粋狂老人のアートコラム
       画家たちがパリを目指す中、ドイツ留学を選択・・・・・・安田稔
         東美を中退してまでドイツ留学に拘った訳とは・・・・  

 
二本の帆柱を持つ外国製と思える帆船の絵に出会った。銘はあるが作者不詳である。構図は舳先を画面の右側にした側面を描いている。船体の中央部分に向かって、左方から一艘の小舟が近付いて人物が乗り込もうとしているのか、船体には縄梯子が描かれている。小舟の後ろには二艘目が待機しているようにも見える。また、帆船には煙突のようなものが大小二本確認でき、帆と併用できる蒸気船なのかも知れない。私はこの方面も素人で門外漢のため詳細は不明である。私がこの絵に興味を持ったのは、昔の国内の帆船と異なり、船体の上部はクリーム系、下部はチョコレート色のツートンカラーの配色に注目したことである。
銘は「ヤスダ ミノリ」とあることから、以前にお世話になった新潟県立近代美術館から入手した資料で知り得た「安田稔」である可能性が出てきた。早速、手元資料を調べてみると、1914年第8回文展出品作≪茶どき≫のサインと同一であった。驚くことに初出品で褒状(第1席)を受けていた。
 安田の履歴については、当初、不明の部分が多かったが、新潟県立近代美術館の松矢国憲氏から提供された「新潟県美術博物館だよりNO.32」の助けで何とかまとめることができた。

                
      船のある風景(仮題)   65.0×80.5㎝

資料によると、「安田は1881年旧長岡藩士の次男として長岡で生まれる。父が神田猿楽町で旅館を開業したため、一家で上京。1902年独協中学校卒業、9月26日不同舎に入門。当時は美校受験者の予備校化していたらしい。03年東京美術学校に入学、第2回太平洋画会展に入選、以後3~5、11回展に入選。06年に同校中退。07年に渡独。ミュンヘン美術大学に入りなおした。印象派、後期印象派の台頭するパリではなくミュンヘンを選んだ理由はわからない。ただ後に安田が肖像画家として大成したことを考えると、歴史画、肖像画の伝統があるドイツでアカデミックな勉強をしようとしたのかもしれない。11年ミュンヘン美術大学卒業。英仏に遊学し、滞英中で肖像画家として名をなしていた石橋和訓を知り、交遊は帰国後も続いた。前出の≪茶どき≫を14年の第8回文展にヨーロッパから出品、東京大正博覧会に出品。15年帰国(13年帰国説あり)その後も文展(9~10回展)、帝展(1、9回展)に入選。21年日本大学芸術学部教授。26年宮内省より勅任の待遇を受ける(宮廷画家の一人となった)。29年第12回太平洋画会展に入選、以後、13~18回展、23回展に入選。32年明治神宮聖徳記念絵画館に≪樺太国境画定之図>を依嘱制作。37年第1回新文展に入選、以後、2,4、6回展に入選、海洋美術展に入選。39年聖戦美術展に入選。戦時中、秋田県横堀に疎開し、そこで終戦を迎えた。その後もたびたび秋田に出かけて制作して、安田の足跡が残っている。65年没、享年84歳。」とある。
 資料を確認している中で残念な事実が判明した。それは安田が買い求めた美術書や作品等を持って帰国したが、休養で四万温泉に入っている時に、関東大震災が起こり、滞独中のものは全て灰燼に帰したことです。そのため、安田の滞独時代の活動がまったくわからない状況である。その後の作品は、第二次世界大戦時、秋田県横堀に疎開しているので、その方面にあるかもしれないとのことである。若しかしたら安田作品に出合える機会があるかも?
 現在、作品として確認されているのは、≪国士の俤(長岡市中之島文化センター蔵≫と≪樺太国境画定(明治神宮聖徳記念絵画館蔵)≫の二点のみである。今回の≪船のある風景(仮題)≫は新発見の可能性があり、資料的価値が大きいと受け止めている。
 最後に新たな事実が見付かったので追加することにした。それは「みづゑ157号(大正7年3月3日発行)」に掲載されていた「中沢弘光、石川寅治、中川八郎、安田稔新作洋画展覧会」が大正7年1月23日から1週間、三越新館6階で開催された情報である。青峡(氏名不詳の批評子)に「私は此の四人の内で一番生気のある人間甲斐のある独創的な安田稔氏の数点に興味を持つ。他の三人はいつもの色彩なり構図なりに於いて云い合した様に同じ道を進んでゐる如く自分には思われる。安田氏のでは、静物≪花≫、≪果≫の二点と≪ギリヤークの娘≫等が最も佳い。(以下省略)」等と評価している点に注目した。因みに私は青峡なる人物が評価した3点の安田作品について、この目で確かめてみたい衝動に駆られた。しかしながら、今となってはその思いを叶えることは無理であろう。
 

<参考資料>
 日展史  郷土に残る小山正太郎と不同舎の画家たち展図録
 新潟県立近代美術館提供資料 もうひとつの明治美術展図録
 太平洋美術会百年史 日本近代美術発達史 昭和3年度全国美術家名鑑
 新潟県美術博物館だよりNO.32 みづゑ157号