粋狂老人のアートコラム
       偶然にも安井曽太郎素描展出品作に出合う・・・安井曾太郎
       抜きんでた線描に安井ならではの技量が・・・

 
 今回は書出しから取り上げる作品を考慮し、梅野隆氏が京橋で「美術研究藝林」の名前で画廊を開いていたころの話しから始めようと思う。
久しぶりに、勤務先からの帰宅途中に藝林に立ち寄ると、その日は珍しく先客が誰もいなかった。いつも先客が梅野氏と話し込んでいるので、新参者が話の輪に入るのはどうしたものかと迷った記憶がある。そのような思いからか、今日こそはゆっくり梅野氏の話が聞ける滅多にない機会と感じたことを憶えている。梅野氏も他に客もいないことをこれ幸いに、初めて私と一対一で話すことに興味があったようだ。二人は絵のことで話が弾み、話題も色んな方向へ飛び、そのうえ梅野節が炸裂し話の内容を忘れている部分も多い。そんな中で収集の参考にしたことがある。それは梅野氏が作者不詳で入手した、梅原龍三郎の<メロン>に関する話題である。梅野氏は昭和60年9月JAA(日本美術品競売)で作者不詳の成行売りの作品に出合い購入している。梅野氏は「一眼でこれは美しい絵だ。一級の作家の物だ。」と感じたそうだ。入手から五年ほど経過したころ、懇意の宇井弘治さんから、「武者小路実篤編梅原龍三郎画集(みづゑ339号昭和8年5月3日春鳥会刊)」に作品が載っていることを教えられたと回想されていた。それ以来、梅野氏は「古いみづゑに注目するようになった。」と話されたことに触発され、私も躊躇なく行動に移したことを憶えている。

 片や私はといえば、骨董市で他人が絵を買っていく姿をそばから苦々しく見ていた時期がある。当時の私は、画家の名前も作風もほとんど知らずに、無謀にも掘り出しをしようなどと大それた野心を持っていた頃だ。ところが当時の私は、絵を取り上げてみたものの、購入すべきかどうか迷いが先行し判断が付かなかったのである。私は決断できない状況を何とかしようと思い付いたのが、気になる作者の図録や画集を購入し、画風などを記憶する地道な作業であった。勿論、物故作家の展覧会は、可能な限り足を運ぶことにした。やはり写真よりも実物を観るのが一番の近道と実感したからである。そんな中で梅野氏の話しを思いだし、機会をとらえては古い「みづゑ(美術雑誌)」をまとめ買いをし、暇な時間を利用し、片っ端から掲載図版に目を通した。その甲斐あってか、骨董市でも徐々に効果を発揮するようになった。一つ問題なのは、蔵書が増え過ぎてきたことである。

 今回取り上げる素描作品は、出合った時から「安井曽太郎作」として売り出されており、画題も<庭の草木>とあった。私はこれまで所蔵の「別冊みづゑ 安井曽太郎の素描(1956年夏 12)」や安井曽太郎素描展図録を時々目にして図版を記憶していたので、すぐに素描展図録に掲載されている作品であるとわかった。安井曽太郎素描展図録(銀座三越8階美術ギャラリーで平成2年10月9日~14日開催)によると、「NO.40 庭の草木 27.0×38.0㎝ 657」とあり、念のため、作品と図版を見比べてみたが、描かれた草や木の一本一本も同じで、落款も同じであることが確認できた。更に決定的な決め手は、安井の画室番号657も裏面に確認でき真作であることに間違いない確証を得た。
ところで、素人風情が大家の作品の出来具合を云々するのはおこがましいが、素直に感じた印象を述べたまでのことなのでご容赦願いたい。因みに作品の画室番号657を考慮すると、晩年に近い作品と思われる。私は1954年8月に天野屋別荘(湯河原)の近くに新築した自宅兼アトリエの庭を描いたのではと推測している。

      
           庭の草木    27.0×38.0㎝    

 因みに何故、私が数ある作品の中で<庭の草木>を記憶していたのか、その理由を紹介しよう。初めて図版を目にした時の印象は、子供の落書きのようなごちゃごちゃした作品と私の目に写ったことが主な理由である。そのため70点程の出展作の中で、違った意味で私の心に強い刺激を与えたのかもしれない。
作品自体は、中央に低木のこんもりとした名前がわからない木、画面両サイドに真っすぐな幹が確認できる。こんもりした低木周辺の地面には草らしきものがいくつか描かれているようだ。安井は庭に出て、低い目線で一気に描いた作品と思っている。線描のどこを見ても、迷いが感じられず素早く仕上げた印象がある。欲をいえば、此の素描を基にした作品(油絵)を制作していたのであれば、是非この目で直に確かめたい思いが湧いてくる。それは誰しも、絵に興味があれば、「こんもりした低木や幹はどの色で表現し、幹は縁取りをするのか一色かな」などと想像してみたくなるからである。

 安井の素描を理解するうえで格好の文章がある。それは1931年2月美術新論に掲載された安井の文章である。それは「素描はただ線で物体を描くのではない。その物体を現わさなくてはいけない。その形は勿論のこと、その立体、色、質等を現わさなくてはいけない。だから素描には油絵と同様の専門的技術の錬磨が必要だ。つまり形、明暗の変化、線の描法、物質及び色の表現、面の方向、線、色、空間の各構成、動勢、関係、整理等の研究が必要なのだ。そういう充分の準備があって始めて相当の素描が出来る。そして素描する場合は必ずそれ等諸点を注意深く考慮しながら、出来得るかぎり単純な独自の表現法を以て物体を写さなければならない。そうでないものは、たとえそれが鉛筆又は木炭、コンテで描かれてあっても、それは素描ではない。それは単なる図であって、決してその物体を現わしてはいないから、要するに素描には油絵同様の知識と注意がいる。だから素描の確かな人は自然よき油絵を作り得る。よき油絵にはよき素描がある。それから初歩の人は充分の基礎修業によって科学的知識を得る必要がある。」と述べており、素人には簡単に理解出来そうもない内容に驚いたというのが正直な思いである。

 私はこれまで中途半端な知識で安井の素描作品を観てきたが、とくに「風景(素描)は、どこが凄いのか」と半信半疑であった。しかし、安井の素描に対する並々ならぬ取り組み姿勢(考え)を知ると、画家自身の口から直接聞いた感じで、この動かぬ事実に想いを新たにしたのである。とくに「諸点を注意深く考慮しながら、出来得るかぎり単純な独自の表現法を以て物体を写さなければならない。」に注目している。勿論、安井作品に止まらず、一般的に「デッサンは画家の心の拠り所であり、素肌の画家の味である」という言い方をする方々もいるようで、今は素直にそれらも受け入れたい気分である。

 余談であるが、古書店で安井曽太郎素描展図録を買い求めた際、図録には当時の価格表も巻末に挟まっていたので、利用価値があると思いそのままにしておいた。今回、あらためて価格帯を見ると、40万円から750万円で売り出されていたことがわかった。しかも総出展数69点の内、七割以上の50点が100万円以上と高額であったことに吃驚してしまった。さらに驚くのは、銀座三越の素描展で作品を購入した人物が、その後、本人が手放したか、遺族が手放したことで市場に出回り、結果として私の所蔵になること自体不思議な縁を感じてしまう。
当時の購入者は富裕層の可能性が高く、サラリーマンには手が出せない価格帯であったと感じている。推測するに、最初の持ち主はバブルがはじけて処分せざるを得なかったのかもしれない。その様に想像してくると、大家の作品を入手できたことを素直に喜ぶべきか迷いが出てきそうな出会いである。

 注、安井曽太郎の略年譜については、著名人であることを考慮し省略している。
<参考資料>
別冊 みづゑ 安井曽太郎の素描(1956年 夏12)  安井曽太郎素描展図録
みづゑ529号・臨時増刊 安井曽太郎  生誕110年記念 安井曽太郎展図録
二科70年史