粋狂老人のアートコラム
       一枚の古い絵に翻弄された日々を回顧してみる・・・・作者不詳
       独り相撲の結果は、糠喜びに終わったが・・・

 
 それは一枚の古い作者不詳作品との出合が始まりであった。私は何気なく目に入った古そうな風景画に思わず視線が止まった。これはうまく説明ができないが、私の勘のようなものと思って貰えばよい。絵は風景画で、明治時代を思わせるような街道筋にみられる宿場町のようである。絵は空の明るさと対照的に建物、道路など暗い色調で統一された感じを与えている。絵は細部にわたり丁寧で、特に樹木の枝葉の描写や雲の表現は直ぐに気に入った。ただし、私の第一印象は美術品(芸術性の高い)というよりも記録画として描かれたのではないかという印象を持った。絵を飾って楽しむには少し違和感がありそうだ。
 因みに、絵には私が期待したサインが見当たらず、作者不詳である。一瞬、私の内部で購入しても作者の特定は難しいであろうとの思いが頭を過った。

    
     「山形県北村山郡楯岡村市街岩石ヲ切リ通路トナセシ図」
それでも購入を決めたのは、絵の裏面に墨書きがあったことである。今までの経験から墨書きを辿れば、作者に到達できるのではとの期待感があった。肝心の墨書きは、「山形県北村山郡楯岡村市街岩石ヲ切リ通路トナセシ図」とあった。
勿論、私は風景画からの作者特定を試みたが、作者に通じる決定的な証拠もなく、素人の眼力のなさと資料不足も相まって調査を断念した。一方、墨書きを調べるうちに或ることを思いだした。それはこの風景の構図をどこかで目にしていたことである。でもそれは何処であったのかはっきりしない。私のもやもやは晴れないまま数日間経過してしまった。やはり歳のせいと諦めかけたとき、不意に記憶が蘇ってきた。
 それは1994年神奈川県立近代美術館で開催された「没後100年 高橋由一展」で見た展示品の中にあったのではとの微かな記憶であった。私は急ぎ高橋由一展図録を取り出し、頁を捲ると「山形県景観画集」の中に同じ場所を描いたと思われる石版画、下絵(2枚)の3点が確認できた。私は驚きで興奮状態であったが、心静め手元作品と図録掲載図版の相違点などを確認した。その結果、下絵の一枚と構図がほぼ一致していることがわかった。大きい相違点は、石版画、下絵には人物が描かれているが、手元作品には人物が描かれていないことであった。他には裏面の墨書きは北村山郡から書き出しているが、手元作品は山形県からか書き出していたことである。私はこの時点で、自分に都合が良い解釈で、図録掲載の3点は、「山形県景観画集」の作品であるため、山形県は省略したと判断した。

          
     
 <参考資料>高橋由一展図録掲載図版          
一方、手元の作品は単品のため敢えて、墨書きは山形県からとし、県外の人物にも分かりやすくしたと推測してみた。勿論、他にも無銘であること、古い紙(麻布に貼ってある)を使用したこと、墨書きがほぼ一致していることなど徐々に自信を深めていった。私はこの時点で少しずつ絵の欠点が見えなくなり、由一作品の可能性に傾いていった。それでも由一の可能性については、10対90の割合で低いと考えていた。確かに私なりに気がついた由一作と思える条件が複数見つかったが、由一の真作がそんなに簡単に巷に転がっているとは到底思えなかった。
 私一人の力では、これ以上の進展は望めないと判断し、専門家のアドバイスを仰ぐことにした。そこで「岩本昭氏(注1)」も由一作品の特定の際にお世話になった「歌田眞介氏」に照会することにした。私の勝手なお願いであったため、歌田氏が当方の頼み事に応じてもらえるのか多少不安もあったが、一週間程度過ぎたころ歌田氏から手紙が届いた。私の期待した手紙の内容は、「お申し越しの作品は高橋由一作ではありません。―途中省略― 今まで由一らしいと言う作品を沢山見てきましたが良い物は岩本さんと他に1点のみでした。貴方の所蔵のものと同じ手の物を他に何点か見たことがあります。―途中省略―1982年西宮市大谷記念美術館の高橋由一展図録に同じ手の物が2点掲載されています。また、6点の鮭図が伝高橋由一として掲載されています。すべて由一ではありません。これらはいずれも東北地方から出てきたようです。―以下省略―」とあった。
 私は100パーセント由一作と思っていたわけではないが、それでも久し振りに緊張と挫折感を交互に味わった。一方、私は直ぐに気を取り直し、絵には銘がないため贋作ではないと思い直した。勿論、歌田氏も由一作ではないと書かれていたが、贋作とは一言も言っていなかったことが救いである。
 私は入手当初から贋作者の手になる作品ではないと確信していた。それには次のような理由が考えられる。贋作者であれば、手っ取り早く、簡単に金になる人気画家の作品に手をだすこと。ましてや由一のように銘を入れない画家の作品では、大方作品の購入者は自ずと限られ、かつ、価格も廉価であること。そのうえ制作時間が無駄であり、割に合わない仕事に手を出すはずがないこと。
 私はむしろ可能性として、由一の旅行(栃木、福島、山形の新道スケッチのため)に同行した弟子(?)が描いたか、或いは地元で由一らを世話した人物の存在を推理してみた。推理した理由は、「山形県景観画集」に掲載されている石版画、下絵ともに淡彩であり、贋作者には手元の風景画の時代がかった色調は出せない。もっと言えば、当時、街道を歩いた人物か、その場所に住んでいた人物こそが、時代性や雰囲気を出せると考えている。
 もう一つの理由は、手元作品と同じ手の作品が他にも存在すること自体、誰かが記録的意味合いから描いたことを証明することに繋がると考えている。でもこれらは、私の素人推理であり、作品を描いたとする人物(画家)の存在を立証できる資料などは見つかっていない。僅かな希望は、歌田氏の言われた「いずれも東北地方から出てきたようです」の言葉に意味がある。このことから単純に考えれば、作者は東北地方(特に山形県)在住であった可能性を私は捨てきれない。
 この辺で東北地方の画家について触れておきたい。それは「池田亀太郎(1862~1925年)山形県酒田市生まれ」の画家の事である。亀太郎は写真をもとに肖像画をよく描き、酒田における油彩画の先駆者として知られ、とくに注目されるのは≪塩鮭図≫で、その発想、油彩技法は高橋由一の≪鮭図≫とよく似ている。現在、高橋由一作とされている≪鮭図≫や伝高橋由一作とされている≪鮭図≫には亀太郎の作品が含まれているとも言われるほどの技量の持ち主であるようだ。若しかしたら、手元の作品も亀太郎の作品かも?
 さらにもう一人忘れてならない人物がいる。それは「高橋源吉(1858~1913年)」である。「源吉は由一の息子で安政5年江戸生れ。天絵学舎に学び。その後、1876年工部美術学校に学び、フォンタネージに師事。78年同校中退し、十一字会結成。80年日本初の美術雑誌「臥遊席珍」を創刊。87年東京府主催工芸品展覧会に出品。89年明治美術会の創立に会員として参加し、第1~2回、第5回、創立十周年記念展に出品。明治美術学校で教鞭をとる。94年<大婚二十五年奉祝景況図>制作。明治美術会解散後は、中央画壇との交流を断ち、展覧会には出品せず東北を流浪したと伝えられている。1913年11月宮城県石巻で没、享年55歳。」が略歴である。因みに源吉の作品は、山形県内で見つかることがあるようだ。さらにもっと凄い情報もある。専門家によると、源吉は東北を旅行中の由一から送られたデッサン(下絵)から石版画を制作していたことである。そうなると、本命は源吉の可能性も十分あり得るかも?
 ところで、負け惜しみを言うつもりはないが、作者が誰であれ、私にとっては一時夢をみさせて
くれた作品に変わりはない。そのことを最後に付け加えておきたい。

蛇足・・・・老人の戯言にお付き合いのほど・・・
 私は今回の体験を通じて思いついたことがある。それは「高橋由一展」開催の企画案として、初の試みに挑戦することである。まず展示の仕方を由一作コーナーと由一作とされていない作品や「伝」のついた作品コーナーに区別し、多くの研究者や一般の鑑賞者の声を聞く機会を設けることである。若しかしたら、真贋(?)作品が一堂に会することで、由一作でないとされていた作品群が本物とされる可能性(?)があったりして! いやそれはないか?
また、私の考えは由一作でないとされた作品を描いた画家が、複数存在したのか、単独であったのか、画風を比較することでわかるチャンスと捉えている。
話が前後するが、真贋作品(?)作品の展示方法について言葉足らずであったので、少し補足したい。それは≪鮭図≫の展示方法に限っては、真贋作品を同じコーナーに並べて展示することを目玉にしたい。なぜならば、研究者などが同じモチーフの作品を直に比較でき、調査研究が一歩前進する可能性を期待したいが如何であろうか?
老人には所詮果たせない夢、誰かやる気のある
頼もしい学芸員氏の現れるのを待ってみようと思っている。

 (注1)岩本昭氏は、1990年当時、世田谷のボロ市で高橋由一作の≪墨水桜花輝燿の景≫を掘り出した目利きのコレクターである。
 (注2)手元の作品(油彩)は、裏面に明治21年写と墨書きがある。なお、サイズは55.5×72.5㎝で額装されている。

<参考資料>
 没後100年 高橋由一展図録(神奈川県立近代美術館)
 美術80年史(森口多里著)  山形の近代美術 増補改訂版(村山鎭雄著)
 高橋由一から藤島武二まで 日本近代洋画への道展図録
 箱根―東京―札幌 明治洋画―記録から藝術へ展図録
 フォンタネージと日本の近代美術展図録    わたし流美術館(岩本昭著)

 
気まぐれ美術館(もうひとりの鮭の画家309頁)(洲之内徹著)
 忘れられていた日本洋画(住友慎一著)  再考 近代日本の絵画展図録