田村和司さんのよもやま絵話-------“美”とは?
                第8回「必殺シリーズの映像美」

 
 言わずと知れた古い時代劇シリーズですが、その中で主に主題歌や挿入歌が流れる時、背景に映し出される映像に心を奪われました。暗い背景の中に光を巧みに使い、何とも言えないブルーの使い方にも魅せられ、本編よりもこの映像が見たくテレビに釘付けになっていました。
ある画家のアトリエにお邪魔した時、この話を持ち出したところ画家も私同様、
この映像美に感心して毎回、テレビを見ていると聞きました。
これを創り出したのはどのような人で、どのように創り出したのか
今回このコラムを書くまで気にしていなかったことに気づきました。
美しさに惹かれそのようなことに気が回らなかったのだと思います。
そして、このような映像を創り出せる感性を羨ましく思いました。

                         
        
この映像に匹敵する絵を残念ながら私は所有していません。
ただ、本編の仕事人たちが恨みを晴らすまでの人間模様に似つかわしい絵を所有しているので紹介します。

西澤静男という銅版画家が生涯をかけて彫った銅版画です。
彼の作品で私のお気に入りはほとんど残されていない初期の抽象画と文楽シリーズです。
私は文楽シリーズが彼の代表作と思っていますが20数点ある内、1点を紹介します。
作品名は、文楽「梅川」冥途の飛脚より。
文楽は全くわかりませんのでこの絵のストーリーもわかりません。それでもこの絵がすべてを語っているのではないかと思わせてくれるような絵だと思いますがどうでしょうか?
彼は、よく情念の画家といわれますが、私には怨念の画家のように思えます。
彼の文楽シリーズを家中に掛けたら恐らく夜、トイレに行けなくなると思うほど
おどろおどろしい作品群です。彼の作品を扱っている友人の画商から聞いたところでは
銅版画を作るために家族を含めすべてを犠牲にしていたと聞きました。
その結果、出来た作品群であると思うと彼の執念のようなものが作品から見えてくるのもおかしなことではないような気がします。

長い間この世に生きていると色々なことに出会います。
良い事ばかりではないですが、日常の生活の中で目にする美しいと思う事に注意を向けるようにしています。美しいものに接することは救いになります
前回、書きました堀越千秋の「美を見て死ね」ではないですが、そのようにして死ぬのが理想です。問題は美のレベルです。堀越千秋のようなレベルには絶対にたどり着けないと思いますが少しなら近づけるのではないかと日々「私の美」を探すよう訓練しています。

その意味で必殺シリーズは、私にとって良い教材です。