粋狂老人のアートコラム
      武士の身を守る武器の飾りに、なぜ糸瓜(へちま)図を・・・・無銘鐔
       糸瓜と日本人の時代を経た多様な関わり方に驚く・・・

 
 私の小学生の頃を振り返ると、昨今の小学生には考えられないが、放課後に校門を出ると、雨の日を除き、真っすぐに自宅に帰ることはめずらしい時代であった。一週間の大方は、通学路の途中に点在する何人かの友達の家に寄り道して帰るのが習慣になっていたようだ。
最初の話しは、学校に近いB君の家のことである。B君の家には、井戸端近くに棚があり、蔓が棚の屋根(?)や支柱に絡みついて、黄色い花を付け、秋には胡瓜のお化けのような実が棚からぶら下がっていた。最初はあまり気にも留めなかったが、実の大きさが50センチくらいに成長すると、さすがに植物の名前が気になりB君に尋ねた記憶がある。B君の話しでは、「へちま(糸瓜)」という植物であること、祖母が毎年育てていることを教えてくれた。目的は糸瓜から「たわし(束子)」をつくることらしいということも分かった。

 ところで、今回は所蔵している「糸瓜図鐔」のことについて話を進めようと思っている。何かと気になる老人としては、手始めに、糸瓜にまつわることを調べてみようと重い腰を上げることにした。いまさら、この程度のことを強いて取り上げるほどのものでもないと言われそうであるが、老人の拘りにお付き合い願いたい。最初は軽い気持ちで調べ始めたが、作業が進むにつれて、日本人と糸瓜は身近な存在であることに気付かされ、思わずのめり込んでしまった。折角なので、わかった内容を順不同であるが、項目ごとに簡単に紹介することした。

 まず、最初は俳句の世界である。大方の人たちは記憶にあると思われる正岡子規から紹介しよう。絶筆三句と言われている「をととひのへちまの水も取らざりき」「糸瓜咲て痰のつまりし佛かな」「痰一斗糸瓜の水も間に合はず」である。私は絶筆三句の呼称を勉強不足で知らなかったが、三句は当時の国語教師のエピソードを交えた教え方が面白かったせいで覚えている。これら僅か十七文字の俳句からは、晩年の子規にとって、糸瓜は必需品であったことや闘病生活が生々しく伝わってくるようである。

 次は小説である。太宰治の短編のなかに「失敗園」を見つけた。内容は糸瓜を育てるための夫婦の会話を植物の目を通し擬人化した話しと思われる。一部を紹介すると「細君にせがまれたらしく、ばかな主人は、もっともらしい顔をして、この棚を作ったのだが、いや、どうにも不器用なので、細君が笑いだしたら、主人の汗だくで怒って曰(いわ)くさ、それではお前がやりなさい、へちまの棚なんて贅沢品だ、」というようなことが面白可笑しく書かれている。もしかして文中のばかな主人とは太宰自身であったのでは?

 次は中でも関心のある絵画の出番である。最初に見つけたのは、黒田清輝作の<茶休み>である。この作品は1916年第10回文展に出品されたもので、普段着の女性が、糸瓜棚の下の縁台でお茶を飲み休んでいるを姿を描いた作品である。外国の女性を多く描いている黒田にしては、めずらしく日本の女性を描き、今まさにお茶を啜ろうとする瞬間の表情を見事にとらえた逸品である。女性が主役のためか、女性の頭の後ろにぶら下がっている糸瓜の存在を忘れていた。次は牧野虎雄の<へちま(1930年第11回帝展出品作)>である。作品は自宅の庭であろうか、糸瓜棚の下で、テーブルの側で椅子に腰下した女性を配置した構図である。この絵の特長は、地面や自宅の壁面を明るい茶系にしたことで、沢山の葉を付けた糸瓜やぶら下がっている実の隙間から背景の茶系色が見え、帽子姿の女性を取り巻く庭木や草花が前面に出てくるような印象を与える描き方である。いわゆるこの作品にも、牧野ワールドが明確に表現されているようだ。
時代は少し下がるが、中山巍作の<田園に育つ>は1940年紀元二千六百年奉祝美術展に出品された大作である。作品は二人の子供の周りを取り囲むように糸瓜が描かれた面白い構図である。一方、生き生きとした緑色の葉と黄色い花、未だ青い実が目に付くが、裸の子供の周りの表現が図版では判然としないのが残念である。
ほかにも近代には含まれないが、江戸時代に活躍した重要人物が糸瓜図を描いていたことを思いだした。それは「伊藤若沖」であり、作品は<糸瓜群虫図(京都 細見美術館所蔵)>である。私の備忘録によると、2016年5月12日に東京都美術館で3時間ほど行列待ち後に入館し、「生誕300年記念若沖展」を鑑賞している。どの作品も出来栄えが凄く、自然と作品の前に止まる時間が長くなった記憶がある。取り上げた作品は、30点の「動植採絵」には含まれない単品であるが、余白を生かした素晴らしい作品であった。今回、念のため図録で確認したが、迫真の写実画は神業の一言に尽きる。まさに流行りの言葉で言えば、超絶技巧の作品と言えるであろう。

 次はことわざである。辞典によると5種類が掲載されている。具体的には、「糸瓜の皮とも思わず」「「何のへちま」「糸瓜の皮のだんぶくろ」「浮世は糸瓜の茅頭巾」「糸瓜の皮より竹の皮」とあり、大して役に立たない言い回しとして、庶民の日常生活のなかで使われるなど身近な存在であったと思われる。なお、へちまに関することわざは、地方によって言い慣わしが異なるため、五種類存在していることが分かった。

 最後はお寺である。私も今回、調査の中で初めてその存在を知り驚いたのであるが、都内上野に「へちま寺(浄名院 上野桜木2丁目)」があり、旧8月15日に「へちま加持祈願法要」が行われているようだ。ついに糸瓜の存在はお寺にまで及んでいたことは初耳であった。一度、機会があれば、へちま寺を訪れてみたいと思っている。

 糸瓜の説明が後になってしまったが、資料によると、「ヘチマはインド原産のウリ科の一年草。また、その果実のこと。日本には室町時代に中国から渡来した。別名、イトウリ、トウリ。 」とあり、うり科の植物であることが分かる。さらに続く説明には「まきひげが他の物に巻きついて延び、夏に黄色の花をつけ、初秋に長い実をぶら下げる。実の繊維は靴の下敷、たわしなどにする。茎から化粧水を取り、また、せきの薬ともする。」とあり、日本人に幅広く利用され、決して、ことわざにあるようなことは無く、身近な存在であったことが今回の調査で理解できた。

        

           糸瓜の図   鉄地木瓜形据紋象嵌            
 多方面で糸瓜を取り上げていることは分かったが、身を守り、敵と戦うための刀の鐔に、鐔工はなぜ糸瓜を図柄として使ったのか、この疑問は解決していない。本来であれば、蜻蛉(勝虫)、龍、虎、武将、戦い図などの縁起のよい図が使われると誰しも考えるはずである。ところが、所蔵の鐔は、意外にも蔓からぶらさがった糸瓜が彫られている。勿論、私が購入を決めたのは、刀装小道具の図柄にしては、珍しい糸瓜図に魅かれたことである。

 一方、武器の図柄としては、相応しくないと思う反面、この種の図柄を好む人物は誰であろうか、下級武士かそれとも浪人かなどと思いを巡らす余裕も湧いてきた。よく考えてみれば、徳川幕府も長期安定政権となり、いわゆる戦いの無い世となり、武士が刀を使う時代は終わりを告げていたことが、このような図柄も出回ったと推測している。専門書を見ると、鐔小道具類の図柄は多様化し、戦いが頻発した当時の飾りのない武骨な鉄鐔から金、銀などを使用し、図柄も多種のおしゃれな鐔へと需要が変化していったことが読み取れる。

 手元の鐔も糸瓜の実は形だけを彫り、一方、蔓や葉は金、銀の象嵌を施し、まさに一幅の絵画を見ているようである。勿論、私は手元の鐔もおしゃれの部類に入ると考えている。おしゃれと言えば、刀を腰に差したとき、相手に見える鐔の片側部分に目立つ図柄を配置し、自分の身体に近い部分は控え目の図柄にしているのが大半である。これは図柄を減らすことで、鐔工に支払う代金を少しでも節約したい武士の思惑があったようだ。そういえば、気になっていることがある。それは現存している鐔に、なぜ無銘の作品が多いのか不思議である。以前に目にした資料では、制作に一ヶ月を要したとあり、手の込んだ鍔は数ヶ月とも言われている。現代人にとって、これだけの時間を費やした作品に銘を入れないことは、理解し難い事実であろう。

 最後に糸瓜の図柄の鐔は、他に現存しているのか調べてみた。すると、2点見つかった。一つは「鐔・小道具画題事典(下巻)」にほぼ手元の鐔と同じような図柄の鉄鐔が掲載されている。違いは、板塀を背景に糸瓜の実、花、葉、茎、蜂が据文象嵌され、それぞれバランスよく配置されていることである。単色図版のため、現物の色が分からないのが残念である。二つ目は「へちま金覆輪鐔」加藤英明作である。専門的には、鐔の形は丸撫形、金で回りを覆輪し、赤胴七々子地とし、葉や花、蕾を付けた蔓が覆輪上と笄穴の上と小柄穴の下に配置され、豪華な造りが目を見張るような出来栄えである。この鐔は幕末のころの作と思われ、おしゃれが頂点に達していることが分かる逸品である。この鐔は、「鐔の鑑定と鑑賞(常石英明著)」にカラー図版で掲載されており、武器というよりも工芸品というべき存在と思っている。

 今回は暇にまかせて、一枚の「糸瓜図鐔」から思いを馳せて動き回ってしまった。たとえ無銘であっても、楽しむことができることを伝えたい一心でまとめてみた。ときには、秋の夜長に日本の武士道(?)に思いを馳せてみるのも一興では……。

  注、「つば」の漢字は、「鍔」と「鐔」の二種類の使用が見られるが、多くの専門家に倣って「鐔」を使うことにした。
<参考資料>
鐔・小道具画題事典(上巻、下巻)沼田鎌次著。  ウィキペディア情報
鐔の鑑定と鑑賞(常石英明著)  ことわざ辞典(日東書院) 日展史 みづゑ432号
「太宰治全集3」ちくま文庫、筑摩書房   生誕300年記念若沖展図録