粋狂老人のアートコラム
       現代画廊(故洲之内徹氏経営)の最後を見届けた画家・・・・・矢内清六
       極限の写実・ド迫力の描写に言葉無し・・・

 
 最近、今までに感じたことがない挑戦的な静物画に出合った。それは見る者に凄い勢いで迫って来るような作品であった。私は思わず、視線が釘付けとなり、一瞬言葉を失った。絵のモチーフは、収穫後に軒下などに暫く吊るし干していた玉葱と思われる。構図は下段左側に二個、上に一個が茎部分で結わえてあり、おそらく乾燥のため干してあった玉葱であろう。玉葱は茎が枯れ、球根の部分の皮も枯れた状態が見事に表現されている。玉葱は保存する際、根が空気中の水分を吸うのを止めるために根を切るが、画家は敢えて根がついた玉葱を選んで描いたと思われる。この作者は、「アクリル・鉛筆」だけで作品を制作しているとばかり思っていたが、今回の出合で油絵も描いていたことが分かった。私はアクリル・鉛筆の作品の超絶技巧の描写とも思える作品に出合い一目で虜になったことを忘れることはできない。私は二つの技法のいずれかを選べと言われても甲乙つけがたいと思っている。因みに、ここ数年に画廊から届く個展案内では、アクリル・鉛筆の作品であり、油彩は止めていると思っている。
 ところで、余談であるが、札幌在住の頃、岩見沢市に出かけた折、道路の両側の広大な玉葱畑を見て、ここが我々の胃袋を満たしてくれる場所であることを実感した記憶がある。

          
            玉葱図     22×27㎝

近年では勤務先のOB会で淡路島を縦断し、鳴門の渦や大塚国際美術館で陶板複製画を見学した際、途中の道路両側が玉葱畑であった。バスが玉葱畑を通り過ぎるまで相当時間を要したことや畑の中に小屋が点在していたことが印象に残っている。バスガイドの案内では、収穫後の玉葱を乾燥させるための小屋であるとの説明であった。記憶が定かでないが、小屋には屋根と柱だけで扉もなく、風通しを良くする目的があるとの説明を受けた。勿論、淡路島の玉葱の特長は甘く、やわらかく、辛味が少ないとのことで、是非お土産にと勧められたことが懐かしく思いだされる。
 私がこの作者の作品(図版)を初めて目にしたのは、月刊美術1991年12月号で「迫真の写実画」を特集した頁であった。その中に「矢内清六」の作品が選ばれ掲載されていた。掲載された画家は24名で、一部名前を挙げると野田弘志、麻田浩、星野真吾、青木敏郎、グスタボ・イソエ(磯江毅)、久野和洋、岩戸敏彦、山中雅彦、森本草介、藤井勉、原雅幸、大矢英雄などであった。矢内の作品は、それらの既に知名度のある作家たちの中にあっても、しっかりと存在感を感じる作品であった。あらためて資料を見ると、<芽の出た玉葱>の画題で、アクリル・鉛筆で制作していた。私は当時、本店(東京)に赴任したばかりで多忙な時期と重なり、いつか必要になるとの思いから画家の名前と写実的な作風のみを記憶しておくことにした。
 その後、しばらくして、「洲之内徹の風景」(回想の現代画廊 刊行会)を目にして買い求めた。本の内容は、洲之内の生前に関わった人たちが、それぞれの思いを書いているようだ。執筆者は数多く、すべての名前を挙げるつもりはないが、気になった人たちは、白洲正子、瀬木慎一、浅尾丁策、梅野隆、大原富枝などである。ほかにも野見山暁治、飯野農夫也、木下晋、宮忠子、三芳悌吉などの画家は気になり文章を読んでいる。画家たちの中に矢内の名前を見付け、現代画廊で個展をしていたことを初めて知った次第である。
 矢内と洲之内徹氏との出合について、矢内が書いているので一部紹介したい。『1982年夏の終わり、妻は私に内緒で洲之内さんに会って私の絵を見て貰った。妻の心には、友人の言った言葉がずっと残っていたようだった。「洲之内さんに見て頂いたのよ」と、数日後私に報告した。それはそれは丁寧に、一枚一枚、二つの眼鏡を取っ換え引っ換え時間をかけて見て下さったそうです。後日、私は洲之内さんにお会いした。いろいろ話しているうちに、現代画廊で個展をやりたくなった。「個展をさせて頂けませんか」と私は唐突に言った。「どうぞ」と洲之内さんは話の続きのように言って、「佐藤さーん、矢内さんが個展をやるからお話うかがって」と言った。画廊の都合を尋ねたら、「何時でもいいですよ。何日でも、十日でも、一ヶ月でも」と洲之内さんは言った。私は驚いた。何か不思議な感覚の中に飛び入ったようだった。』―途中省略―『現代画廊六階の貸画廊での私の個展は、1983年から洲之内さんが亡くなった1987年まで、五年続けて開くこととなった。』以下省略するが、この文章から矢内が現代画廊の最後を見届けた画家であったことを初めて知った。また、洲之内の作品に対する接し方を垣間見ることができ参考になった。
 私はこれまで多くの画家の作品を目にする機会があり、自身のコレクションの有無に関わらず略歴を調べてきた。そんな中にあって、今回ほど簡単な略歴は初めてである。因みに、その略歴を紹介すると「1935年福島県福島市生まれ。県立福島高校卆。川口市の鋳物工場に勤務。福島市に戻る。その後、画家を目指し、親戚の画家、吉井忠を頼り上京。吉井の紹介で美術協議会中央美術研究所に学ぶ。次いで武蔵野美術学校に顔を出しながら描き続ける。1983~87年現代画廊(銀座)個展。1990年ギャラリー和知(銀座)で個展。1991年彩林堂画廊(銀座)で個展。2010~2018年フォルム画廊(銀座)個展。2015~2019年マスダ画廊(豊前市)個展。他にも銀座を中心に数十回個展開催。無所属。時期は不明であるが、久藤直江にも師事。」とある。私は矢内の作品と出合って、作品の素晴らしさに魅了され、この作家に限っては略歴など不要であると考えさせられた。さらに付け加えれば、矢内は略歴より作品そのものを見て下さいと言っているのかも知れない。
 因みに、銀座の某画廊での個展開催中の出来事を紹介すると、「通りがかりの二人連れが、何気なく入った画廊の作品の前で釘付けになっている様子を記事にしていた。二人とも目の前の作品が肉筆とは俄かに信じがたい思いであったようだ。」とあり、二人連れも私と同じ体験をしたのであろう。私自身は現在もどうしたら写真のような作品を生み出せるのか未だ理解できていない。これは作家本人に聞くしかないのかも?
<参考資料>
 月刊美術12 1991年   文芸春秋2020年6月号(後列の人⑰清武英利著)
 洲之内徹の風景(「回想の現代画廊」刊行会)