粋狂老人のアートコラム
「木彫の鹿」と言えば、この作家をあげたい・・・・橋本高昇
鹿制作の第一人者の作品二巡り合う・・・・
以前に何かの資料で目にした物故彫刻家の出身地別彫刻家一覧に驚いた記憶がある。このような地道な作業をされた先人がいたことに頭が下がるおもいであった。当時気になったのは、自身の生地である福島県にはどのような物故作家の名前があるのか確認したことを覚えている。因みに、うろ覚えであるが、赤堀信平、太田良平、佐藤静司、佐藤朝山、西山勇三、橋本高昇、橋本朝秀、三木宗策、三坂耿一郎などは諳んじることが出来る。
今回、あらためて出身地別彫刻家一覧の出所を調べたら、UAG 美術家研究所の「湯上り美術談義」としてHPに掲載されていたことを確認した。このような情報がネット検索で見つかると、私のような研究者擬きにとっては大いに助かっている。
その後、物故作家を調べる中で、橋本高昇の鹿の木彫を図版などで何度も目にする機会があり、いつの間にか作風に魅かれて行ったようだ。素人の目から見ても、鹿の動きをしっかり観察し、制作に生かしたと思われる作品が多いことに気が付いた。仔細に観察すると、図版からも手を抜くことなく、丁寧な仕事振りが感じられ作品に好感が持てた。いつの日か手元に置いて楽しみたい思いが自然に湧いてくるのを抑えることが出来なかった。これも収集家の性というものであろうか。
最近、念願の橋本高昇の「親子鹿」を入手することが出来た。作品を見ると座り込んでいる親鹿に、仔鹿が向かい合って座り身体を寄り添っている構図と思える。仔鹿は安心しきった様子で親鹿の首筋に顔を付けていることが見て取れる。過去の展覧会出品作からもわかるが、高昇は色んなポーズの鹿を制作している。確かなことはわからないが、恐らく奈良公園などで鹿の生態を観察し、スケッチを重ね鹿の制作に生かしたものと思われる。木彫の親子鹿を見ていると、その種の事前準備のなかから選んだポーズのように感じられる。さらにじっくり作品を見ていると、仔鹿には優しく接しながら周辺に気を配る親の姿が卓立した技量で彫り上げられているようだ。因みに材質を調べてみたが、木の種類までは特定できなかった。以前に耳にした話では、作者により好みがわかれ、固い材質を選ぶ者から細工のしやすい柔らかい種類を選ぶなど様々なようである。一方、忘れるところであったが、作品の底には達筆な草書体で「高昇作」と彫ってあり、作品の出来栄えと銘から作者を特定した。
親子鹿 18.5×40.5×14.5㎝
この辺で高昇の略歴を紹介しよう。資料によると、高昇は「1895年福島県二本松生まれ。郡山出身の木彫家三木宗策(1891~1945年)に師事する。1925年第6回帝展に初入選。以後、15回展迄連続入選。26年第1回聖徳太子奉賛美術展覧会に出品。・32年第13回帝展で<雄牛>が特選受賞。53年第9回日展で≪牡鹿>が特選。朝倉賞。54年第10回日展で≪緑陰>が無鑑査・特選。55年第11回日展で出品依嘱。56年第12回日展で審査員。62年第5回日展で審査員。64年日展評議員、70年日展参与となる。1985年11月29日歿、享年90歳。」とあり、主に日展で活躍していたことがわかる。なお、日彫会会員としての活動状況は、資料不足で調査を諦めた経緯がある。
余談であるが、以前に高昇を調べた際、作品の評価に関し目にした情報を紹介したい。一つ目はアトリエ(昭和2年10月号)に金子九平次(1895~1968年)が作品評で「木彫で動物をあつかった作品として好いと思った。落ち着きのあるまた動物の動きも現れている。」と好意的な評価をしていることが印象に残っている。二つ目は東京朝日新聞(昭和3年11月9日付)の作品評に浜田三郎(1893~1973年)が<腰かけた女>について、「木彫として可成り面白い良い出来です。」とこちらも好意的な評価をしていた。三つ目は第13回日展特選集(昭和32年11月)に中村傳三郎氏が「<仔鹿>も亦、作者の多年手がけている主題だけに、この動物の形態を巧みに把え、印象深い作となしている。」と評価するなど、三者の評価は私の高昇作品を見る目に少なからず影響を与えたと思っている。
<参考資料>
日展史 福島の近代美術(村山鎭雄著) 画家5,500名の略歴
第1回聖徳太子奉賛美術展覧会図録彫刻之部