粋狂老人のアートコラム
          パリで歿した日本人画家のこと・・・・・山口健智
          抽象から具象に変更した病弱の生涯に注目・・・

 
 昨今のコロナ禍で外出を控えており、持て余し気味の時間があることから好きなことに打ち込んでみようと思い立った。他人が聞いたらつまらない事と感じるかもしれないが、私の記憶では、このテーマに限っては、今まで誰も手を付けていないと思っている。
それは「パリで滞在中に亡くなった日本人画家たちを知りたい」と思い付いた。私は調査を前に、佐伯祐三や長谷川潔などはパリで亡くなったことを記憶していたが、いざ調査を開始してみると、意外と実態を知らないことに気付かされた。外出を控えているため、手元資料だけの限定調査となり、正確性を欠くかもしれないが、予想外に該当者が多いのに驚いた次第である。折角なので該当する画家を紹介することにした。嫌がらずにお付き合い願いたい。古い順に列挙すると、諌山麗吉(明治39年、享年59歳)、佐伯祐三(昭和3年、享年30歳)、板倉鼎(昭和4年、享年28歳)、田中保(昭和16年、享年54歳)、斎藤豊作(昭和26年、享年71歳)、三田康(昭和43年、享年67歳)、海老原喜之助(昭和45年、享年66歳)、平賀亀祐(昭和46年、享年82歳)、長谷川潔(昭和55年、享年89歳)、山口健智(昭和57年、享年61歳)田中阿喜良(昭和57年、享年63歳)、荻須高徳(昭和61年、享年84歳)、蛯子善悦(平成5年、享年61歳)の13名が見つかった。
私は今回の調査の途中、ふと頭に浮かんだのであるが、この13名の画家の展覧会(仮称:パリで歿した13人の画家たち展等)を企画したら面白いのではと考えてみた。これだけのメンバーであれば、美術館所蔵作品も多いと推測され、展示に必要な100点程を集めることは容易であると素人判断している。最近、歳のせいであろうか、この企画を学芸員の何方かにお願いしたい思いが強くなってきた。

 ここで本題に入ることにしよう。実は所蔵品の中にパリで亡くなった画家の作品がある。入手当初は作者がわからず、達者な描写と色使いに心惹かれ購入した風景画である。しばらく納戸に収蔵していたが、その後、作者特定の調査を始めたところ「山口健智」に辿り着いた経緯がある。

 健智の略歴は後で記すが、略歴を調べたら旭川出身であることがわかった。健智は病弱で一時大阪の兄(画家:正城)の元で絵(抽象画)を描いていたが、その後、体調がすぐれず旭川に戻ったことがわかっている。私は作品を目にし、直感のようなものが働いたのか、風景画の中に北海道の雰囲気を感じた。健智は当初、兄の元で抽象画を描いていたが、旭川に戻ってからは具象画に変わったとある。私はいつもの推理を働かせた結果、静養中であっても、「体調の良い日には近場の石狩川にも写生のため出掛けたことは充分考えられる」との結論に落ち着いた。前にもコラムに触れたが、私は現役のころ6年ほど札幌勤務を経験し、一部の離島を除きほぼ全道を旅行していた。それらの経験から推測すると、北海道旭川市の石狩川中流域にある神居古潭渓谷を描いた可能性が高いと考えている。既に30年以上も経過しているため、記憶も薄れているが、絵の雰囲気が私にそのように思わせるようだ。

     
          神威古潭(仮題) 24.0×33.5㎝

 絵は4号の板に描かれた小品である。私は絵を見た瞬間に心に響くものを感じたことを記憶している。最初に目に付いたのは、空一面の迷いのない力強い雲、陽光を感じさせる右岸手前の複数の岩に釘付けとなった。さらには対岸の岩に自然に視線が誘導された気がしている。工夫のあとが見えるのは、川面の表現が青系でなく、対岸の林の木々が水面に影を落としていると思われ、同系色で表現されている点である。一方、季節は初秋であろうか、少し色付いた対岸の木々の葉のグラデーションが見事である。因みに絵の具の塗り残しからは、所どころ板の色が見えるなど空の部分は最後に仕上げたことが推測される。私は風景画の場合、作品の制作はアトリエなのか現場なのか推測して楽しんでいる。この作品は絵の雰囲気や躍動感のある筆あとからみて現場で制作したのではと考えている。ところで、この絵には一箇所わからない表現がある。それは空と思われる画面上部の雲の下部の青系の塗り残しが多い部分である。私は遠方の山並みを描いたのか空を表現したのか迷っている。

 忘れないうちに健智の略歴を紹介しよう。今回も情報不足で満足できる内容ではないが、取り敢えず紹介することにした。健智は「1921年旭川生まれ。34年 旭川市立日章尋常高等小学校卒業。北海道庁立旭川中学校(現在の旭川東高等学校)に入学したが病弱のため中退。37年 病気療養中、ヨーロッパ古典美術に関心を持つようになる。38年大阪に勤務していた兄(正城)の元に滞在し、中之島洋画研究所に学ぶ。39年須田国太郎主宰の独立美術研究所に学ぶ。この頃、兄の影響を受けた抽象傾向の作品を制作。41年美術創立協会展に入選。42年旭川に帰郷。この頃から具象画に転じる。55年渡仏。以後、10年間ルーブル美術館に通い、油彩技法の研究を始め、イタリア・ルネサンス、フランス18~19世紀美術等の模写研究を行う。その間、ル・サロンで金賞・銀賞受賞。サロン・コンパレゾンで金賞受賞。69年東京・大阪で個展を開催するため、14年ぶりに一時帰国。76年山口健智展(北海道立旭川美術館)。77年 パリで胃潰瘍のため療養。80年La GALERIE ART YOMIURI(パリ)で個展。82年3月12日パリで没、享年61歳。」とあり、没後も84年「山口正城・健智展(北海道立旭川美術館)」。2005年「さえぎられた世界展(神田日勝記念美術館)」に作品展示。08年「神田日勝の細密表現を巡って展(神田日勝記念美術館)」に矢元政行ほかと作品展示されるなど地元では作品公開の機会を得ていたことがわかる。
一方、中央では残念ながら埋没作家の印象は拭えようがない状況である。やはり地道な活動が何より大事であることを実感せざるを得ない。

 ところで、以下のことは資料不足で不明な点が多いが、参考までに追加することにした。詳細不明ながら健智は63年ころアンリ・カディオウに見出され、彼の率いるグループ「パントル・ド・ラ・レアリテ・グループ展」への参加を促されていたようだ。そのころ、岩田栄吉(1929~1982)と同じような申し出を受けていたと思われる。岩田の作品集の略歴を見ると、その他の主要展覧会の中に出品したことが確認できる。健智も出品したと思われるが資料不足で未確認である。なお、アンリ・カディオウは、トロンプ・ルイユの絵画での彼の作品で知られるフランスの写実主義の画家兼石版画家である。

 呟き・・・・最後に愚痴を一言。私のように作者特定に生きがいを感じている者にとって、一番困るのが資料不足である。いつも肝心なところで欲しい資料が見つからず、調査を断念することを度々体験してきた。そのため常に調査が消化不良状態で終わらざるを得ない。不本意ながら、今のところ解決の糸口は見つかっておらず、この状態が途切れることはなさそうである。

<参考資料>
北海道立旭川美術館資料   岩田栄吉作品集