アメリカのニューヨーク近代美術館や英国のヴィクトリア・アンド・アルバートミュージアムほか世界中でコレクションされている。

     
            新井先生とケイテーの布 
        アムステルダムのワークショップにて

1990年には弊社(ケイテー)の80周年記念として「布ストリーム展」を開催し、市民に発信させてもらった。また、同年、FTT(フクイ・テキスタイル・トゥモロー)主催で県立美術館を会場に「繊維新展」を開催したが、この時プロデュサーとして協力いただいた。この時のコンセプトは「民族衣裳・テキスタイル・現代美術の融合」であり、福井産のテキスタイルの可能性を全国・県民に発信した。

        
            繊維新展案内チラシ1
         
               繊維新展2

FTTについて少し説明したい。1986年、円高によりイメージ的にもダメージを受けた福井産地を元気にしようと、繊維関連の若手経営者16名が立ち上がって作ったグループだ。各社年間100万円を出し、年間1600万円の予算で県内のクリエーターと連携して、繊維産業の歴史や産地の持つポテンシャルを県内外に情報発信するなど、イメージアップに取り組んだ。その一環として「繊維新展」も開催した。また、「ミクサージジュ」(1992)という大判・フルカラーの情報誌も発刊した。中にヘアヌードを掲載する大胆な企画で、全国紙にも取り上げられ、話題になった。当時はまだヘアヌードが解禁されておらず、警察の方から、不特定多数の人には渡さぬよう強く指導されたことが懐かしい。FTTの議長として参画させてもらったので思い出も多い。活動は10年余り続いた。皆、若かった。若さで取り組んだ一大イベントだった。当時のパワーが今でも少しは福井産地に根付いていると思うのだが・・・         
        
            ミクサージュの表紙
     
   英国王立芸術大学院の名誉博士号授賞記念パーティにて1
     
          授賞記念パーティにて2
     
       授賞記念パーティにて3 三宅一生氏

新井先生は2017年に9月に85歳で亡くなった。私も桐生での通夜に駆け付けさせてもらった。思い出は尽きない。奥さんで画家のリコさんと楽しんでいただいた左義長祭り、ニューヨークでご一緒させていただき、民族衣裳の価値や魅力を教えてもらったこと、2011年に英国王立芸術大学院(ローヤル・カレッジ・オブ・アート)の名誉博士号が授与され、その記念のパーティに参加させてもらったこと。・・・私の人生において、ものごとの広さ、深さ、面白さを教授いただいた新井先生に改めて感謝申し上げたい。