田村和司さんのよもやま絵話-------“美”とは?
                   第9回「美しい猪」

 
                  

本格的な寒さがやって来る12月、猪は寒さに耐えるため体に脂肪を蓄える。
その脂肪がボタン鍋を美味しくする。年を越えると猪の味が落ちるから猪猟は終わる。

家庭菜園の仲間で猪猟もやる人から聞いた話である。

数年前の今頃、農作業をしていると200メートルほど離れた林の中からパーン、
パーンと銃声がした。
間もなく「おーい」と呼ぶ声がした。
慌てて行ってみると大きな鉄格子の檻の中で2頭の猪が頭から薄く血を流して横たわっていた。
私は息を飲んだ。猪の美しさに、である。
不思議にも死んだ猪を見て他の感情は湧かなかった。
何か自分の心の冷たさにその時、驚いた。
それほど美しい猪であった。

毛並みといい、隠れた筋肉といい餌を求めて野山を駆け巡ってきた猪の肢体が
美しいと思わせたのだと、やがて気づいた。
以前、東京国際マラソンを見に行った時、10キロ地点の日比谷公園で見たマラソンランナーの鍛え抜かれた足をその時思いだした。
猪と同じ美しさ。そう思った。

手元に猪でないが豚の彫刻がある。
写真ではわかりにくいがノミ跡の美しい作品である。
目の前の豚を心の赴くままに彫り込んだような作品である。
ある意味、稚拙に見えるかもしれない。が、私には他意のない美しい作品に見える。
死んだ猪の美しさに通じる彫刻のようにも思える。
“美”とは危うく、微妙な存在だと、死んだ猪と豚の彫刻を見て思う。
彫刻家の名は木村五郎、雅味溢れる小品を多く残した。
橋本平八、喜多武四郎と共に院展彫刻の将来を託されたが夭折した。

―――年末。なぜかその美しさに息を飲んだ死んだ猪の姿が思い浮かぶ。―――