田村和司さんのよもやま絵話―――“美”とは?
         第1回 「京町屋と銅版画家・清原啓子の代表作、領土」

 20年以上前になりますでしょうか、銀座アートホールで開かれた日本美術品競売の「物故作家展」で清原啓子の作品に出合いました。それまで見たことのない銅版画でした。
何か作家が自分の命を削るように彫られたその銅版画に衝撃を受けました。
2点出品されていましたが最低価格はそれぞれ25万、2点で50万円。
1点でも入手をと考えましたが当時25万が用意できずあきらめました。
2点の内の1点は作品名「領土」でした。
オークションの結果は2点共、入札なしの不落札でした。
その後、画集を求めて作品を見ましたが、わずか31歳で夭折した銅版画家の残した数少ない作品の中でも2点共、代表作と言えるものと思えました。

今年の3月、ある美術カタログに「領土」が38万で売りに出ていましたが悪いことに3月に合わせて30万近い絵を購入していて今回もあきらめざるをえませんでした。

それから数日後、ある縁で知り合った国立西洋美術館の研究員の友人であるギタリストの先生の演奏会があることを聞き、会場である京町屋に行きました。
京都の宇治市に30年以上住んでいますが京町屋に入ったのは初めてでした。
間口が狭く奥行きが長いその建物に入って、京都人の生活文化が染みついているような印象を受けました。内部は古い建物ですから当然のことながら傷んでおりました。しかしその美しさに驚きました。その美しさは京都の長い歴史とそこで培われた文化がその室内空間に満ちていることから感じるものなのかよくわかりませんが私にはそう思えました。

トイレにいく途中の通路の壁に清原啓子の展覧会のポスターが貼ってあります。何故、清原啓子のポスターが町屋の中の通路に貼ってあるのか、家の方に聞くと2階の演奏会場に「領土」が展示してあるとのことです。驚きました。
以前、家の方が気に入り購入したそうです。

演奏するギタリストの後ろにその「領土」が掛けてありました。
ギターの美しい音色と京町屋の落ち着いた佇まいの中の清原啓子の「領土」とのハーモニーは私を至福の時に誘い込みました。なんという贅沢なことか。絵はそれが飾られる空間で活きてくることを実感した次第です。
その日の感動は私を翌月の演奏会に再び足を運ばせました。
ここに来ればいつでも「領土」が見られる。清原啓子に会えるという思いからです。
そして、「領土」の前で忘我の時を過ごしました。
優れた作品は人をこのような行動に駆り立てる魔力を持っている。
美を創造する清原啓子と言う天才的な作家のなせる業なのかもしれません。

いつの日か1点コレクションしたいと思うのですが、コレクションするには
作品との出会い、金銭、飾るスペースが必要と思います。
とりあえずお金を貯めて、出会いを待つこと。しかしながら高齢の私が生きている内には間に合わないのではないか
------清原啓子が罪作りな女性にならなければよいのですが-----。