ひなつきみつか の美術読書
           第二回  美人は「美しい人」なのでしょうか?

 「大きな時計」のこと
舟越保武 著 すえもりブックス 1992年

 久しぶりの更新になりますことをお詫びいたします。

 ある古書店のカタログに、彫刻家舟越保武の鉛筆デッサンが出品されていました。人気の「女性像」です。いいなあ、欲しいなあと思いながらこの本のことを思い出して、取り出してきました。
 
 この本は日本経済新聞夕刊の「明日への話題」というコラムに昭和61年7月1日から同年12月23日まで週一回連載されていたものの、書籍化です。このコラムの連載の後、舟越は脳梗塞で右半身不随となります。この本の挿画は、舟越が「左手で描いたデッサン」です。表紙も古書店のカタログにあったデッサンとは違いますが、美しい女性像です。

 この本のタイトルがどこから来たかと言いますと、落語から取られたものでした。落語のスーパースター「ヨタロー」さんが、こう言っていたそうです。

「大きな時計に小さな時計、どちらも時間はおんなじだ。」

舟越は「寄席で覚えたこんな言葉が、私にとっては、永い間、重要な役割をしている。」と書いています。キリスト教の人である舟越が寄席で落語とは、ここで読み返して私は気づいて、意外だな、でもそんな舟越がさらに好きになりました。

 この本には、舟越は彫刻家ですから、「人のかたち」ついての記述が多いです。私は「人のかたち」という言葉を使いましたが、人は見かけだけではない「心のかたち」も含まれます。

 いちばん最初に「腕組み」というタイトルがあるのですが、

「腕組みはいけない」

と冒頭から否定します。
「胸の前で腕を組んでいるときは、相手の攻撃を予測している姿勢なのだ。」
さらに分析は続きます、永い間気にかかっていて、最近になって気づいたとして、「腕組みのポーズは心臓を守るかたちなのであった。(中略)心臓の動きの変化、つまり心の動揺を相手に見せまいとする本能の働きがかたちに現れたものだ。」

 今まで、いろいろな絵画や彫刻を見てきました。そのかたちについて、深く追求したことがあったでしょうか?私は直感で芸術を見るタイプであるので、こういうことがよく起こるのです。かたちを見ないで中身がわかるでしょうか?中身だけ知ろうとしていたのでしょう。反省しなければなりません。要するに「頭でっかち」とも言えます。

 芸術家は舟越をはじめとして、文章もよく書く方が多いです。でも、私の一番知りたい小学校の図工教師は文章を残しませんでした。知りたくてもわからないのです。だからかたちを見ないといけない。そのことが思い出されました。

 話は戻りますが、別の文章では、「美人」と「美しい人」について書いています。舟越の作る、描く人は美人と言えるのでしょうか?ということです。

 「美しい人、というのは顔かたちではない。心の美しさが顔に現れる人のことだ。」
 「美人でもちっとも美しくない人もいるのだ。」

と、「区別しなければいけない」としているのです。「美人」は典型であるとして、 「心の動きが、微妙な調和を作り出すとき、これこそ『美しい人』なのだ。」

 では、舟越の描く女性は「美しい人」なのだろうか?

 先に書いた、この本の文章を書いた後、脳梗塞で右半身不随となり、この本の挿絵は左手で書かれたデッサンであること。

 右手で描いた女性像、左手で描いたこの本の表紙の女性、どちらも「美しい」です。技術なんて関係ありません。病気になっても舟越の内面が「美しい人」を求めていたのでしょう。

 このエッセイ集は、ごく短い文章で、薄いものです。古い本ですが機会があったらご一読をお勧めします。

そして、あの古書店のカタログにあった「美しい人」を描いた絵は、どこにあるのでしょうね?売れたのでしょうか?