粋狂老人のアートコラム
       今宵は好みのぐい呑みで一献・・・・さて盃はどれに?
           志野か備前か、それとも萩もいいが、織部にしよう・・・

 
 私は社会人として数年過ぎたころ、職場の後輩から旅行の土産品としてぐい呑みを貰った。ぐい呑みはいわゆる窯元の店先に並ぶ大量生産品と思われた。それでも大事に所蔵していた記憶がある。その後、たまたま立ち寄った某陶芸家の個展会場で、気になるぐい呑みに出会ったことがきっかけで蒐集の道にのめり込んでいった。私は元来、飲酒はビールのみで、日本酒はほとんど飲むことはなかった。そのため酒器に拘ることもなかったが、初めて見た陶芸家のぐい呑みは、私の心に強烈なインパクトを与えてしまった。それ以来、私の研究心に火が付き、徹底して関係書を漁り調べつくした。その結果、自分の好みの作家や焼物を見分ける眼(?)も身に付き、自然に好みの作品を見付けることが出来るようになったようだ。今回はいつの間にか手元に集まってきたぐい呑みの中からお気に入りの四点を紹介してみたい。因みに紹介する作家は、北大路魯山人、金重素山、三輪休雪、岡部嶺男である。

          
   
(1)北大路魯山人作 ≪紅志野盃≫
陶芸作品を集めてみようと思う者にとって、避けては通れないのが魯山人であろう。しかしながら、世の中には多くの魯山人ファンがおり、既に評価も定まり、入社間もないサラリーマンが買える価格ではなかった。私はそれでも諦めず、いつの日か入手できる機会の為に、こまめに展覧会に顔をだし、資料を集め、本物を見極める眼を養ってきた。それらの努力の積み重ねが功を奏し紅志野のぐい呑みを入手できた。ぐい呑みと出会った時は、これは「私が所蔵する盃」との思いが瞬時に沸いた嬉しい出会いであった。出会いを演出したのは、馴染みの茶道具専門の骨董商で、筋のよい作品を紹介しつつ説明してくれた師匠のような存在であった。この時は私の懐具合を考慮してくれたようで、何とか購入することが出来た経緯がある。
器は写真の通り、口が外側に反りすっきりした形で、いかにも呑みやすそうである。器全体は紅色で薄の模様であろうか、蝋を塗った部分が白く抜けて、薄の雰囲気が見事に感じられる。この辺で、回りくどい説明はさておき、今宵はこのぐい呑みで至福の時間を楽しむことにしよう。(高6.0㎝ 径7.0㎝)

                        

(2)金重素山作 ≪ヒダスキ 愚意呑≫
私は勤務先の転勤で地方在住のころ、帰宅途中に馴染みとなった画廊に顔を出してみた。すると店は翌日からの「大ぐい呑み展」の準備で大わらわであった。私は思わず半数ほど並べられた作品群の中に、知っている作者の作品がいくつもあることに気が付いた。それらは、藤原啓、小山富士夫、森陶岳など数えきれない数であった。私はぐい呑み展のオープン前にもかかわらず、三点ほどを選んで店主に購入の意思を伝えた。すると店主は作業の手を止めて、今日は無理、明日にして下さいと言われた。それでも粘ると、私の手にした三点の内、二点について渋々譲ってくれた。その二点の内の一点が金重素山の≪ヒダスキ 愚意呑≫である。素山は「緋襷(ひだすき)の素山」と言われた備前焼の名工で、兄は備前焼の人間国宝であった金重陶陽である。
器は馬盥型をしており、白地に色どられた緋襷の鮮やかさは見事な景色となっており、手に持ったときの感触は言葉にならない。まさに至福の時を楽しむことができる逸品である。因みに翌日届いた「ぐい呑み展」案内状には、私の買い求めた≪ヒダスキ愚意呑≫がカラーで印刷されており吃驚した。道理で店主がオープン前に器を手放すことに難色をしめした理由がわかった。私にとって、器を手にするたびに、出会いのシーンを思い出させてくれる大切な盃である。(高5.0㎝ 径5.7㎝)


                        
(3)三輪休雪作(11代、後、壽雪)≪萩さかずき≫
私が休雪作品と出会ったのは、既にその名声を知っており、一方、未だ価格的には入手が可能な時期であった。しかしながら、地方在住の私の目が届く範囲には作品が見当たらなかった。それから数年経過したころ、坂倉新兵衛(14代)と三輪休雪(11代)の二点がまとめて売りに出ていた。私は休雪作品のみ譲ってほしい旨店主と交渉したが、結果は丁重に断られてしまった。それでも休雪作品が諦めきれず、やむなく二点まとめて買う羽目となった。今となっては、坂倉作品も貴重であり、まとめ買いをしてよかったと考えている。 
休雪作品を手に取って初めて分かったことがある。それはこのような小さなぐい呑みでもずしり(?)と手ごたえを感じる作りである。それに引き換え大量生産のものは軽く薄っぺらな感じがする。一方、休雪の作品は、何と言っても休雪釉と言われる独特の白系の釉薬であろう。何とも言えない焼成後の器の肌が休雪ファンを魅了するようである。勿論、口辺全部を鉄釉で染めた皮鯨(かわくじら)が、器に緊張感を与えていることも見逃せない。私にとって、この小さな器での一杯は、下戸でも格別な味わいが感じられる好きな盃である。(高5.3㎝ 径7.7㎝)

                        

(4)岡部嶺男(旧姓、加藤)≪織部ぐい呑み≫
私が陶芸家としての岡部嶺男を最初に知ったのは、「永仁の壺」贋作事件の情報である。嶺男は加藤唐九郎の長男で、陶技は父唐九郎に勝るとも劣らぬ名手と言われた。特に嶺男青磁は有名で高価である。勿論、青磁以外にも志野、織部、灰釉、伊賀、唐津などの作品を手掛けている。余談であるが、私が現役のころ、札幌から東京出張の際、時間をみては大丸東京駅店に立ち寄った。同店の美術ギャラリーで見た、嶺男作の「青磁ぐい呑み」は何と二百万円代であったと記憶している。資料などには、人間嫌いで寡作、まさに神秘的でさえある陶工などと紹介されており、実に興味深い作家と感じていた。そんな夢のような作家作品を入手できるとは自身驚きであった。勿論、器には修復箇所があり
完品とは言えないが、酒器として使用することには何ら支障がない状態である。しかも、嬉しいことに共箱である。こんな機会はめったにないとの思いから買い求めた。
この器はサイズも程よく、何といっても織部釉の発色の良さ、さらに轆轤成型(若しかして手練りか)の到達点と思える技の冴えが素晴らしい。私は盃を使う前に手に取り眺め、使用後にまた盃を眺めて、その作品の素晴らしさに一人悦に入っている。
ところで、これもまた余談であるが、以前に馴染みの茶道具商(骨董商)から嶺男作品の器の底部分には「油揚げ肌」が見られると教えられた。実際、手元のぐい呑みにも、油揚げの肌のような焼成であることが分かる。ただし、それは織部釉の作品だけに見られるか未確認であったことが、今となっては悔やまれる。(高4.5㎝ 径5.8㎝)

<参考資料>
入門魯山人の陶器(武腰長生著)  北大路魯山人展図録(昭和47年7月)
北大路魯山人展図録(昭和54年10月)  魯山人の世界(白崎秀雄著)
サライ 北大路魯山人大全(2003年12月号)
北大路魯山人展図録(昭和3年6月三越呉服店「星岡窯 魯山人陶磁器展観」復刻?)   
太陽 特集 北大路魯山人(1989年5月号)
芸術新潮 独尊 北大路魯山人特集号(1987年9月号)
生誕百年記念北大路魯山人展図録(昭和58年7月)
星岡(第28、31~32、34、36号)
魯山人晩景(阿井景子著:別冊・文芸春秋 第204号)
日本のやきもの 現代の巨匠 2 北大路魯山人  NHK美の壺 魯山人の器
現代陶芸作家辞典(工芸出版編)  岡部嶺男展図録(昭和56年10月)
炎芸術 特集 不死鳥 岡部嶺男(1988年22号 阿部出版)
人間国宝 三輪壽雪の世界展図録(平成18年7月)
金重素山展図録(昭和58年11月)  備前焼現代作家集(岡山観光公社刊)
備前 金重素山展図録(昭和59年3月)
新版 ぐい呑み楽し(工芸出版編)    徳利と盃(1994年4月 平凡社)
小さな蕾 酒器愛玩(創樹社美術出版)  
小さな蕾 徳利とぐい呑み(創樹社美術出版)