田村和司さんのよもやま絵話-------“美”とは?
                   第17回   裸婦、裸婦、裸婦

 絵画7点のうち5点が裸婦。彫刻約20点のうち半数が裸婦。
パソコンをしている現在の部屋の中の状態である。
時々架け替えるのでいつもこうではないが。

部屋を見回して妻が「好きねー」と言った。

まるで私が助平爺かのようだ。

なぜか女性である裸婦を見て女性と思ったことがない。
色、構図、タッチ、マチエール、鑿跡、造形、等々それぞれに私を楽しませてくれる対象だからである。

芸術家は何故裸婦をテーマにするのか、それは創作意欲が沸く、簡単に言えば描きたく、
または造形したくなるからだろう。裸体の美しさに魅かれるからだろう。
決して「好きねー」ではないと思う。
裸婦は人物画の中の一つのテーマであって風景画や静物画と同じではないか、
芸術家がどう考えているのかはわからないが鑑賞者としての私はそう思う。

今回紹介するのは青山熊治の「緑色バックの裸婦」。
サイズはF8号、キャンバスに油彩。
この作品を見て感じることは人それぞれだと思うが、私は青山熊治の崇高な精神を感じる。

        

因みに他の裸婦は、鈴木千久馬、西田勝、コンラッド・メイリー、熊谷守一、
彫刻では浅野孟府、喜多武四郎、川上邦世、村田徳次郎、雨田光平などなど。
表現は良くないが裸婦の後ろに画家、彫刻家がいるように見える。
きっと、描きたいように、造形したいように無心に製作したからだろうと思う。

熊谷守一を除いて世間的にはほとんど評価されていない作家たちだが
そうであっても自分が気に入り身近に置いておきたくなったこれらの裸婦に囲まれ、
私は幸せです。
よだれが出て、鼻の下が長くなるのです。―――――やはり助平爺か。