粋狂老人のアートコラム
瑞々しい爽やかな外国風景・この画風に見覚えが・・・・来栖重郎
「光と影のファンタジスタ」と呼ばれたた画家に注目・・・・
私が初めて独立展を観たのは相当前のことで、はっきりとした開催年の記憶がない。そんなうろ覚えにもかかわらず、展示作品の中で写実画を描く画家については、不思議と好みの画風の為か憶えている。因みに名前を挙げると、それらは松樹路人、安田謙、来栖重郎、斎藤研などである。この四人の中で特に印象に残ったのは、来栖重郎(くるす・じゅうろう)である。私は初めて目にした「姓」のため、即座に名前を読むことが出来なかった。そこで画面の中のサインを確認し初めて「くるす」と読むことがわかった。作品は確かアンティーク・ドールをモチーフに描いた作品の記憶がある。何故、来栖の作品だけが記憶にあるのかと云えば、作品の前に立ちじっくり鑑賞したとき、人形の眼に吸い込まれそうな錯覚を起こしたことかもしれない。そんな出会いから数十年も経過した時期に、来栖の作品と偶然に出会うことが出来るとは思ってもみなかった。
作品は作者不詳であったが、裏面には画家本人による画題「ムーズ川のほとり」と来栖重郎の名前が達筆な草書体で書かれている。一方、画面には「J、CRUSS」のサインが確認できるため、私には来栖重郎の作品であることがわかった。来栖を知らない人たちにとっては、キャンバス裏面を確認せず表のサインを一見して外国人の画家と思えた可能性がある。そのためこの絵の前を通り過ぎた多くの絵画ファンは、作者に気付くこともなく作者不詳作品の仲間入りとなってしまったようだ。
ところで、画題にあるムーズ川とはどこにあるのか調べてみた。資料によると「オランダ語ではマース Maas。フランス,ベルギー,オランダを流れる川。フランス北東部,ディジョンの北のラングル高原に発し,深い谷を刻んで北流し,アルデンヌ高原を曲流。ベルギーのリエージュを経てオランダに入り,ライン川支流のワール川とほぼ平行に流れてワール川に合流し,北海に達する。」とあり、ベルギーとの国境に近いフランス国内を流れる河川であることがわかった。
私は確かなことは言えないが、渡仏した日本人画家たちの大方はセーヌ川を描き残しているのを知っている。そんな中にあって、ムーズ川を描いた作品は、僅かに久米桂一郎が二点描いているのみで珍しいのではないかと思っている。因みに、セーヌ川をテーマにした作品を参考までに調べてみた。年代順に列挙すると、岡田三郎助<セーヌ上流の景(1899年)>、三宅克己<雨後のノートルダム(1902年)>、藤島武二<セーヌ河畔(1906―07年)>、湯浅一郎<セーヌ河(1909年)>、南薫造<セーヌ河畔(1909年)>、山本森之助<春のセーヌ河(1922―23年)>、清水登之<セーヌ河畔(1924年)>、岡鹿之助<セーヌ河畔(1927年)>、小山周次<セエヌ河の洗濯船(1924年)>、山下新太郎<セーヌ河(1932年)>、萩谷巌<巴里セーヌ川(1932年)>、山口薫<セーヌ川(1933年頃)>、鬼頭鍋三郎<セーヌ河畔(1955年)>、松村隆衛<ノートㇽダムとセーヌ河(1957年)>などが目についたがこれらはごく一部に過ぎないと思っている。
ムーズ川のほとり 38.0×45.7㎝
この辺で作品を紹介することにしよう。作者はムーズ川の岸辺から遠方の街を描いたと思われる。まず目につくのは、画面中央の川岸に係留された船である。さらに画面左側の真っすぐに伸びた樹木と対岸のこんもりとした樹木のかたまりの対比に視線が誘導される。見るからに川の流れも緩やかで、日本のように高い堤防ではなく、川面に近い平坦な印象がある。船の周辺の樹木の陰影や流れに沿った川面の表現は、単色に近い色彩であるが、見事に静かな流れを表現しているようだ。手前の岸辺や対岸の草地の表現も、樹木の影を意識した濃い目の緑系にも諧調を試みていることがわかる。他にも遠方の街並みは、淡い表現で距離感を出しているようだ。私が流石と感じたのは、空の配置を含めた全体の構図である。まず画面に占める空の形が、左側から右側上部に斜めにし、一方、手前の岸辺を左側中段から右下に斜めに配置したことで、最終的に左側の樹木の先に見える陽の当たっている場所に、視線が辿り着くように仕向けたと解釈している。一方、画面全体の印象は、どんよりとした感じからまるで北欧の作品かと勘違いしそうである。それを少しでも和らげようとしたのか、額はゴールドの派手な額装であることに作者の気くばりを感じた。
最後に作者の略歴を紹介しよう。独立美術協会では、「光と影のファンタジア」と呼ばれたようであるが、私の手元には資料が乏しく、満足のできる内容ではないことをお断りしておく。来栖は「1928年大阪に生まれる。小磯良平を師と仰いだようだが詳細不明。56年第24回独立展で独立賞。62年第30回独立展で奨励賞。63年第31回独立展で奨励賞。64年第32回独立展で独立美術協会会員となる。以後、毎回出品。その間、渡欧、新世代展、新潮展招待出品、個展数回。2006年7月2日歿、享年80歳。07年「追悼・来栖重郎展遺作展」が沖縄で開催とある。
来栖について、ある資料では「美しいヨーロッパ風景やアンティック・ドールなどの作品で有名である」と報じており、私が展覧会で初めて目にした際の印象は、あながち間違いでなかったことが立証された思いである。私にとっては、なにより出会った時、画面から受けた静謐な印象が、今もって鮮明に残っていることを大事にしたい。
<参考資料>
パリを描いた日本人画家展図録 わの会の眼Ⅱ 山本森之助画集
独立美術展図録 久米美術館図録 湯浅一郎展図録 南薫造展図録
藤島武二展図録 清水登之展図録 岡鹿之助展図録 山口薫展図録
岡田三郎助展図録 日本の水彩画2小山周次 日本の水彩画14三宅克己