粋狂老人のアートコラム
           酒器にこだわる下戸の呑み方・・・・・・鶯谷庄平
           時には刷毛目のぐい呑みで・・・・

 
 焼物の世界には「刷毛目」と呼ばれる技法がある。手元の資料によると「白泥の刷毛目を一筆に塗ったもので簡略で素朴な効果をあげている。三島と同様、李朝初期に焼かれたもので、作風の上でも三島と共通するものがある。鶏竜山など南鮮一帯の産。軽快で生きのいい作風が、茶人の間に喜ばれた。」と説明があった。
 現在、国内で所蔵されている代表的な茶碗を二つ紹介することにしよう。一つ目は、藤田美術館所蔵の≪刷毛目≫である。解説文によると「見るだに爽然の気溢るるばかりの、切れ味のすばらしい作である。三島、刷毛目といえば鶏竜山(朝鮮の忠清南道広州の近く)を連想するが、これはまさにその作風における特色の、端的に結晶された好典型といってもよい。鶏竜山の作は、その鋭い切れ味によって、古くから茶人に採り上げられてきたが、この魅力はわけても刷毛目において強い。以下省略」とある。二つ目は、根津美術館所蔵の≪雪月≫である。解説文によると「刷毛目を代表する茶碗の一つである。雪月の銘の由来および箱書の筆者は不明であるが、内外に見事に刷かれた白濁釉は問題なく雪景を連想するであろうし、一方、見込みに広く取られた鏡を湖面に浮かぶ月と見て、二方から流れ込む幅広い浸みはこれにかかる叢雲にたとえることはいかにも自然であろう。刷毛目茶碗の中では平目で、口辺もわずかに端反りになっているが、それだけ刷毛の特徴が存分にみられるのである。以下省略」とある。
 書出しから小難しい説明となったが、最近、久しぶりに気に入った焼物を入手できたので、つい筆が走ってしまった。それは刷毛目のぐい呑みのことである。作者は鶯谷庄平(うぐいすだに・しょうへい)である。
      
         刷毛目ぐい呑み H2.9 w7.2㎝

加藤唐九郎編の原色陶器大辞典によると、「加賀国(石川県)の陶工。号は庄米。1830年(天保元年)金沢生まれ、1875年(明治8年)頃鶯谷久田窯にいた一光から陶法を学び、1882年(同15年)一光が京都へ去ったそのあとを受けて製陶したが、1885年(同18年)ここを野崎佐吉に譲り別に油木山に小窯を開いた。しかし間もなく廃窯し、作品は佐吉の窯または能美郡の諸窯、のちには富田忠男の窯で焼成した。作は京焼の風に従い、木米に私淑し、また、写し物をも巧みにした。印款はおおむね刻印で、初め「庄平」次に「庄米」また、「震山庄米」「老竜麟庄米」などがある。1912年(同45年)没、享年83歳。」とある。
 ところで、肝心のぐい呑みであるが、写真のとおり小振りで、下戸に近い私には丁度良い大きさである。形は平茶碗のように浅く、飲み口としたのか、口の一部に歪みをもたせている。器には刷毛による白泥の渦巻き模様がくっきりと見て取れる。器にお酒が入ると、小さい器の中にまるで「鳴門の渦」を見ているようで、酒量に影響を与えそうである。私は珍しい日本酒が手に入ったときなどこの器を使うことにしている。器には一つだけ残念なことがある。それは写真の通り僅かにニューが見られる。勿論、器を愛する者にとっては、古いものであり、この程度の傷は許される範囲なのかもしれない。
 今回は取り出して見るだけでなく、実際に使って、ぐい呑みが作られた明治初期に思いを馳せてみることにしよう。
 夕刻、坪庭に目を転ずれば、「薄が風に揺れ、満開となった萩も今が見頃、まもなく庭園灯も灯り、雲間からの月を待つばかり」とお膳立ては出来た。後は酒の銘柄を選ぶだけと、下戸の割には何かと拘りがある。
 因みに自宅で絵を楽しむ際、コーヒーや紅茶を飲みながら鑑賞するのが一般的(?)と思うが、時には好きなぐい呑みで日本酒を飲みながら鑑賞するという楽しみ方は如何。いつもと違った世界が絵の中に見つかるかも?一度試してみる価値があるのでは? ただし、深酒は厳禁。
                         (令和元年10月記)
<参考資料>
決定版お茶の心 茶碗(家庭画報編)、 原色陶器大辞典(加藤唐九郎編)